第129話 ほたる(1)宗の夏休み

 毎日、毎日、同じだった。全てを悪意で受け止めて、罵り合って、空気はいつでも帯電しているかのようにピリピリとして。息を殺すようにして、ジッとしている。自分の家なのに、身を潜めて、誰にも見付からないようにと祈る。

 怖い。帰りたくない。あんなの、家じゃない。あんなの、お父さんでもお母さんでもない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

「別れよう」

 それが久しぶりの、一致した意見だった。

「慰謝料は」

 それでまた、もめた。いい加減にして欲しい。こんなのを聞かなきゃいけないなんて、もう耐えられない。関係ないから黙っていなさい。子供は向こうに行っていなさい。だったら、私に聞こえない所でやってよ。

「お前はどうする。お父さんかお母さん、どっちと暮らす」

 そんな事、決められるわけない。どうやって決めろというの。もうたくさん。

「知らない!どっちもイヤ!勝手にしたら!?もう、死んじゃえ!」

 家を飛び出した。私も限界だった。

 でも、知らなかった。まさかそれが、最後の会話になるなんて……。


 夏休み独特の解放感からか、夜遅くになっても中高生は外をうろつき、いつもは足を踏み入れない場所へも、入り込んでいく。

 繁華街、それも決してお上品な類のものではなく、危険な輩が混じっているようなところを、宗は歩いていた。

 とは言え、遊びではなく、写真を撮る為に移動しているだけだ。そこのビルの屋上で、いい朝日が撮れそうなのだ。

 水無瀬宗、高校1年生。心霊研究部員で、カメラマン志望だ。写真を撮ると高確率で心霊写真になってしまうという、呪いのような体質で困っていたのだが、部の先輩のおかげで、霊除けの札を持っていたら普通に写真が撮れるようになった。

 足を止めたのは、その声が何となく聞き覚えがある気がしたからだった。

「離してよ」

「ああん?ふざけんなよ、このガキが」

「人、呼ぶから」

「おい、いい加減にしろよこら。ここまで来てその気はありませんでしたぁ?バカか、こら」

「呼べるもんなら呼べよ。その前に、人に言えない事、してやるからよ」

「へへへっ」

 経緯はわからないが、大体の見当はついた。

 軽く溜め息をついて、放って置くわけにもいかないと、そちらへ足を向ける。

 いかにも背伸びしてますという感じの高校生らしき男2人組と、高校生くらいの露出の激しい女の子が、あからさまにもめていた。

「おい、離してやれ」

 言うと、3人は同時にこちらを見た。

 宗は、優しくて面倒見がいいのだが、ガタイが良くて無口なせいか、年上に、それも強面に見られることがあるのだ。それが、プラスに働く事もあればマイナスに働く事もあり、どちらになるかは、やってみなくてはわからない。

「関係ないやつは引っ込んでろ」

 ああ、マイナスだった。

 女の子は一瞬ホッとすがるような目をしたが、そいつらの言葉に、顔を強張らせた。

「やめて、離して、イヤ!」

 掴まれた腕を振りほどこうと身をよじる。宗も、カメラバッグをシッカリと背負い直して男に近付く。

「やめろ」

 男と宗が一発即発の空気になった時、いきなり、近くのゴミ箱がガタガタと揺れ、ふたが勝手に開いたり閉まったりし始めた。

「えっ!?何だ、これ!?」

 男2人と女の子はビクビクとしていたが、宗は見た事がある。

「ああ。霊が暴れてるんだな」

 ポツリとこぼす。

「霊!?」

「ああ。こういうのは大抵、力づくで祓わないといけない感じの悪いタイプ――」

「ギャアア」

「だった、かも……」

 最後まで聞かないで、男達は逃げ出した。

 それを見届けるかのように、ゴミ箱は静かになった。

「……ええっと、あんまり、危ない事はするなよ」

「べ、別に、大丈夫だったもん」

 膨れっ面で、よそを向く。

「……そうか」

 宗は踵を返した。

「あっ」

「え?」

「その、まあ、一応、ありがとう」

「いいや。じゃ」

 宗はスタスタと、ビルの外階段を上って行った。明日の天気からして、いい朝焼けの写真が撮れると思うのだ。だから、こんな事をしていられないのだ。

 階段を上り出すにつれ、宗の頭から、今のやり取りも女の子のことも、消えて行ったのである。



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