第196話 みかん(4)みかんをむいて

 みかんを食べようとして剥く。と、顔が現れ、ギロリと目がこっちを睨む。

「ヒイッ!」

 みかんを慌てて投げ捨てて、よく見ると、普通のみかんだ。投げつけられて、潰れ、果汁を撒き散らしている。

「ああ、もう、イライラする!」

 ミカンは頭を掻きむしって、抱え込んだ。


 橋の下はもう規制線も無く、花束と缶コーヒー、コンビニのおにぎりが供えられていた。

 そして、立ち尽くす青年の霊がいた。

「こんだらさんですよね。何があったんですか」

 こんだら氏は黙って立ち尽くしていたが、力の無い声を上げた。

「会社で、課長のパワハラを受けて……皆も、一緒に笑いものにして……彼女の前でも、無理やり恥ずかしい事をやらされて……それで、軽蔑されて……」

 段々、涙声になっていく。

「休職しなければ無理で……でも……復職しようとしたら、辞めろって……あいつら……」

 そこで、声色が変わった。

「それで相談した。ミカンさんは親切で、復讐したいって言ったら、手伝ってくれるって。遺書なら新聞とかではあいつらの名前が保護されるから、ネットで晒せば、拡散して、報いを受けさせられるって。

 それで、あいつらの名前を言って、死ぬのを録画した。

 なのに、まだネットに上げられてない。あいつらは、のうのうと笑ってる。何でだ。許せない。あんな酷い事しておいて。まだなのか。早くしてくれ。あいつらをひどい目に遭わせてくれ。許せない。早く。早く」

「落ち着いて下さい、こんだらさん。

 あなたの姿を、ミカンという人が録画していたんですね」

「そう」

 捜査員が色めき立つ。

「ミカンさんと約束したんですね」

「そう、そうだ」

「動画をアップする。そうですね」

「そう、そう、そう、そう」

「きっと、己の行動の報いは受けるでしょう。だから、もう、逝きましょう。いつまでもこんな寂しいところに縛られる事はありませんよ」

「ううう、うああ……」

「ここは寒いでしょう。あなたは頑張った。次は、良い事がありますよ。今よりずっと、楽しい事がありますよ。恨んでばかりいても、あなたが損です。

 あなたがしたかった事は何ですか。あなたのなりたかったものは何ですか」

「あああ……教師、かな……」

「では、それになりましょう」

「教師……次は、教、師……」

 こんだら氏は顔を上げ、薄っすらと笑みを浮かべた。

 そして、光る粒子になって、消えて行った。

 手を合わせて見送っていた捜査員達は、フッと表情を引き締めた。

「さて。今度は俺達の番だな」

「はい!」


 その部屋に入ると、まずはパソコンの前で震えるミカンが目に入った。そして次は、大量の、皮を一部だけ剥きかけて壁に投げつけられて潰れたみかんの山。

「助けてくれ、首が転がって、目がこっちを睨んで、たくさん」

 うわごとのように繰り返すミカンは、逮捕しに来た捜査員に縋り付いて泣き出した。

「甘ったれるな!てめェがやった事をわかってんのか、ああ?」

 腹に据えかねたベテランの刑事に一括されて、ミカンは号泣しながら

「すみません、すみません」

と謝る。

「俺に謝っても仕方ねえんだよ。

 ま、話は署でじっくり聞かせてもらおうか」

 苦虫を噛み潰した様な顔で、刑事がミカンを連行して行く。

「ああ。これがこれまでの犠牲者ですね」

 犠牲者の名前をマジックで書いたCDを見つけて誰かが言う。

 その横で、僕と直は、他の刑事と霊の気配が残るパソコンを見た。

「うわあ」

「ん、何?」

 そばにいた刑事も覗き込んで、引く。

 こんだら氏のその時が再生されていた。転がった頭部が止まる。そしてその目がギロリとこちらを見ると、ニィと口の端を吊り上げて嗤い、フッと、俯き加減に戻る。

「成仏、してるんですよね」

「はい。これはここに残されていた、残り香のような、きれっぱしのようなものです。影響を及ぼすようなものではありませんし、今、ミカンの逮捕で気が済んだようで消滅しました。

 今逮捕できていなければ、きっと、精神的に追い詰めて、自殺させる気だったんでしょうかね」

 言いながらも、気が重い。

 次のターゲットであった女の人が無事だった事だけが、救いのような気がした。


 向かい合って、兄とみかんを剥く。

「こうやって、いつも兄ちゃんが剥いてくれてたなあ」

「どうした、突然」

 兄が、軽く笑う。

「いや、何となく思い出して。何かと兄ちゃんには面倒かけたけど、嫌じゃなかったの?中学生とかで」

「小さい弟ができて、俺は構いたくて構いたくて仕方がなかったし、怜はひたすら甘えて来るし、親父とお袋は手がかからないって2人でラブラブだったし。まあ、全員にとって、都合良かったな、あれは」

「そうだったっけ」

「大体、親父は丁寧だけど遅い、お袋は早いけど雑だった。おしめを換えようとして、親父がやったら時間がかかり過ぎてお前が風邪をひきかけたことがあったし、お袋がやったらきちんと留まってなくてスポーンと取れた事があった」

「え、それ、ちょっとひど過ぎない?兄ちゃんでも経験してるのに」

「時間が経って忘れたんだと」

「うわあ……」

「それで俺は、任せっぱなしにはできないと思ったんだよな。俺が守らなければ、大変な事になるんじゃないかとまで思ったよ」

「それは、うん、ありがとう」

「やりたくてやってきただけだ」

 言って、誤魔化すように、剥いたみかんを口に放り込んできた。

 だからお返しに、僕の剥いたみかんは兄の口に入れた。

「美味しいな」

「そうだな」

 兄ちゃんがこの人で良かった、そう思った。









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