第147話 階段(4)20年目の再会

 事務員、学校図書館司書、購買部の販売員、学生食堂のおばさん。教師と違って異動もない人はいるもので、そこの古株に訊いてみたら、20年前の事故とやらについて聞かせてもらえた。

 サッカー部の1年生が放課後に自主練習をしていて、足腰を鍛えようと例の階段を上り下りしているうちに、疲れから階段を転げ落ちて、脳挫傷で死亡。翌朝散歩に訪れた近所の人が発見したらしい。

 亡くなった生徒は真面目で気弱、あまり運動は得意ではなかったが、仲のいい友人に誘われて仮入部して、そのまま退部できない空気の中、それならと前向きに取り組んでいた生徒だったらしい。その時の2年生に米山もいたそうで、補欠だったとか。そして、亡くなる前に「無理はするなよ」と声を掛けた、最後の目撃者だったらしい。

「ふうん。無理はするな、ねえ」

「昔は優しかったのかねえ?」

 僕も直も、絶対にそれは無いと思っている。あれは、権力を傘に着て弱い者をいじめて楽しむのが大好きなタイプだ。後輩をいじめこそすれ、気遣うなんてするとは思えない。

「なあ、あの優しい階段の坂東君。その生徒かな」

「かもねえ」

「米山って、あの階段を避けてるそうだしな。上に行っても、極力階段には近寄らないらしいぞ。きっと、居残りで特別メニューでもやらせてたんじゃないか」

「もしかしたら、目の前で落ちたのを、怖くて放置して逃げたのかもねえ」

「そこまで?……無くも無いかな」

「……訊きに行ってみる?」

「5キロか……。面倒臭いけど、気になるしな」

「行ってみようよ。

 あ、坂東君にお土産持って行こうよ。購買の新作メロンパン」

 僕と直は、優しい階段を目指して歩き始めた。


 米山は、ゼイゼイと息を切らせて上っていた。

 上っても上っても、上に着かない。高校生の頃よりは体力も落ちたと言っても、おかしい。こんなに、長いわけがない。

 足を止めると、後ろから誰かがピタリと付いて、言う。

「まだまだ」

「その声……は……坂東?」

「先輩、ほら、ファイト」

「ヒイッ」

 振り返るのが怖い。米山は、前に、上に向かうしかなかった。

「ば、坂――」

「足上げて。たるんでますよ」

「クッ」

 上る、上る、上る――。

「悪かったよ、謝る、なあ」

「今何段目ですか?ああ、最初からやり直しですかねえ」

「あ、ああああ、ああ……助け、て……」

 米山の足は重く、肺は破れそうに痛い。

「坂、東……すまん……助け……」

 ヒイヒイと言いながら、手すりにしがみつく。

「どうしたんですかあ、先輩。先輩がいつもしていることじゃないですか」

 はあ、はあ、はあ、はあ……。

「根性が足りないんでしょ」

「坂東……」

「気合でやれるんでしょ」

「坂東……」

「お前の為、なんでしょう?先輩は体育教師なんだから、体力がいりますもんね。先輩の為です」

「坂東……!すまん、俺が悪かった!単に、うっぷん晴らしにやってた!俺が、お前を放り出して逃げた!すまん、許してくれ!」

 米山は、ガタガタと震えながら、階段にへばりつくようにして頭を下げた。

「でも、またするんでしょう?」

「しない!もう2度と理不尽なしごきはしない!誓う!」


 階段の下から、僕と直はそれを見ていた。

 着いた時はもう米山はヘロヘロで、背後に立つ坂東君に、謝り倒していたのだ。

 坂東君は僕達を振り返って、肩を竦めて口の前に指を立てて「シーッ」として見せると、米山に話しかける。

「本当に?」

「誓う、本当だ!」

「しかたないですねえ。では、終わりにしましょうか」

 言われて、米山は這うようにしてあと数段の階段を上り、上に辿り着いた。

 その後、木の間に身を潜める僕達の前を通って、鍵を拾った米山は這う這うの体で階段を下りて行き、自転車にまたがって去って行った。

「坂東君」

「先輩は未だにあんな事をして。進歩の無い人ですね」

 坂東君は言って、階段の上から遠くを見た。

「米山は、あの日」

「どうせ救急車を呼ばれていても、助かりはしなかったんだし、それはもういいんだ。ただ、いつまでもうっぷん晴らしにしごきをするのは、やめて欲しかったんだよ」

「うん。やめて欲しいな、それは」

「嫌だよねえ」

 僕も直も、同意する。

「約束してくれたし、もうしないかな」

 だといいが……。

「坂東君はこれからどうするの」

「ぼく?ぼくはこのまま、ここで階段を上り下りする人を見守るよ。結構楽しいんだよ。やりがいもあるしね。リハビリにここを上り下りする人が、そのうちに元気に上り下りできるようになった時とか、本当に嬉しいんだ」

 坂東君はニコニコとして、そう言う。

「そう。寂しくない?」

「大丈夫。色んな人が、結構来てくれるし、桜、花火、夜景、紅葉、星。楽しいよ」

「そう。辛くなったら、新しく、自分の為の人生に踏み出してね。これは言わば、坂東君の人生のリハビリみたいなもんだからな」

「うん、わかった。心配してくれてありがとう。

 もう遅いから、帰った方がいいよ。気を付けて」

「じゃ、さよなら、坂東君――いや、坂東先輩」

 坂東君は目を一瞬大きく開けて、ニッコリと笑った。

「うん。さよなら」

「さよならあ」

 僕達は階段を下り、振り返った。大きく手を振る坂東君が見えたので、手を振り返して、歩き出す。

「大丈夫かねえ」

「そのうち、ここの階段の神様になってたりしてな」

「ありそうだねえ。

 それはともかく、米山はどうかなあ」

「とりあえずは、筋肉痛だろ」

「ざまあみろ、だねえ」

 米山が明日どんな姿で現れるか、想像して噴き出した。

「明日が楽しみだねえ」

「プッ。ククク」

 空は晴れ、星が綺麗に見えている。明日の体育が楽しみだ。





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