第293話 籠女(4)解放
つないでおいたパスを伝って、遊女に会う。向かい側には明惷さんもいる。
「おや」
彼女は僕と直に軽く目を見張ってから、艶やかに笑った。
「名前を聞いていませんでした」
「桔梗と呼んで下さいな」
「桔梗さんは、ずっとここに?」
「これでも元は武家の娘でした。でも、主家が断絶になり、父は浪々の身に。それで私は吉原に。年季が開けたものの帰れる場所も無く、大店の旦那の妾に。その旦那がポックリと逝って、所帯を持とうと言ってくれた人に騙されて売り飛ばされて、気が付けば場末の飯盛り女ですよ」
フッと嗤う。
「名前は?」
「だから、桔梗――」
「源氏名ではなく、あなたの本当の名前は」
「……由布。寺田由布と申します」
彼女は姿勢を正して、きっちりとした礼をして見せた。そして、自分でハッとする。
「彼女は林明惷さん。中国の貧しい農村部から、家族の為に借金を背負ってここへ来て、売春――ええっと、体を売っている人です。
今の法では、罪になります」
「そう……」
女2人が沈み込む。
「自由に、本当に自由になりませんか。誰かに成り代わるのではなく、新しい人生を始めませんか」
「新しい人生……」
「由布さん、それにほかの皆さんも。いつまでもここに縛られなくていいんですよ。あなた達を閉じ込める籠はもうありません」
由布さんが顔を上げる。
フッと、一瞬にして青空が広がった。
「あ……」
いつの間にか、たくさんの女達がそこにいた。
「帰れるの?」
幼い子が訊く。
「もう一度……」
年嵩の女が目じりに涙を浮かべて空を振り仰ぐ。
由布さんは明惷さんを見、肩の力を抜いた。身なりが、武家娘のものになる。
「自由になって、よろしいのですね」
「はい」
由布さんは深々と頭を下げ、他の女達と共に、徐々に薄れて行った。
夢から抜け出した僕と直は、すぐに石碑まで行った。
そこは相変わらず人がいない所だったが、今は笑い声に満ちていた。
あたし、ご飯をお腹一杯食べられる家の子になりたい
勉強したい
こんな事だけはもうたくさん
好いた人と 添い遂げたい
口々に、希望を語る。
「幸せな人生を、歩き出せますように」
浄力を浴びせる。彼女達は次々と光になって、消えて行った。最後に由布さんはもう一度頭を深々と下げると、
「数々の御無礼を、お許しください」
と言う。
「あなたにも幸せな人生がありますように、お祈りしています」
「笑って欲しいねえ」
「ふふっ。この度の事、まことにありがとうございました」
言い終わると、光になって、消えて行った。
「逝ったねえ」
「逝ったなあ」
「あの人も気の毒な人だったんだねえ」
「そうだなあ。この調子で、明惷さん達も救われる方法があるといいんだがなあ」
「難しいねえ」
明惷さん達は強制送還になる。しかし、借金は残ったままだ。それで多くの場合、また売春を、というケースが少なくないそうだ。
それを考えると、気が重くなる。
「そこまでは、無理だ」
「そうだねえ」
僕達は、溜め息をついた。
翌日、明惷さんはスッキリとした顔をしていた。
僕達が夢から退場した後、道を歩いて行ったら石碑が見える位置に来たそうだ。そこで、僕達が由布さん達を送る一部始終を見ていたらしい。
「帰ったら、別の仕事を探します。一生懸命働きます。新しい人生を、私も欲しいです」
「はい。それがいいと思います」
「応援していますねえ」
「ありがとうございました」
女性警察官に付き添われて部屋を出て行く明惷さんを見送って、刑事が言う。
「彼女はもう大丈夫だといいな。帰ればやっぱり、上手く行かないなんて事はザラだけど」
大丈夫である事を、祈るのみだ。
「その為には、管理、強要した方を締め上げないとな」
刑事はやる気を見せて笑って見せた。
「新しい人生か。上手くいけばいいな」
青い空は、どこまでも高かった。
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