第275話 背中(4)背中で語れ

 司と前任者の前泊は、空いた会議室で話をしていた。前泊にも話を聞きたいと思っていたところ、向こうから声をかけて来たので、これ幸いとついてきたのだ。

「色々調べてるみたいだねえ」

「はい。襲って来る霊に心当たりがなかったものですから」

「で、わかったのかい」

「田代という、前泊管理官のご友人の会社で横領をして自殺したとされている男でした」

「されているも何も、そのままだよ。もうそれで決着済みだ。ほじくり返しても誰も得はしないよ」

「しかしこのままでは、どうも人違いのまま恨み殺されかねませんし、疑問もあります」

「霊は協会に依頼してるだろう?弟さんも、放って置かないだろうし、そう心配ないだろう。

 だが、疑問とは何かな。繰り返すが、弄り回すのはやめたまえ」

「……」

「君には期待している上層部は多い。勿論僕も期待しているとも。君も、ここで終わりたくないだろう」

「……おっしゃる意味が、わかりかねますが」

「……日本の安全にとって大切な法案を通したいと思っていてね。賛成して下さる先生も、過去の終わった事件にこだわる暇などないと仰る。その通りだと思わないか?

 君さえよければ、手伝ってもらってもいいんだがね。官房長官秘書官がもう空くし、総理秘書官がよければそっちを空けさせるが」

「政治に興味は、ありませんので」

「ほう。じゃあ、県警本部に出て本部長でもやるかい?」

 司は、肚に力を込めた。

 これでは、裏があると言っているも同然ではないか。しかもこの流れ、登場人物。

「不正献金か、贈収賄ですか」

「それを上手く利用してこそ、だろう」

 前泊は、笑った。

「君も、わかるよ。特権の使い方が。いや、そろそろ覚えてしかるべき頃だな」

「私は、まずは警察官だと思っています。

 弟はいつも私の背中を見ています。だから私は、弟に恥ずかしい背中を見せるわけにはいかないんです。胸を張れない行いは、できません」

「そうか。非常に残念だよ」

 前泊は肩を竦め、窓の外へ視線を移した。

「失礼します」

 司は一礼して廊下へのドアを開け、そこで、飛びのいた。

「田代!」

 振り返る前泊と司の前、会議室の前に、誰にもわかるほどに実体化した、田代の霊がいた。


 霊の気配の元に向かってとにかく急ぐ。すれ違う人が何事かと目を丸くするが、知った事か。

 と、会議室から兄ともう一人が飛び出して来た。遅れて、実体化した霊が廊下に姿を現す。すぐに刀を右手に出し、直の札をブースターにして霊と兄達の間に飛び込み、まずは一閃する。

「下がって!司さん、こっち!」

 直が、来合わせた人間と兄達を霊から引き離すように誘導する。

「怜、できれば話を聞きたい」

「わかった。祓わずに、削ぐ」

 霊はバカにされたと思っているのか、邪魔をされたと思っているのか、とにかく怒っている。


     カイチョウノユウジン キカクカカチョウホサ

     ジョウホウダケトッテ マモルヤクソクヲムシシタ

     オレハ ソウエンカイニ コロサレタ

     ムスメハ ハダンダ

     ユルサナイ オマエモ ハメツシロ


 そこで兄が口を開いた。

「確かに企画課課長補佐は自分だ。しかし、事件の後からで、事件当時は警察大学にいたが」

 霊は、戸惑ったように見えた。

「本当だ。何なら、人事記録を見るか」


     デハ ダレダ


 兄といた男が、後ずさる。

「何があった、田代」


     マジマダイジンニ カイシャハカネヲ ワタシテイタ

     ソノショウコヲ キカクカカチョウホサニ ユウソウシテ

     カワリニ オウリョウヲ ミノガシテモラウヤクソクダッタ

     ナノニ ソウエンカイニ コロサレタ


「事件があったのはいつだ」

 野次馬の中から、声がかかる。

「け、刑事局長!」

 兄といた男が、裏返った声を上げた。


     アキ コトシノ 9ガツ


「9月に企画課課長補佐だった人間か。詳しく話を聞かんとな」

 霊は怒りを取り戻したように、冷気を撒き散らした。

「兄ちゃん、もういい?」

「ああ、いい」


     ダレダ ダレダ ダレダ

     ダマシタナ


「騙されたのは気の毒だったな。でも、いつまでも恨んでいたも仕方ないだろう。横領は事実だし」


     イヤダ ミチヅレニ シテヤル

     ドイツダ オマエカ


 霊は、兄といた男に向かって、異様に長い腕を伸ばした。

 ヒッ、と声を上げて尻もちをつく男の前で、その腕を斬り飛ばす。

「なあ。苦痛が伴うから、強制的に送りたくはないんだがな。逝ってくれないか」


     コロス コロス コロス コロス コロス


 僕は溜め息をついた。

「そうか」

 腕を精一杯に伸ばして襲い掛かる霊を、踏み込んで、一刀で切り伏せる。


     ギャアアアァァァ……!!

     スマナイ みかこ 


 霊が消え、ホッとした空気が流れた。

「刑事局長」

「9月の時点で企画課課長補佐だったな、前泊管理官」

「そうですが、その、霊の言う事など」

 兄といた男が立ち上がってそう言い訳するのに、野次馬の中から出て来た1人が、スマホを掲げる。

「課長?」

 兄の上司らしい。

「『弟はいつも私の背中を見ています。だから私は、弟に恥ずかしい背中を見せるわけにはいかないんです。胸を張れない行いは、できません』ちょっと嫌な予感がしてね。聞かせてもらったよ。御崎君は大事な部下なんでね」

 言いながら肩を竦める。

「あの後、御崎君の事を誰に知らせるつもりだったのかな。蒼園会かな、真島大臣かな」

 男は、顔色が変わるくらいに歯を食いしばっていた。歯ぎしりの音が聞こえそうだ。

「詳しい調査が必要なようだな。監察に連絡を。それと、その録音データを提出してもらおう」

 刑事局長は秘書を従え、兄と兄の上司らしい男の肩を軽く叩いて歩き去った。

「兄ちゃん」

 緊張していたらしい兄が、息を吐く。

「いいか、怜。お前もこの道を目指すなら覚えておきなさい。キャリアは確かに色々と特権がある。でもそれで、思い違いをしてはいけない。それに伴う職務や責任があるからのことだし、キャリアであると共に、警察官だ。常に襟を正し、モラルを重んじ、公明であらねばならない。わかったな」

「はい」

「心配をかけたな。直君も、ありがとう」

 僕と直は頭を撫でられながら、やっぱり兄ちゃんはかっこいいな、と思っていた。

 野次馬も散り始める。

「あの人、どうなるんだろうな」

「さあ。事件が表沙汰になるかどうかはわからないが、無かった事にはならないだろう。これだけの騒ぎだし、刑事局長は清廉な人だから、無かった事にはしないはずだ」

「政治って、やだねえ」

「面倒臭いなあ」

 揃って嘆息する僕と直に、兄は苦笑して、下まで送ってくれた。

「あ」

「ごめん。忘れてたねえ」

 冴子姉が、突入しようとして、止められていた。

「凄い騒ぎで、悪霊が出たとかいうから!」

「ああ、無事、終わった」

 冴子姉はガックリと肩から力を抜いた。

「なあ、冴子。警察官である以上、危険なことは無いとは言えないし、逆恨みだってありうる。それでも結婚してくれるか」

「はあ?当然でしょ」

 温かい拍手が、沸き起こった。

 ああ。いろいろ片付いて、良かった。そう思う、僕と直だった。




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