第342話 泣く声(2)愛人疑惑

 直は、自分の家族の事のように喜んでくれた。

「司さんもお父さんかあ。うん。子育てには何の心配も無いねえ」

 町田まちだ なお、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。

 確かに。

「悪阻もないみたいだし、その点では冴子姉も助かったよ。食事もこれからはもっと気を付けないといけないし、家事も、適当にした方が運動になるとは言っても、見てる方が心配だし。何と言っても、分娩そのものは僕達にはどうしようも無いしな」

「こればかりはねえ。励ますとかしかないよねえ」

 僕達は、冴子姉が知り合ったという妊婦さんの家に向かっていた。

 駅から徒歩15分。うちから30分くらいの所にある賃貸マンションだ。

「ここだな」

 まずは外から視てみる。2階の端で、夫婦2人暮らし。これと言っておかしな気配は無い。

 ドアチャイムを鳴らすと、出て来たのは若い女性だった。

「御崎冴子の弟の御崎 怜です。安西優花あんざいゆうかさんですか」

「はい」

 少し緊張したような小さな声で答える。なるほど。目の下にクマがあり、首はスカーフで隠している。

「こっちは、町田 直です」

「こんにちは」

「こんにちは。ずうずうしくお願いしてしまって、すみません。どうかよろしくお願いします」

「いえ、お気になさらず」

「あ、どうぞ」

 家に入る。明るい玄関。下駄箱の上に飾られたドライフラワー。招き入れられた突き当りのリビングには窓際に嵌め殺しの出窓があり、そこに、夫婦の写真と花が飾られていた。

 どこにもおかしな気配は無い。

 紅茶を前に3人でテーブルにつき、改めて経緯を聴く。

「最初は10日くらい前から、夫が夜中にうなされるようになって。その後すぐに、私も夜中に苦しくて起きるようになって、その頃、気付いたら首にあざができていたんです」

 スカーフをとると、首には絞められたような指の後が残っていた。

「窓も開けていないのに、急にそこの写真立てがここまで飛んで来て割れたり」

 出窓の所を指す。

「2メートル近くありますねえ」

「昼間、泣き声みたいなものが聞こえて来たり、夜寝ようとしたら、はっきりとは聞こえないんですけど、耳元で誰かがぶつぶつ言ってるみたいな声がして寝られなくて。後、いきなり流し台の蛇口から水が出たりしたことも」

「それは、不安でしたね。睡眠不足にもなって、大変だったでしょう」

「ええ。引っ越そうかとも思ったのですけど、これから色々と出費がかさみますし……」

「僕達がきっちりと調べますから、安心して下さい」

 優花さんは安心したように、紅茶のカップを傾けた。

 妊婦はカフェインは避けた方がいいと言うべきだろうかと、僕は少し心配になった。

「御主人は」

「もう帰る筈なんですけど。寝不足で仕事が片付かなくて、休日出勤に……」

「早く何とかしないとだめですね」

「そうだねえ」

 言っていると、ドアの開く音がして、優香さんが席を立った。

 そして、すぐに若い男性と戻って来る。

「あ、どうも。安西和弘あんざいかずひろです。よろしくお願いします」

 気弱で優しそうで真面目そうな人だった。こちらも、目の下にはクマがクッキリと貼り付いている。

「御崎 怜です。よろしくお願いします」

「町田 直です。よろしくお願いします」

 安西さんは中堅どころの会社のサラリーマンで、見たところ、暴力を振るうどころか、震えて逃げ出すタイプに見える。

 でも、おかしな気配は無い。

 優花さんが紅茶をもうひとつ淹れ、4人でテーブルについた。


 安西さんからも話を聞いて、優花さんの知らない話も無いのがわかると、一通り家の中の確認をする。

 と、急に重くて冷たい気配が湧き上がり、安西さんの背後にへばりつくように女が現れた。

「これか」

「だねえ」

「生だな」

「そういう、アレかねえ?」

 取り敢えずは撃退すると、ひそひそと直と相談し、方針を決めた。

「この札をお渡ししますので、24時間、持っていて下さいねえ。濡れても大丈夫なので、風呂場でも、手の届く所に必ず置いて下さい」

「ではこれで、今日の所は失礼します。

 で、安西さん。ちょっとよろしいですか」

「はい、何でしょうか」

「えっと……」

「妊婦さんのいる家庭での注意点とかですねえ、その……立ち合い出産するのかとか、ですねえ」

「あはは。はい、わかりました」

 安西さんは、気軽に僕達について家を出て来てくれた。

 そして、少し行ったところで、口を開く。

「何か、優花には聞かせたくない話ですか」

「鋭いですね。

 さっき、安西さんの背後に女の生霊が出ました。もしかして、浮気相手とかかと思って」

「秘密なら守りますのでぇ」

 褒められた事ではないが、妊婦にこれ以上の不安はまずい気がする。

 しかし安西さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、否定した。

「浮気なんてとんでもない。した事ありませんよ」

「じゃあ、あれは誰だろう。ストーカーかな。

 茶色のセミロングの髪で、右の耳の所に黒子があったんですけど」

 安西さんは少し考えて、思い当たったらしい。

「大学時代に振られたガールフレンドが、そこに黒子がありましたよ、確か」

「振られた?」

「ええ、振られた」

 3人で、振った方が何で恨んで出て来るのかと首を傾けた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る