第64話 感染(3)人を喰う猫

 もふもふ。ごろごろ。ふにゃーん。

「で、噛みつくとか。酷いハニートラップだと思う」

 猫屋敷の門柱の上にいる猫を眺めながら、訴えた。

 例の久馬さんの家への強制執行が行われる事が異例の速さで決まり、保健所、市役所の職員が集まっている。そこから距離を置いて、野次馬、動物愛護団体、テレビカメラ等が見物し、間で、警官が規制線を張っている。

 僕と直は、規制線の内側に立って、一通りの捕獲が終了するのを待つのだ。

 執行官達は引っかきなどに備えた完全防備で、リーダーの合図で、入って行った。

 途端に、「ギャアアアア」「シャアアアア」「うわあっ」などと鳴き声や人の声がする。

「中、どうなってるんだろうねえ」

 見たいような、見たくないような……。

 危ないから呼ばれるまで入らないようにと釘を刺されているので、大人しく待っている。

 が、嫌な気配が中から溢れ出て来た。

「おい、直。行くぞ」

「OK」

「あ、君達!」

 見張りも兼ねていた警官が止めようとしてきたが、構わずに入る。

 糞と埃が凄い。そして至る所に爪とぎの跡があった。

 重く湿った空気は澱み、ピリピリとした警戒感や怒りの感情が渦巻く。その中に、恨みと、愉悦の感情が満ちている。

 猫の入れられたケージがそこらにあり、次々と猫が新たに捕獲されては、ケージに入れられる。ケージの中で暴れる猫は、獰猛とすら言える程の暴れっぷりだ。

 そのケージを縫って、奥へと進む。

「警察に連絡だ!」

 そんな声がする部屋へ、辿り着く。

 奥のささくれだった畳の間に、棒立ちの執行官達が数名いた。そしてその彼らの視線の先には、20匹を超える猫と、食い荒らされた人の遺体があった。

 遺体の傍には老人の霊がいた。遺体が荒れすぎて分かり難いが、この遺体の主だ。

 霊の老人の表情は、勝ち誇ったようだった。

「あなたは、久馬さんですか」

 訊くと、執行官達がギョッと振り返ってくる。

「そうとも」

「亡くなって、猫達に食われた……いや、喰わせたんですか」

「フッ。わしの無念は、猫達によって、拡散する。わしの怒りは、猫達が、浸透させてくれる。わしの恨みは、猫達によって感染していく。フッフッ、フハハハ。ざまあみろ」

 暗い愉悦に顔が歪む。それに合わせるかのように、猫達が一斉に一声鳴いた。

 1人で喋り出したように見えるだろう僕に、執行官達は落ち着きなくソワソワとしている。

「久馬さん。あの症例はあなたの恨みですか。彼らがあなたに何か」

「知らんな」

 大きくニヤリと嗤う。バッとガスで膨らんだ遺体が破裂するのと、猫達が弾けるように跳ぶのと、僕と直で執行官達を猫と久馬さんの悪意からカバーするのとが、同時に起こった。

 生臭いような風が部屋の中を舞って後、臍を噛む。

「久馬さんは祓ったけど……」

「猫が逃げたねえ」

「まずいな。面倒臭いことになるぞ」

 僕達が嘆息する傍で、執行官達が、猫を捕まえに右往左往し、また、警察官に知らせに走った。


 人肉を食べた化け猫の噂は、すぐにネットから広がった。

 曰く、人の味を覚えたので、人を捕食しようと襲って来る。

 曰く、人の腐肉で生きながらえた猫は、呪いをまき散らして、人類絶滅を狙っている。

 曰く、人の腐肉で育った猫は、人を襲って、腐らせながら食い、時間をかけて徐々に食い殺す。

「怖いな。ホラー小説か」

 想像したら、嫌になる。

「想像の中が一番怖いよねえ」

 直は想像して、ぶるりと体を震わせる。

 大方の猫は捕まえたものの、数匹は取り逃がし、また、最初からあの日あそこにいなかったのもいるようだと、近所の人が言っていたらしい。

 久馬さんの死因はよくわからないが、亡くなって数か月は経っているらしい。この前聞いたインターフォンの声は誰のものだったのか、と、さかんにネットやテレビで繰り返されている。

 そして、相も変わらず、眠り病の患者は発生していた。

「怒りと無念と恨み、か。具体的な何かがあったのかな」

「聞いたところによると、普段から、何かにつけて文句ばかりだったらしいよ。政府、市、ゴミ出し、家の前を歩く子供、天気予報。もう、何でも」

「そういうお年寄り、いるな」

「うん、いるねえ」

「その中で、唯一の味方が猫だったのかな」

「体を食わせるほどに?」

「猫にも迷惑だったかもな」

 協会の休憩室で、猫探しから帰って来た僕と直は、へばっていた。

 猫探しに、手の空いている付近の協会員は、皆駆り出されている。

 ああ、今月のバイト代は多いな。面倒臭くも疲れる中、それだけが心の支えだ。

 目撃情報と街頭カメラから、あと3匹だとわかっている。だが、一般の猫のテリトリーだとかを無視して動いているのか、なかなか捕まらない。

 猫狩りもあるので家猫は飼い主が出さないようにしている為、とにかく外をうろつく猫を片っ端から捕まえるようにしてはいるのだが……。

「これで、子猫でも産んだらどうなるんだろう。子供にそれは、遺伝するのかな」

「怜、恐ろしい事言わないでくれよ。

 アオ、猫に狙われないように、本当に注意するんだよ」

「チ、チチ」

 アオも震えあがっているのか。


 ソレは、とあるOLのフリルまみれのベッドで丸まりながら、悠々と顔を洗った。

 あの家にはちょくちょく行っていたが、あの大騒動の日は、この自宅にいたのだ。ここで飼い主に抱かれて、テレビで見ていた。

 仲間は大勢捕まったが、まだ自分は大丈夫。

「パトリシアちゃん、おやつですよう」

「にゃあん」

 赤い首輪に付いた鈴を鳴らして、飼い主の足元にじゃれつく。

 邪魔な、うるさい鈴だ。なんとかして外したいものだが……まあ、取り敢えずはささみだ。

「小さくて、落としそう。気を付けてね、パトリシア」

「にゃん」

 しっぽ抜きで20センチ程度の子猫の自分を、この女は我が子のようにかわいがる。バカなやつだ。

「にゃああん」









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