第172話 はないちもんめ(3)呪われた離れ
ご飯、味噌汁、小魚の佃煮、南瓜の煮物、ほうれん草のおかか和え。居間の座卓を囲んで、それを黙々と口に運ぶ。食事中は喋ってはいけないらしい。
双龍院当主の康太郎氏は、頑固で厳しそうな、いかにも田舎の名士といった風情だったし、夫人の富紀さんも、厳しい昔ながらの人、という感じだ。2人共無口で、笑わない。挨拶も通り一遍に済ませ、
「詳しい事は、康一と奈津さんに聞くように」
で終わり、部屋に引き上げて行った。ますます、横溝正史っぽい。
同居だったら間違いなく苦労しそうだ。
奈津さんを手伝って洗い物を済ませ、康一さんの案内で、家を見て回る。
全体的に暗いと思ったのは気のせいではなかったようで、朝になっても、どこか暗い。仏間には先祖達が舅、姑よろしく居座っており、廊下を御女中が歩いている。庭には武士がおり、竹刀を振っていた。
「双龍院家って、元は武家ですか」
「昔は大名だったそうだよ。よくわかったね」
「なんとなく」
武士と御女中の幽霊がいるからとは言えない。
「結婚式は夕方からこっちの離れで始めて、10時頃に披露宴がお開き。康二と京香さんは、その晩はこっちで寝て、朝食は入り口に置いておくからそれを食べて、昼に母屋へ戻って来るんだ。
それで仏間で手を合わせて、おしまい」
説明を聞きながら、ぞろぞろと渡り廊下を渡って離れに行く。
行く前から、ここには嫌な気配がひしめいているのがわかる。段々表情が硬くなる京香さんに、
「昔からのしきたりらしいんだよ。まあ、離れで2人になったら気が楽になるから。
康二、京香さんを気遣ってやれよ。気疲れするにきまってるんだからな」
と、康一さんは気遣いを見せる。
そうじゃない、と、喉まで出かかる。
うじゃうじゃという感じで、霊がいた。全部女性だ。着物姿だが、豪華そうな奥方とか姫とかいう感じのもいれば、御女中、仲居、端女という感じのもいる。年齢も、子供から初老までと幅広い。
それらが皆、恨み、憎しみ、悲しみ、妬みといった感情で支配されている。
直も、顔を強張らせていた。
「ここは、何の建物だったんですか」
表情に感情が出難いのが、こういう時は助かる。
「よくは知らないけど、次の当主一家が住んだとか、隠居した前の当主夫婦が住んだとか、使用人が住んだとか聞いたなあ」
「まあ、当時の建物は取り壊されていて、これがどれか、わからないんだよ」
苦笑を浮かべて、康一、康二兄弟は答えた。
床の間には山水の掛け軸がかかり、伊万里焼の壺が飾られている。そのそばで、口の端から血を垂らした女が動かない赤ん坊を抱いている。文化財クラスの立派な欄間には、その隙間からこちらを睨みつける目がたくさん見えた。息苦しさに目を廊下へ向ければ、たくさんの綺麗な着物を重ねてはおり、じゃらじゃらと簪をつけた女がフラフラと歩いている。仕方なく天井を見上げると、美しい彩色を施された天井板に重なって血しぶきと血の手形が見え、足元へ目をやれば、血の海の畳からたくさんの手が生えて揺れていた。
逃げ場がない。
わたしの赤子はどこぉ
わたしがいちばんきれい
いえにかえりたいぃ
くやしい、くやしい、わたしはわるくないぃ
あれは双龍院家のおとこ
よくもぉ
あのおんなは赤子がいるのか
わたしはうめなかったのに
うませるな
ゆるすな
ながしてしまえぇ
ギロリと、一斉に皆がこちらを見、そして、1歩、1歩、近付いて来る。
「ええっと、大事な師匠のためです。ここは僕達で掃除させてもらえませんか」
「お世話になったから、ちょっとでもねえ」
「康一さん、康二さん、掃除道具を貸してください。どこかなあ」
直と2人で、皆をグイグイと強引に渡り廊下へと追いやって、離れを出る。
「え?いや、お客さんに掃除なんて」
と戸惑う2人だったが、京香さんが、
「修行先の京都の津山先生の所では、弟子や弟弟子がそうやって感謝しながら思い出を辿るみたいなのがあるのよね。だから、是非。お願いします」
と合わせてきたので、そんな風習は無いが突然でっち上げられた。
「そうかあ。それもいい風習だねえ」
「それじゃあお願いしようか」
康一さん、康二さんがありもしない風習に感動するのには気が引けたが、背に腹は代えられないと言うしな。
「じゃあ、ぼくも」
余計な事を言い出す先生は、
「あんたは庭掃除でもしてちょうだい」
と京香さんに強引に仕事を振られていた。
その時、様子を見に来たのか、富紀さんがいつの間にか渡り廊下に現れていた。
「あ、母さん」
富紀さんは何かを探るように僕と直の顔を見て、
「せっかくですから、その良い風習をお願いしましょう。
手が足りなければいつでも言って下さいね。元々、康一と康二にさせるつもりだったのだから。
あなた達は庭をしなさい。京香さんは、顔色が悪いわ。休みなさい。心配はないでしょう。いいですね」
と、即決した。
まるで、僕達の顔色や慌てっぷりに、心当たりがあるかのような、そんな印象を受けた。
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