第265話 交換日記(1)苦学生の苦悩
メール、ライン、チャット。幾らでも便利な通信ツールがある世の中で、廃れていくものというものはある。例えば電話。かけるタイミングに迷い、メールでないと話せない人間がいるそうだし、メールで、先に「今から電話してもいいか」とお伺いを立てないと失礼だと怒る人もいるらしい。
それから、文通。年賀状すらメールに押される昨今、便せんに言葉を綴って、切手を貼って、というのは、残念ながら少数派であるだろう。
それと同じく交換日記も、古き良き時代のアイテムと言えるようだ。
筆跡やインクの色。個性と温かみがあって、これはこれでいいものなのだが、中学生ですら携帯電話を持っている子が多いという現代では、絶滅危惧種並みの少数派に違いない。
その交換日記を始めようという大学生がここにいた。貧乏学生、斉田和臣。学校、バイトのかけもちと忙しい、苦学生というやつだ。相手の女性が夜勤なこともあってなかなかスケジュールが合わず、交換日記という手段が1番だと思えたのだ。
大学ノートを開き、ドキドキとしながら、今日あった事から書き始めた。筆跡にも注意して、丁寧に。
授業中に隣になった女子学生が持っていたハンカチが、なんと忍者の色々なポーズをプリントした面白そうな柄だった事。バイト帰りに見た月がとてもきれいだった事。
そんな他愛もない事を書いて、読み返して、翌日の朝、アパートの隣の部屋に住む彼女のポストにそっと入れるのだ。
そこまで聞いて、智史は溜め息をついた。
「甘酸っぱいなあ。ええなあ」
郷田智史。いつも髪をキレイにセットし、モテたい、彼女が欲しいと言っている。実家は滋賀でホテルを経営しており、兄は経営面、智史は法律面からそれをサポートしつつ弁護士をしようと、法学部へ進学したらしい。
「ロマンだね」
真先輩も、微笑みを浮かべて頷く。
南雲 真。1つ年上の先輩で、父親は推理作家の南雲 豊氏、母親は不動産会社社長だ。おっとりとした感じのする人で、怪談は好きなのでオカルト研究会へ入ってみたらしいのだが、合わなかったから辞めたそうだ。
「でも、何か問題があったから、ここへ来たんだよねえ」
おっとりと直が訊く。
町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。
「交換日記が、鍵ですか」
僕は、話を促した。
ここは学内のサークル棟の一角にある心霊研究会で、斉田さんが相談を持ち込んで来たのだ。
「はい。絶対とは言えないんですけど、日記に書いた人が、どうもその後怪我したりするんです。でも、彼女はここに来た事も無いし、昼間は来てる暇も無いし、偶然なのかな、とも思うし」
斉田さんは、困ったように眉を寄せた。
斉田さんによると、忍者柄のハンカチの事を書いた翌日、ハンカチの持ち主の千野さんは、階段から落ちて骨折したという。それだけでなく、足首に、掴んだような手形がアザになって残っていたという。
「生霊?」
智史と真先輩は、声をそろえた。
斉田さんに、現在は霊は憑いていない。残り香のようなものはあるが。
「後は、学食の、てんぷら・きつねうどんって知ってますか」
「ああ、あれ。絶対に間違うやつだよね」
真先輩が頷く。
学食メニューなのだが、短冊状の紙の上半分にてんぷらときつねを並べて書き、その下、2行の真ん中にうどん360円と書いてあるのだ。ほぼ全ての人が、きつねうどんもてんぷらうどんも360円、だと思うのだが、これが違うのだ。てんぷらとあげの両方が載ったうどん、というメニューなのである。
「何であんな、間違えそうな書き方してるんやろな」
「誰でも間違うよねえ」
「そう。たまたま司書の女の人が一緒になって、食券出して『あの、きつねうどんの方で……』って言ってるのを見て、その事を書いて、『紛らわしい書き方だと思うよね』って日記に書いたんだけど、次に日、その司書が髪をシュレッダーに巻き込まれて、大惨事寸前だったって聞いて」
シュレッダーにかがみ込んだ拍子に長い髪などを巻き込む事があるが、あれは怖いらしい。凄く引き込む力が強くて、ほんの5本程でも、抜けないらしい。裁断の音を立てるシュレッダーに顔は近付いて行くし、慌てるやら怖いやらと、髪の長い女の子が話しているのを聞いた事がある。手探りでスイッチを探したのに見付からず焦っていたら、気付いた人がスイッチを切って助けてくれたそうだ。
余談ながら、その助けてくれた人と付き合う事になったというのが、その話のオチらしかった。
「それでかあ。峰岸さん、ロングだったのに、ショートヘアになってたよねえ」
直が、納得したように言った。
「生霊なんかな」
「でも、彼女、その2人を知りませんよ」
「日記で、彼女は何て書いてあったんですか」
「とりたてて、感想はありませんね。『変わった柄ですね』と、『紛らわしい書き方ですね』です」
わざと、そっけない態度でいるのだろうか。
「他に、誰かの事を書いた事はありますか。例えば、男とか」
訊いてみたが、
「いえ、ありません」
という事だった。
5人、同時にコーヒーを啜り、目を交わす。
「やってみるしかあらへんやろ」
「誰がかねえ?」
「それは……ジャンケンで」
「いやいやいや、真先輩、それは危険やで」
「まあ、僕か」
「皆で見守ろう。合宿だね」
「さあ、何て書こか。ちょっと、仲ええ感じというか、怪しい感じがええな」
智史が嬉しそうだ。
そして斉田さんは、次の日記に書く内容をルーズリーフにまとめ始めた。
ああ、何だろう。面倒臭い。
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