第162話 チョコレート狂死曲(3)三つ巴の殺意
幸いにして発見が早く、命に別状も無く、後遺症も無いだろうというのが医師の見立てだった。
ブツブツとノイローゼ的に呟いていたので看守も注意しており、苦しみだした直後に発見できたらしい。
「いるか?」
「いるよ」
ベッドの横に立って、美沙子さんを見下ろすようにして堂島さんがいた。そして先ほどとは違って、近付く僕達に気付き、僕と目が合った事で、ニヤリとして見せた。
「堂島さん。あなたが美沙子さんを?」
「そうだ。ぼくは美沙子と別れる気は無いんだ。こうして死んでしまったから、せめて道連れだよ。ふふ。逃がすもんか。下柳にも渡してやるもんか」
「美沙子さんと下柳さんとの事は知ってたんですか」
「ああ。隠せているつもりだったみたいだが、バカな女だよ。浅はかとは、こういう女のことだね」
堂島さんは肩を竦めた。
「何があったんですか。こんな筈じゃなかった、失敗したって」
堂島さんはこっちをマジマジと見て、それから、寂しく笑う。
「自分は成功者だと思っていたのに、妻と部下に裏切られるとはね」
やり取りと堂島さんの姿も見えてはいない兄と吉井さんだったが、段々とカンがよくなるらしい。
「自分でピーナツオイルを付けてアレルギー発作を起こし、美沙子さんに負い目を与えるか殺人未遂の罪を着せるつもりだったのではありませんか。それが思いのほか酷くて、救急車を呼ぶ暇もなく、死んでしまった。
だから、こんな筈じゃなかった。失敗した。だったのではありませんか」
え、そんな命がけの嫌がらせをするのかな?
「鋭い。でも、証拠はないね」
「わ、その通りだって!ええ!?危ないよ、そんな嫌がらせ!慰謝料要求して離婚でいいんじゃないですか」
「妻を部下に寝取られたなんて、カッコ悪いじゃないか。恥だよ、恥」
「いっそ殺人未遂の被害者になれば、それを弱みとして言う事を聞かせられるとか?離婚しても、おいそれとは再婚できなさそうとか?」
「大人の愛は、簡単でも綺麗なものばかりでもないのさ」
「……人によるんじゃ……」
堂島さんは聞こえないふりをした。
「とにかく、美沙子は連れて行く」
「だめですよ。後悔しかないですよ」
「生き恥をさらせと?」
「死んでるし、浮気は美沙子さんが悪いけど、殺人の罪を着せて殺すのは、堂島さんが悪いです」
「嫌だと言ったら?」
「祓います」
「できるもんならやってみろ。こんな子供にやられる程――あ」
縛った。
振り返って、言う。
「まずいことしだしたから、縛ったよ」
「え?あ、うん。そうか」
「ありがとう……?」
その時、美沙子さんが意識を取り戻した。
「ああ、今……ごめんなさい」
「美沙子さん、大丈夫ですか」
「はい」
その時、廊下で言い合う声がしたので吉井さんがドアを開けると、下柳さんと見張りの警察官が、入れろ、入らせられない、で言い合っていた。
「美沙子さん、大丈夫ですか」
目ざとく下柳さんが意識の戻った美沙子さんを見つけた。
「祥さん」
美沙子さんもベッドの上で下柳さんを見かけ、すがるように声を上げる。
仕方なさそうに、吉井さんは下柳さんを中へ入れた。
そばでは、堂島さんが歯を食いしばっていた。
その時、吉井さんに電話が入った。
「はい。は?ヨーグルト?……え、ブレーキオイル?」
その瞬間、美沙子さん、下柳さん、各々の顔が強張った。タイミングは違ったが。
やがて吉井さんは電話を切り、兄と小声でヒソヒソとやり取りをし、2人で、美沙子さんと下柳さんをじっくりと眺めた。あれは、追い詰める目だ。
僕は堂島さんをドアの前に移動させて、通り道を塞ぐようにする。
「冷蔵庫のヨーグルトから、ピーナツオイルが検出されました。朝食で食べる筈だった、最後の1個ですよね」
吉井さんが言うと、美沙子さんは吉井さんをしっかりと見て言った。
「そう。知らないわ」
嘘をついた時、往々にして、女性は視線を相手から外さず、男性は視線を外すのだという。
「自宅に停められていた美沙子さんの車ですが、ブレーキオイルが抜かれていました」
美沙子さんは青くなって、
「まさか、堂島が!?」
と言って固まり、下柳さんは、視線を落ち着きなく彷徨わせた後、
「そうです。きっと、私達の事に気付いて社長が」
と言った。
堂島さんは、必死で違うと言っている。
「堂島さん本人に聞いてみます?」
僕が言うと、美沙子さんと下柳さんは「何バカな事を言ってるんだ」という目でこっちを見たが、兄と吉井さんは僕の発言の意図はわかったみたいだ。
「それがいいですね」
とあっさりと同意したので、美沙子さんと下柳さんが、不安そうに顔を見合わせた。
「では、堂島さん。ヨーグルトとブレーキオイルについて何か」
言いながら、姿が見えるようにする。
その途端、美沙子さんと下柳さんは、ギャーッと叫んで抱き合った。
「知らん!どっちも俺じゃない!いい加減な事を言うな、初耳だ!!」
縛られていて動けないが、迫力は満点だ。
「本当の事を言った方がいいですよ。あの世から、恨まれ続けられますよ」
ガタガタと震える下柳さんは、いきなり土下座した。
「すみません、社長!遊びだったんです。奥さんから誘われて、つい。でも、別れようとしたのに、そんな事をしたら、この業界にいられないように社長にしてもらうって……わ、わ、私に無理やり関係を迫られたと言ってやると。
それで、その、事故にあって、なし崩しに関係消滅できないかと……」
「何ですってえ!?」
美沙子さんは逆上した。
「私に、堂島がいるから再婚はできない、堂島さえいなければって言ったのは、殺せって事でしょう!?だから、ヨーグルトにオイルを――あ……」
我に返って、慌てて口を押えるがもう遅い。
「つまり、何か。下柳は美沙子を殺そうとして、美沙子は俺を殺そうとしていたと」
「ついでに、あなたは美沙子さんに殺人未遂の負い目を負わせようとした、と」
兄は言って、吉井さんは嘆息した。
「何か、3人共、どっちもどっちというか……」
僕も、嘆息した。
「愛の為というところが、まあ、バレンタインらしいというか……。
はあ。何と言うか、生きている人間の方が怖いよ、何をしでかすのか。デパ地下の幽霊の方が、よっぽど素直でかわいいね。
面倒臭いものだなあ、大人の愛って」
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