第245話 妄執(1)冴子姉のピンチ
春はよくおかしな人が出ると言われるが、夏もまた、おかしな人が出ると言われる季節だ。
僕はその人を見かけて、心配になった。暑さでやられてしまったんだろうか。勿体ないが口癖の人なので、クーラーをつけずにやばい事になってしまったんじゃないだろうか、と。
「冴子姉」
潜めた声に、電柱の影から自分の家を張り込んでいた冴子姉が飛び上がる。
風間冴子。姉御肌のさっぱりとした気性の人で、兄とは恋人関係と言っていいと思う。母子家庭で育つがその母親は既に亡く、バイトで生活しながら作家への道を目指して来た。ほとんど毎日我が家へ来ていて、アパートへわざわざ寝に帰るのは面倒臭いんじゃないか、もう家でいいじゃないか、と僕は思っているのだが。
「ああ、びっくりした。怜君に直君」
「スパイごっこですか。それともかくれんぼですか」
「どっちにしろ、暑いのにねえ」
町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。
「違うわよ。ほら、あれ」
言われて、同じように電柱の影から覗き込む。ああ、不審者トリオになってしまった。
しかし見た先にも、不審者がいた。スーツ姿のできそうな感じの男が1人、手下という感じの男が2人。冴子姉の部屋辺りを見上げては、何やらひそひそと言葉を交わしている。
「やばい何かにケンカ売ったんだ」
「違うわよ、失礼ね」
「やばい何かからケンカ買ったんだねえ」
「あんた達、私を何だと思ってんの」
聞きたいの?自覚ないの?
「とにかく。バイトから帰って来たらあいつらがいたのよ。ここんところ、私の事を聞きまわってるやつがいるらしくてね」
「ううん。思い当たるふしはないかねえ」
「考えてみたんだけど、これと言って」
「素行調査だったら、ばれないようにやって終わらせるよな」
「あれは、冴子姉に用があるみたいだねえ」
「嫌よ。気持ち悪いし鬱陶しい」
「わかった。冴子姉、うちに来た方がいいよ。危ないやつだったら困るし。いなくなるのを待って、荷物を運び出せばいいよ」
「その方がいいねえ」
「そうね。逃げるようで腹が立つけど」
「安全にはかえられないよねえ」
というわけで、目を残して一旦家に帰り、そいつらが立ち去ったのを確認して、急いでアパートに冴子姉の荷物を取りに行ったのだった。
食卓を囲んで今日あった話をしたら、兄がピクリと眉を寄せた。
御崎 司。頭脳明晰でスポーツも得意。クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。警察庁キャリアで、今は警視庁警備部に所属する警視だ。
「大丈夫よ。怜君と直君が通りかかって助かったわ。
これ美味しいわね」
今日の夕食は、シメサバとサーモンとウナギの押し寿司3種、冬瓜とベーコンのコンソメ煮、水菜と大根と人参とトマトと卵のサラダ、アサリの味噌汁だ。押し寿司は酢飯に白ごまとみじん切りの甘酢ショウガを混ぜ、2段にして間に青じその千切りを挟んだ夏向きバージョンだ。冬瓜は、表面の硬い皮をできるだけ薄く剥いて、米のとぎ汁で下茹でをしたら、皮は綺麗な翡翠色に、身は白くてふっくらとする。
「それで、そいつらの身元なり目的なりはわかったのか」
「車は探偵事務所の物だったよ。手下っぽいやつの片方もね。通行人のふりをして車に目を付けておいたら、探偵事務所に入って行ったんだ」
「そうか。あとで詳しく教えてくれ。明日調べる」
「うん」
本気だな。
「というわけで、しばらくお世話になります」
「ああ、構わない」
「もう、アパート引き払っちゃえばいいのに。勿体ないよ」
「グッ」
兄と冴子姉が、同時にむせた。今更なのになあ……。
翌日、兄は仕事に、冴子姉はバイトの無い日だったので外出禁止に、そして僕は冴子姉のアパートへ行った。
今日もどうせ来るだろうと思っての事で、鍵を借りて、中で待っている。直も、付き合ってくれていた。
「来た」
黒い、高そうな車がアパートの前で止まり、昨日のできそうなスーツ姿の男が降り立った。
それに続いて、後部座席から高そうなスーツを着た初老の男が降り立ち、こちらを見上げて来る。
「……誰だ、あいつは」
僕も直も、緊張する。
初老の男から、死の気配が色濃くしていたからだ。
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