第186話 ここにいる(1)赤い手形
熱気がアスファルトの上に蜃気楼を生み、景色がゆらゆらとして見える。これならいっそ、軽い冷夏が来たら普通の夏になるんじゃないかとすら思える。
「早朝でも30度超えって、たまらないな」
「熱中症で亡くなる人も多いしねえ。そろそろ氷河期って、地学の時間に聞いたんだけどねえ」
町田 直、幼稚園からの友人だ。要領が良くて人懐っこく、驚異の人脈を持っている。一年の夏以降直も、霊が見え、会話ができる体質になったので、本当に心強い。だが、その前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた、大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。
僕達は大学受験に向けて、夏季特別講習という予備校の短期講座を受けに行く途中だ。志望校の合格ラインに対してどんなものか、講座の最初と最後にテストを行うのがウリらしい。
と、突然、通りすがりのコンビニの駐車場から声がかかった。
「何だ、2人で遊びにか。それとも仕事か」
そこにいたのは、心霊研究部顧問にして、師匠である京香さんの弟、辻本先生だった。ピカピカの車の傍に立って、機嫌よく笑っている。
「先生。こんにちは。僕達は夏期講習ですよ」
「こんにちは。先生こそどうしたんですか。てっきり、どこかに石でも掘りに行ってると思ってたのにねえ」
「車を買ったんだよ。ほら、これ。ボーナスはこれとかもうすぐ生まれる甥か姪の祝いにいるし、発掘は冬休みに行く」
「これから、冬は冬でクリスマスプレゼントとかお年玉がいるし、誕生日もありますよね」
先生は、「考えてなかった」という顔を一瞬してから、遠い目で空を見、再び僕達に目を戻した。
「暑いから、外歩くの、注意しろよ。時間があれば送ってやるんだけど、姉を検診に連れて行くから」
と済まなそうに言って、僕達は別れた。
「検診か。男の子かな、女の子かな」
「どっちにしても、元気な子で……ああ……健康な子だといいねえ」
「そうだな。京香さんに似たら、肝臓はオリハルコンかもな」
「康二さんは意外と精神がタフだし、タングステン製かもねえ」
「丈夫が何よりだよな」
「そうだねえ」
僕達は話しながら、冷房のかかった予備校のビルにそそくさと入った。
バルサミコ酢を煮詰めて醤油を少し混ぜる。そのソースを皿にスッと引いて、ローストポーク、ブロッコリー、人参のグラッセを盛りつけた。後は、野菜のマリネ、トマトリゾット、スープ。ワインの代わりに、絞ったグレープフルーツを炭酸水で割ったものを添える。
ローストポークにソースを付けて食べ、うん、と兄は頷く。
「柔らかいし、ソースも美味いな。ああ。食欲が湧いて来るな」
よし!夏の疲れが出る頃だと思ってこのメニューにしたが、正解だったな。
御崎 司。頭脳明晰でスポーツも得意、クールなハンサムで、弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の、自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。去年の秋から警備部企画課に配属されているが、来月から、今の上司の異動があって、課長になるそうだ。
「辻本先生か。確かに発掘に行くのに、国内だと車があった方が便利かもな」
「荷物が多くて重そうだもんなあ」
「免許か。怜は大学に入ったら取るんだろ?」
「ん、そうだなあ。不便な事もあったし、やっぱり取っておこうかなあ」
「バイクには興味は無いのか?」
「夏は暑そうだし、冬は寒そうだし、エアコンのかかる車の方がいい。それに荷物も、車の方がいっぱい乗せられるし」
なぜか兄は吹き出しそうになってから、
「そうか。まあ、車の方がまだ安全だろうし、その方がいいな」
と言った。
「兄ちゃんは、バイクに乗りたかった?」
「ああ、むしろ今かな。急いでるのに渋滞の時とかに、バイクがスーッと通ったら羨ましくなる事はあるし、白バイはやっぱりカッコいいと思うしな」
「ああ、白バイ」
そうかあ。兄ちゃんもそうなのかあ。
その日は、白バイやらスピード違反の取り締まりの話で盛り上がったのだった。
翌朝、ドアチャイムが鳴るから誰かと思ったら、先生だった。
「なあ、御崎。昨日、車に手形なんてあったか?」
挨拶もそこそこに来客用駐車場に行き、車を見たら、車体に、赤い手形がひとつ、ついていた。
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