第141話 空をめざす魚(1)動く紙魚

 鼻歌を歌い出しそうな気分で、家に帰った。

 手洗い、うがいをし、冷蔵庫に買って来たものをしまって、荷物を持って部屋に行く。そしてカバンから、本を取り出した。図書館で貸し出し予約を入れていた本がようやく届いたと電話連絡を受け、学校の帰りに借りて来た、もう絶版で見つけられないでいた本だ。

 長かった。近くの市立図書館にも無く、別の図書館から相互貸借で借り受けたもので、流石は「永久初版作家」と言われる作者のものだ。もう、稀覯本だ。

「楽しみだなあ。今夜から読もう。いや、その前にちょっとだけ――いや、ちょっとですむわけがない。ああ、でも気になる。本当にちょっと、ちょっとだけ……」

 誘惑に負けて、僕はちょっとだけ本を開いた。

 わかってるとも。洗濯物を入れて、ご飯の準備をして、お風呂の掃除をしなければいけないことくらいは。だからちょっとだけ。

 御崎みさき れん、高校2年生。去年の春に、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、夏には神殺し、秋には神喰い、冬には神生みという新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、春の体質変化以来、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

 自分に姑息な言い訳をしながら、ぺらりと表紙をめくる。

 その拍子に、何かが足元に落ちた。

 拾い上げてみると、栞だった。青い色で、白くて細い紐が付いており、下の方には鳥の形に似た紙魚がひとつついている。

 触った瞬間、じれったさと、憧れと、悲しみが流れ込んできた。

 どうしたもんだろうか。

 急に冷静になって、とりあえず、本にしおりを挟んで閉じ、着替えをする事にした。


 しめじと鮭の炊き込みご飯、肉じゃが、揚げ出し豆腐、しじみの澄まし汁。揚げ出し豆腐は、上下2段に分かれていて、間に、辛子味噌を挟んで揚げている。

 揚げ出し豆腐を満足そうに食べて、うん、と頷く。

「味噌が、いいな」

 えへへ。よしっ。

 御崎 司、頭脳明晰でスポーツも得意、クールなハンサムで弟から見てもカッコいい、ひと回り年上の、頼れる自慢の兄である。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。この秋から、警備部企画課に異動になった。

「今度の文化祭の日、ちょうど非番に当たるから、徳川さんと行くよ」

「徳川さんも?じゃあ、招待券2枚、渡しておくね」

「クラブの出し物がメイド喫茶と聞いて、爆笑してたな。沢井は、行きたいって羨ましがってたよ」

「ただのメイド喫茶じゃないからな。でもまあ、ヨモツヘグイの心配はないけどね」

 ヨモツヘグイ。あの世の飲食物を口にしたらもう現世に帰れないという、あの掟である。

「ああ、その設定も面白かったか……とはいえ、店から出さないわけにもいかないしな……いや、お金を払えば帰れるということにすればいいか?でも、お金次第で甦れるとかいう事に思われても困るか」

 ブツブツと言いながら思わず考え込んだ。

 クラブの出し物は、前に冗談で言っていた「冥途喫茶」になったのだ。そこに展示物として、きのこの妖精改め山の神と神隠しの話などを貼って置くことにした。

 入り口に三途の川ならぬ三寸の川を作り、地獄の獄卒風な鬼の角をつけて金棒を持つ。小野篁にしようとすると狩衣で、衣装代がかさむのだ。角と金棒なら、安くできる。

「まあ、楽しみにしておくよ」

 やる気が湧いて来た。


 食後、片付けも入浴も済んで部屋に戻ると、机の上の本が目に入った。

 そっと開いて、栞を手にする。

「あれ?こんな感じだったかな?」

 紙魚が、上に移動しているような気がした。






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