第291話 籠女(2)籠の鳥
部屋に入った途端、むせ返るほどに強い白粉の匂いがした。
テーブルの前には憔悴した様子の女性が座っていたが、僕達が入って来た事に気付くと、ハッと顔を上げた。
「あなた、幽霊の人ですか」
それでは僕が幽霊みたいだ。
「中国語でいいですよ。その方が、細かく伝えられるでしょう」
彼女――明惷さんは、目に涙を見る見る浮かべた。
「私はもうすぐ死ぬのかも知れない。でも、渡航費用を返し終わってないから、それが家族に新たな借金として被さる」
「大丈夫。とにかく、説明して下さい。
ああ。食事はとれていますか。睡眠は?」
睡眠時間が少なくて済む事の暇つぶしに外国語会話の習得もしたが、どうやら中国語は通じるらしい。
一応同席している通訳は、刑事と直に向かって会話を通訳している。
「確認します。リン・メイシュンさんでよろしいですか」
「はい」
「僕は霊能師の御崎 怜です」
「ボクは霊能師の町田 直です」
町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。
「では、ゆっくりでいいですから、起こった事を教えて下さい」
明惷さんは、仲間と肝試しに行った事、何の石碑かわからないが、頭に手を乗せると祟られるという石碑に腕を乗せて記念写真を撮った事を話した。
「それでその晩、夢を見ました。昔の日本の部屋で、昔の日本人の格好をした女の人がいて、私に近寄って来るんです。
朝起きたら、甘いような白粉の匂いがして、体がだるかったんです。
それがその日から毎晩。それで、日毎に女の人は近くなって来るし、白粉の匂いが強くなるし、だるさも酷くなるんです」
ここで刑事が、口を開く。
「検挙の時、彼女は片言の日本語と中国語で喋っていたんですが、突然、虚ろな目になって、普通に流暢な発音で『かごめかごめ』を歌い出したんです。皆あっけにとられましたよ。
でも、歌い終わったらその間の記憶は無いし、拘留中は毎日それを繰り返して、匂いも強くなってくるしで」
「その石碑の場所はわかりますか」
「押収した写真に、こんなものが」
差し出された1葉の写真を見た。古い石碑の上に片肘をつくように乗せて笑う明惷さんと、ほかの女性達。楽しそうな笑顔だ。
その片隅に、薄く被さるように、女性の顔が写っている。
「これは、推定遊女の供養塔だねえ。有名なところはいくつかあるけど、ここは無名に近い割に、祟るって噂だけはネットで有名らしいねえ」
「推定、ですか」
刑事が訊き返す。
「多分そう、と言われていてるだけらしいねえ。投げ込み寺とかみたいに有名でもなく、吉原みたいな大きい所に近いわけでもないからかねえ。それでも宿場には飯盛り女とかいう実質遊女がいたし、戦後には赤線とかもあったし、まあ、そういう人の供養塔だろうという話らしいねえ」
「相変わらず、良く知ってるな、直」
直はエヘヘと笑って、スマホで地図を出して、
「この辺だねえ」
と示した。
「ああ。彼女達の住まいにも近いです」
刑事が頷く。
明惷さんに向き直る。
「それで、その夢の中で会う女の人は、今、どのくらいですか」
明惷さんはゾクリと体を震わせると、手ぶりを使いながら、一日に詰めて来る距離がこのくらい、今はこのくらい、と説明した。
後、2、3日で接触するという感じだろうか。
「わかりました。現地へ調査に行って来ます」
明惷さんは女性の警官に連れられて部屋を出て行き、それを見送った僕と直は、思わず唸った。
「え、マズイんですか」
刑事が訊く。
「そうですね。
まず、遊女が憑いているのは確実です。それも、明惷さんとかなり深くつながってしまっていて、問答無用で強引に祓うのは危険だと思われます。
なぜそんなに深くつながったのか、何がしたいのか、まずはそれを聞いてみてからですね」
「祟りをも恐れない行動って、困るよねえ」
「全くだ」
僕と直は、石碑の所に行く事にした。
石碑の周りは人通りがあまり無く、それはひっそりと佇んでいた。
だがそれは生者の話で、遊女と見習いの子供が、十数人そこにいる。吉原などの格式の高い所の遊女ではないのが、察せられた。
「お話をお伺いしたいのですが」
彼女らは一斉にクスクスと笑いだした。そしてその中から1人が進み出て、挑むように見上げて来る。
お客ですか 久しぶりだ事
「ここで石碑に腕を乗せて写真を撮った、中国人女性について」
ここで 別の女の話とは 無粋な
「あなたが彼女に憑いた人ですね。あなたの目的は何ですか。頭を押さえられて腹が立ったから祟り殺す?」
籠の鳥の願いはひとつ
自由になること
それ以外に あるとでも?
彼女達はクスクスと笑いながら、歌い、僕達の周りを輪になって回り出した。
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ 出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が すべった
後ろの正面 だあれ
真後ろに立った先程の遊女が、肩に後ろからもたれかかる。
もうすぐあたしは自由
籠の鳥は もうおしまい
笑い声と生暖かい息を残して、彼女達は消えた。
「そういう事か。面倒臭い」
僕と直は嘆息した。
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