第63話 感染(2)猫屋敷
夏にはヒンヤリしたところを、冬には温かいところを、一番知っているのは猫だろうか。公園のベンチや日の当たる塀の上などで、丸くなってのんびりとしている。
それを見る捕獲者側は、呼吸も荒く、汗がダラダラ流れていた。
「クソォ……はあ、はあ……すばしっこい……」
涼しい顔で前足を舐める猫は、とても可愛い。そしてそれを恨めし気に見上げる保健所職員は、とても気の毒だ。
「ああ、大変だなあ。あんな面倒臭い仕事……」
思わず呟く。
「被害に遭った場所を回るくらい、あれに比べたらどうってことないな、怜」
「……そうだな」
どっちか選べと言われたら、こっちがましだ。
僕と直は、問題の症例の患者が被害に遭った場所を地図に書き入れつつ、おかしな気配などがないか、回っているのである。
「次は、この角の向こうだねえ」
「呪詛とかの気配は、ないけどな。やっぱり新種のウイルスかな」
「だとしたら、保健所とか病院とかに交代だねえ」
話しながら、マンションの角を曲がる。
立ち話をしている主婦が3人いたが、怪しい気配はない。地図に印を付けて次のポイントはどこかと地図に目を落としていると、主婦達の会話が耳に入って来た。
「あの猫屋敷の
「流石にこの騒ぎだもの。のこのこ外に出て、文句言われたら、とか思ってるんでしょ」
「野良猫、今何匹?20?30?」
「20匹じゃきかないわよ。
ああ、何か起きる前に、あの猫何とかしてもらえないかしら。可哀そうでも、何かあってからじゃ困るもの」
「ねえ」
猫屋敷か。一時期、猫屋敷とかゴミ屋敷とか、テレビでよく聞いたな。
少し離れた所で、直に目を向ける。
「うん、聞いた事あるよ。この近くだよ。行ってみる?」
「気になるな。行こう」
2人で、その猫屋敷とやらへ向かう。
近くにあるな、というのは、前に行くまでもなくわかった。とにかく、臭い。隣近所は、さぞ迷惑していることだろう。
家は古い一軒家で、庭には猫の排泄物が見えた。そして、見える範囲で、猫が十数匹。それらが、一斉にこちらをジロリと見る様は、なんとも薄気味悪い。
門扉に付いたインターフォンに向かって、市役所職員が困り果てた様子で喋っていた。
「久馬さん、とにかく一度、直にお話できませんか」
「帰れ!」
老人のものと思われる返事があり、ブツッ、と通話が切れる。
「久馬さん。――久馬さあん」
呼んでみても、もう応答はなかった。
「どうしますか、主任」
「勝手に入るわけにも、猫をどうこうするわけにもなあ」
「でも、迷惑防止条例違反で、立ち入り検査とか」
「書類がいるだろ」
こちらも大変そうだ。
「大人って、やっぱり大変だなあ」
「将来は公務員になって安定した生活を送りたいと思ってたけど……そう楽でもなさそうだな」
「まあ、まだ考える時間はあるよ、怜」
「だな」
息を潜めて家の前を歩く。
重くて湿った、嫌な気配がする……が、臭いに邪魔されて、分かり難い。
「グレー、かな」
「取り合えず、記入しとこう」
離れながら振り返ると、猫がジッと、こちらを見ていた。
協会に戻るとすぐに係長へ報告する。肉体派でガタイのいい、壮年だ。
「猫屋敷で、軽く違和感か」
「はい。中に入れたらもっとわかりそうですけど、入れそうにありません」
「上手く市役所が入れるようになったら、その時に同行するくらいだな。
ご苦労だった」
デスクを離れて、隅の、ソファが置かれた一角へ行く。ここは休憩スペースで、他にも数人、霊能師がいた。
「聞いた?猫のあれ。なんでも最初の被害者、とうとう眠り続けてるんだって」
「それ、ウイルスか?」
「術とも、なあ」
飲み物片手に、雑談に興じていた。
「眠り続け、ですか」
「そう。何をしても起きない、昏睡状態らしいわよ」
「血液検査とかに異常はないんですかあ?」
「普通に、感染症の数値だとか」
「これまで通りの感染症の症状の人もいるだろ」
「新種のウイルスを、持ってる猫と持ってない猫ですか。
やっぱり、単にウイルスとしても、あの猫屋敷が元じゃないかな」
地図を広げてみる。
猫屋敷の猫の行動半径内に、新症例の被害現場が入っている。
「決まりじゃね?」
「保健所かどこかの仕事だな、後は」
そう簡単に行けばいいが……。
面倒事の予感に不機嫌になる。
「君は相変わらず、顔色一つ変えないなんてクールだねえ、御崎君。君ならこんな仕事任されても大丈夫そうだな」
先輩が言うが、誤解だ。
「感情が出難いだけで、十分ウンザリしてるし、面倒臭いのは御免ですよ」
「御崎、町田。明日猫屋敷に入れる事になった。行って来い」
係長が、四角い顔で言った。
面倒臭い予感しかしない……。
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