第272話 背中(1)兄を狙うもの

 新春セールも落ち着いたスーパーは、節分とバレンタイン商戦に沸いていた。毎年節分の日は、巻き寿司と鰯の塩焼きは外せないので、前日から高野や干瓢を炊いて準備し、何種類か巻く。その内の一本は丸かじりなので、噛み切りやすさと太さが重要だ。高野等では具がこぼれるので、大抵、カニカマかカッパあたりにする事が多い。

「食べたい具ってある?デパートみたいに、豪華なやつがいい?」

 僕はパンフレットを見ながら、訊いてみた。

 御崎みさき れん、大学1年生。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「食べ難いだけでしょ。御崎家の、スタンダードがいいわ。

 あ、でも豆は青のり風味のが好き」

 風間冴子。姉御肌のさっぱりとした気性の人で、兄とは恋人関係と言っていいと思う。母子家庭で育つがその母親は既に亡く、バイトで生活しながら作家への道を目指して来た。

「青のり風味。僕も好きだな」

「止まらないのよねえ」

「わかる、わかる」

 僕と冴子姉は意気投合して、豆は青のり風味で行こうと決めた。

「兄ちゃん、じゃあ今年もいつもみたいにしていい?カニのと、高野のと、マグロとイカのと、テリヤキチキンのと、飾り巻き。丸かじりは、きゅうりが今年は高いから、明太子で」

「ああ、いいぞ」

 御崎 司。頭脳明晰でスポーツも得意。クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。警察庁キャリアで、今は警視だ。研修も終わり、今は警察庁刑事局で課長補佐をしている。

「わくわくしてきたわね」

 僕達3人は、一緒に買い物に来ていた。少し遠くにできたばかりの、外資系のスーパーだ。日本では見た事の無い商品も多く、見ていて楽しい。

「それにしてもあのカラフル過ぎるドーナツとか。凄かったなあ」

「おもちゃみたいだわ」

「添加物とか、凄そうだな」

 3人で言い合いながら、外の平面駐車場に停めた車を目指していると、どこかでザワリと霊の気配がした。

 上だったな、と上を見上げる。すぐそばには立体駐車場があり、車が並んでいるのが見えた。2階、3階、と気配の場所を探す。

 その時突然、ガシャンと大きな音がして、金網が落下して来た。と思う間もなく、車がいきなり宙に飛び出して来た。

「車が!」

 声を上げた時にはグイッと腕を引かれており、車が落下してきて無残な姿になった時には、冴子姉と2人、兄の背中に庇われていた。

「何だ、事故?また、ブレーキとアクセルを踏み間違えたとか?」

「誰も乗ってないぞ」

 周りにいた人が口々に言う。

 確かに誰も乗っていないし、エンジンを切って時間が経っているのを示すように車体が冷たい。ブレーキをきちんとかけていなかったとしても、あんな勢いで金網を破って落下してくるのは考えづらい。

「兄ちゃん。これが落ちて来る前、霊の気配がした」

「霊がやったのか?誰かを狙ったか、イタズラか」

「けが人がいなくて良かったけど、車の持ち主は気の毒ね」

 駆けつけて来る警察官に霊の事を伝えるべく、僕達は、その場で待つ事になった。


 翌日の放課後、相変わらず殺伐としたような法学部ラウンジを抜けて、外へ出た。

 東大では法学部が一番大変と言われており、受ける授業も多い。2年生になったらわかると皆に言われていて、誰もが恐れ、慄いている。よりによって隣は東大で一番緩いと言われている文学部で、余計に、砂漠と呼ばれる法学部との違いが目に付くのだ。

 まあ、しかたがない。

「来年からは、ああなるかもな」

「しっかりしないとねえ」

 直は、鬼気迫る目付きで自習している先輩を思い出すように言った。

 町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。

 そそくさとその場を離れようとした僕達だったが、見知った顔を見つけた。

「あれ。徳川さん」

「ああ、いたいた」

 徳川一行。飄々として少々変わってはいるが、警察庁キャリア組警察官で警視正。なかなかやり手で、必要とあらば冷酷な判断も下す。陰陽課の生みの親兼責任者で、兄の上司になった時からよくウチにも遊びに来ていたが、すっかり、兄とは元上司と部下というより、友人という感じになっている。

 僕達を見つけて、足早に寄って来た。そして、ニコニコしたまま、小声で言う。

「大きい声を上げないで、落ち着いて。

 御崎君が階段で何者かに突き落とされた。ケガはないから――!安心して。それで犯人だけど、目撃情報からもカメラ映像からも、人間じゃなさそうなんだ」

「霊?」

「たぶん。見て欲しくて、車で迎えに来た」

「行きます。

 昨日のも、兄ちゃんを狙ってたのかな」

「御崎君もそう言ってたよ」

 僕達はそそくさと車に乗って、警察庁に向かった。

 兄は運動神経に物を言わせて上手く受け身を取ったらしく、かすり傷すらなかった。流石は兄ちゃんだ。

 まず無事を確認したら僕も落ち着いて、直と2人、庁舎の階段の映った防犯カメラを見た。誰も、押したりした人間はいない。なのに、透明人間に背中を押されたような姿勢で、兄が前方に突き落とされる様子が映っていた。

「近くにいた人も口をそろえて、体が当たるような距離に誰もいなかった。でも、誰かに背中を押されたようにしか見えなかった。そう言っている」

「兄ちゃんは」

「背中に圧力は感じたな。でも確かに、そんな近くに人はいなかった」

 そう言う兄に、今は憑りついている気配は無い。現場にも、気配は無い。

「また来るかもしれないねえ。お守りを持ってた方がいいと思うねえ」

「頼む、直」

 直は札にさらさらと指を走らせ、それを小袋に入れて兄は首から下げた。

「取り敢えず、他にできる事はないな。仕事に戻ります。

 直君、怜、わざわざありがとう。気を付けて帰れよ」

「司さんこそですからねえ」

 まだ仕事をするという兄と別れて家に向かいながら、僕と直は、まだ見ぬ霊を捕まえる事を心に誓った。




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