第376話 レクイエム(1)兄に憑く霊

 そろそろ帰ってくる頃だと思って、僕は甥のけいを抱いて窓から外を見ていた。

 御崎みさき れん、大学3年生。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「敬、もうすぐお父さんが帰って来るぞ。待ち遠しいな」

「ああう」

「ん、そうだろう。もうそろそろだからな」

「あああ」

 それを見ていた冴子姉が笑う。

「何か、本当に会話してるみたいねえ」

 御崎冴子みさきさえこ。姉御肌のさっぱりとした気性の兄嫁だ。母子家庭で育つが母親は既に亡く、兄と結婚した。

「敬は、怜君にくっついていたらご機嫌だものねえ。お母さん、助かるわあ」

「あああい」

「……本当に会話してるみたいだな。敬、まさかもうわかってるんじゃ!?天才児かもしれないよ、冴子姉」

「はいはい」

 笑いをこらえる顔で、なぜか軽く流されてしまった。

 そうしていると、公用車がマンションに近付いて来るのが見えた。兄の車だ。

 兄は今月から車で20分程度の警察署に署長として赴任しており、公用車で通勤している。

「迎えに行こうか」

「あああう、ぶぶ」

 始終機嫌のいい敬を抱いて玄関まで行こうと体の向きを変えかけた時、嫌な気配がするのに気付いた。

 しかも、兄の車からだ。

「冴子姉、ちょっとここにいて」

 敬を冴子姉に渡し、飛び出していく。冴子姉は僕の様子に何かあると感じたらしく、真面目な顔で素早く敬を受け取って、

「気を付けてね」

とだけ言う。

 もどかしい思いで下まで下りてエントランスから飛び出すのと、車から兄が降りて来るのは、ほぼ同時だった。

「兄ちゃん!」

「ああ、怜」

 こちらを向いて、僕の様子に、何かあるかと表情を引き締める。

 御崎みさき つかさ。頭脳明晰でスポーツも得意。クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。警察庁キャリアで、警視正だ。

「怜?」

「そのまま」

 言いながら、浄力を右手に纏わせ、兄の肩にトンと当てる。

 それで、フワリとそれは剥がれるように離れて、上空に上る。

「逃がすか、兄ちゃんに憑りついたやつを――あ」

 直がいない。いつものアシストがなく、上空に逃げる霊を、僕は歯噛みしながら見送るしかなかった。


 着替えた兄と冴子姉とダイニングテーブルにつく。

「いただきます。今日は刺身か」

「ヒラメを釣りに行ったって、真先輩のお父さんにもらったんだ。まだピチピチしてたから、神経締めして、刺身がいいかと思って」

「ん、モッチリしてて美味しいな」

 後は、キャベツと大根と人参の千切りに蒸し鶏を乗せたサラダ、牡蠣のガーリックソテー、さつま芋と銀杏の炊き込みご飯、豆腐の味噌汁だ。

「敬も早く食べられるようになりたいわね」

「ううう……」

「……もしかして言葉を理解できてるんじゃないか?敬は天才児かもしれない」

「ああ、はいはい。流石兄弟ね」

 兄も冴子姉に苦笑で流された。

「ところでさっきのは、どうしたの」

「ああ……うん。何か、憑いてた。追い払ったけど」

「前の署長さん、自殺だったんでしょ」

 冴子姉が言って、兄が頷く。

「ああ。突然イライラしたり落ち込んだりしていたらしいが、その理由がこれといって見付からないらしい。自宅で首を吊って、まあ、自殺に疑いはないようだ」

「もしかして化けてでたんじゃ」

「署長って年じゃなさそうだったなあ。20代初めかな?」

「前任者は50前だから違うな。

 そんなことが影響してるのか、署内の雰囲気はどこかピリピリした感じで、あんまり良くないな」

「明日、署の近くのマンションで仕事が入ってるし、念の為にちょっと視てみるよ」

「ああ、頼む。無理しないでいいからな」

「大丈夫、大丈夫」

 兄ちゃんの一大事かも知れないのに、安穏とはしていられない。僕は断然やる気になっていた。




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