第282話 望む(1)憑依された動物

 3月に入ったとはいえ、夜はまだ寒い。OLの洋子は、ファッション重視の服装にした事を悔やみながら、帰宅を急いでいた。

 と、前方の暗がりに、何か塊があるのに気付いた。何だろうと目を凝らして、ギクリと足を止める。兎が、赤い首輪の犬に、齧り付いていたのである。

 兎は、そういう生き物だっただろうか?洋子は目を疑って、更にそれを注視した。

 その視線に気付いたのか、兎が犬から顔を上げてこちらを見た。口の周りは血まみれで、その口元を、ニィと嗤うように引き歪めたように見える。

「ヒッ!?」

 兎がこちらに向き直ったのを見て、洋子は失神した。


 リビングで和菓子とお茶のデザートを楽しみながら、僕達は、テレビを見ていた。

「兎がねえ。臆病だったんじゃなかったっけ」

 御崎みさき れん、大学1年生。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「寂しくて死ぬんでしょ」

 風間冴子。姉御肌のさっぱりとした気性の人で、兄の婚約者だ。母子家庭で育つがその母親は既に亡く、バイトで生活しながら作家への道を目指して来た。

「いや、それはデマだ。構い過ぎたらストレスで死ぬとか聞いたぞ」

 御崎 司。頭脳明晰でスポーツも得意。クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。警察庁キャリアで、今は警視だ。

「え、そうなの?寂しがりやだと思ってたわ。一時飼いたかったの」

「飼ってる人に聞いたけど、大変らしいよ、コード類とか壁とか齧られて」

「ああ、俺も聞いた。それでボヤを起こしたりすることもあるとかな」

「怖っ」

「ケージの中に入れて、放し飼いにしなければ大丈夫だろうけど」

 奇しくも兎をかたどった生菓子だったが、誰も気にしない。

「これ、この近くだな」

 事件現場の映像に、見覚えがある。

「外に出る時は、2人共気を付けろよ」

「はあい」

 兄の言葉に、僕と冴子姉はいい返事をした。

 と、僕の電話が鳴り出した。出てみると、協会からで、急な仕事の依頼だった。

「仕事だって。行って来る」

「ああ、お皿とコップはいいから。それより、気を付けろよ。寒いからちゃんと防寒するんだぞ」

「うん」

「直君も一緒よね」

「うん、そう」

「2人共気を付けてね」

 コートを取って来て家を出るまで兄も冴子姉もずっとこの調子で、2人に見送られて、家を出た。

 知っている人に言わせると、「兄というより親」だという。そんな気もする。

 すぐに、直が来る。

 町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。

「霊を憑依させる術の痕跡かあ。また、ロクでも無い事をするやつだねえ」

「ああ。面倒臭い事にならないといいが……」

「なる予感しかしないねえ」

 嘆息して、指示された場所に行く。

 会社員が犬に襲われ、その犬はたまたま通りがかった車にぶつかって死んだのだが、その犬が死ぬ時に、黒い影みたいなものがさっと出て行ったらしい。

 そして犬の体に、何かのマークのようなものが付いていたので、念の為に協会に通報してきたらしい。

 そのマークのようなものというのが、霊を呼び出して憑依させる陣の一部だったので、死体から術師まで辿れないかと呼び出されたのだ。

 犬の死体は、普通に見えた。陣の一部というのは絵具か何かのようで、乾ききる前に犬をその上に寝かせて、毛に写ったらしい。

「死体にパスが通るかどうかも、それでどんな影響が出るかもわからないが、いいか」

 課長が最終確認をしてくる。

 以前ある神を取り込んだ時にできるようになったもので、他にできる人がいないのだから僕がやる以外にない。それに、霊を呼び出して憑依させるなんてことを、放置できない。

「はい。やってみます」

 パスを通す。


 モノクロの犬の視界で、神社の境内にいる事が分かった。そこに、ドッグフードが差し出される。それを夢中で食べると、今度はジャーキーが差し出された。警戒心を薄れさせた犬は、それにも躊躇せずに噛みつく。そこで、水が差しだされた。その水を、勢いよく飲む。

 と、視界が狭く、暗くなって来る。急に眠気が襲って来たらしい。

 不審に思って、顔を、エサと水をくれた人間に向ける。パーカーを着た人間が、覗き込んでいた。胸に、ドクロと死神の持つ鎌のエンブレムが付いている。それ以外、顔などは暗くてわからない。

 それで、真っ暗になった。

 次は、夜空が回り、トラックが見え、もの凄いショックと痛みを感じると共に、アスファルトに投げ出されたところだった。

 立ち尽くすスーツ姿の人がいる。そして、何かが流れ出していくのに気付いて目を向けると、自分の腹から血と内蔵の一部が出ていた。恐らく頭からも出血しているだろう。

 息ができない。やがて、視界が暗く、閉ざされて行った。


 揺さぶられて、背中を叩かれて、我に返った。苦しい。

 呼吸をしていない事に気付いて、吸ってみたが空気が入って来ない。なので吐いてみたら、空気が入って来るようになった。

 動機が凄いし、こめかみが大きく脈打つのがわかる。いつの間にか走った後のように呼吸していた。

「怜、大丈夫か!?怜!?」

「大丈、夫」

 直の声が届き、五感が正常に戻るのを感じた。

「死体につなぐのはやばいな。禁止した方がいい。絶対にやるなよ」

 課長が、深刻そうな顔をしていた。

「神社で、ドッグフードとジャーキーと水を貰ったみたいで、その水に睡眠薬でも入っていたようです。その後はトラックにはねられた直後に飛んで、術師も場所も出て来ませんでした。

 エサを与えたのはパーカーを着た若い男で、胸に、ドクロと鎌の模様のエンブレムが付いていたくらいしかわかりませんでした。すみません」

「そのマークは、最近チェックしてる集団だ。お手柄だぞ。弱者を虐げているやつらを悪霊の力を借りて懲らしめてやろう、なんてビラをまいてるらしくてな。アジトならわかっている。監視を強めて、証拠を押さえてやろう」

 ああ、役に立ったんなら良かった。

「お疲れさん。今日はもう帰れ。町田、頼んだぞ」

「はい。お疲れ様でしたあ」

「失礼します」

 僕達は一礼して、現場を後にした。やれやれ。やっぱり、面倒臭い事になりそうだ。



 

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