第62話 感染(1)ハニートラップ

 にゃあー、にゃあー、と鳴くふわふわの小さな子猫は、もうそれだけで可愛い。庭に入り込み、蔓に絡まっていたのを解いてやった時も、まさか、噛まれるとは思っていなかった。それも、思いっきり。

 血がボタボタと滴る。噛んだ子猫は片手に乗るくらいの大きさだったが、その大きさ、可愛らしさからは想像もできない痛さだ。

 猫は解放されて、とっくに逃げている。

 そういえば、猫に引っかかれて亡くなった人のニュースを見た。

 そう思い出して、流水で痛いのを我慢して洗い、アルコールで消毒し、傷口を見た。引っかかれたような浅い傷が2センチ程と、穴のような、点の傷が1つ。

 小さくても可愛くても、猫は獣だ。

 それを改めて思い知らされながら、絆創膏を巻き、もう夜だったので、その日はそれで寝た。

 翌朝、噛まれた指がやや赤くなってうっすらと腫れているようだったが、午前中は忙しく、午後から病院に行こうと決める。

 が、だんだん怠くなってきた。

 指を見る。それほど腫れもしていないし、消毒もした。しかし、これのせいなのだろうか?

 病院に行こう。午後の診療時間まで、後3時間半か。

 でも、怠い。眠い。じっとしていたい……。


「で、肝機能障害、視力障碍、四肢の切断、指などのマヒ。死亡しなくとも、色々あるらしいな」

 兄が、野良猫へのエサヤやり禁止の回覧板を見ながら言った。

 御崎みさき つかさ、28歳。若手で一番のエースと言われた刑事で、肝入りで新設された陰陽課に配属されている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。頭が良くてスポーツも得意、クールなハンサムで、弟の僕が見てもカッコいい、自慢の兄だ。

「野良猫だけでなく、飼い猫でもだってね。可愛いのに、そう聞くと、近寄れなくなるなあ」

 御崎 れん、高校1年生。今年の春突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、夏には神殺し、つい最近には神喰らいという新体質までもが加わった、新米霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、春の体質変化以来、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「もし引っかかれたら、すぐに病院に行くんだぞ」

「ん、わかった」

 言って、お茶をテーブルに置いて、準備完了だ。

 今日は、揚げ詰め、鰆の西京焼き、ほうれん草のお浸し、豆腐とわかめの味噌汁、小豆ご飯。揚げ詰めは、薄揚げを袋状に開いて、合挽きミンチ、ひじき、人参、うずらのゆで卵を詰めて口をスパゲッティで縫い刺しにして止め、炊いたものだ。焼いて辛子醬油で食べるのもお勧めだが、寒い日は、煮物が美味しい。

「いただきます。んん、美味い」

「辛子もあるよ」

「ん、ありがとう」

 小豆ご飯も、おこわとはまた違って、あっさりとしている。

「猫に噛まれて感染症やひっかき病やパスツレラ症やらにかかり得るのは、まあ、言われてきたが、このところ、それ以外のおかしな症状が出だしているらしいぞ。無気力になったり怠くなったりして、水嫌いになって、やたらと一日中寝ているらしい」

「なんか、猫みたいだなあ」

「狂犬病との類似とか、色々調査中だと聞いたな」

「野良猫とか、近寄らない方がいいね」

 この時はそんな程度で、「怖いなあ」と思っていたのだ。


 直が、アオにレタスを齧らせながら、

「新型のウイルスなのかなあ」

と、言った。

 町田 直、幼稚園からの友人だ。要領が良くて人懐っこく、驚異の人脈を持っている。直も夏以降、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強いが、その前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた、大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、新進気鋭の札使いであり、インコのアオを眷属とするインコ使いという事になっている。

「チチッ」

 アオが首を傾げる。

「アオも、猫に襲われないようにねえ」

「チチッ」

 任せておけっ、と言わんばかりだ。

「猫と遊びたい」

「怜は猫派だもんねえ」

「直は犬派だったな」

「今はインコ派だね」

 アオがつついて、直はインコ派になった。

「でも怖いのはそれだけじゃなくて、ネコ狩りを正義の名乗りでやるやつがいて、飼い主とかと揉めるらしいな。暴力事件まで起こってるらしい」

「何でも、過激に反応する人がいるからねえ」

 言って、今度はアオの顔の横を掻いてやる。

 その時、電話着信があった。発信元は、協会だ。

「ああ。何か、凄く面倒臭い予感がする」

「同感だね」

 僕と直は、揃って溜め息をついた。どうしてこの手の予感は外れないんだろう……。






 

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