第48話 約束(2)刻をこえて
札が術式を行使する。もやもやと空間が揺れ、そこに若い女が現れた。
「新田はなさんですね」
「そうですが……勝利さんの後輩の方かしら」
「……はい。先輩にはお世話になっています。
新田さんは、どうして今日ここへ?」
「勝利さんのお友達の百地さんから、伝言をいただいたの。ここで、待っていて下さるって」
私の家は、そこそこの呉服商でした。子供の頃はお嬢さん、お嬢さんと呼ばれて、苦労もしたことがなかったくらい。そして、許嫁の勝利さんのところへ嫁ぐのが当たり前で、とても待ち遠しかったわ。
でもそれも、あの日まで。戦争はどんどん激しくなって、贅沢品なんて売れる時代ではなくなって。とうとう借金が返せなくなって、三重のお店は畳んで、勝利さんとのお話も、なくなってしまったの。
それでも、こっそりとこの桜の下でお話をするのが、短い時間だけど、とても楽しくて、幸せで。
でも、それすらも、許されなくなってしまったの。伯父が世話になっているという人が私を後妻にと仰って、お断りしたくても、伯父は許して下さらないし、父は済まないと頭を下げて……。
でもね、勝利さんが、今日ここで待っていて欲しいって。私を連れて行って下さるって。だから、待っているのよ。
でも変ね。もうとっくに時間なのに。どうされたのかしら。やっぱり、お家の方も許して下さらなかったのかしら。ああ。どうして……。
ふわあっと薄れる姿に、
「ああ、あれではありませんか、先輩は」
と言うと、直が2枚目の札を行使する。
郡家さんとはなさんの目がしっかりと正面から合った。
「ああ、はなさん。来てくれたんだね」
「まあ、勝利さん。そこにいらしたのね」
「良かった。あなたに、見せたい景色があるのです。あなたと、一緒にいたいのです」
「とても嬉しいわ。私も、勝利さんと一緒にいたいの」
「さあ、いきましょう」
ふたつの霊体は寄り添うようにふわふわと漂い、やがて、粒子のように消え去った。
「……逝ったな。さて」
僕は向きを変え、そこにいるもう1人に声をかけた。
「2人は行きましたよ」
うっそりと現れたのは、郡家さんと同じような年で、同じ格好をした男だった。
「百地さんですね」
「……なぜ……はなさん……」
百地さんは力なく項垂れ、はなさん、はなさん、と繰り返している。
「百地さん。あなたも新田さんが好きだったんですね」
「はなさんと郡家の話が白紙に戻って、俺が、と思ったのに」
「だからって、ひどくないですか」
「……勝手にはなさんは間違えて、勝手に郡家は失望して、その足で軍に志願するだけだ。俺は知らん。俺ははなさんを、しばらくしたら譲り受ける約束をしてただけだ」
ニヤリと顔を歪めるその顔は、醜悪以外の何物でもない。
「そんなあなたを友人だと思っていたとは、郡家さんも気の毒に」
「何の話だ。俺は何も知らんぞ」
「新田さんは三重県出身。しあさってに待つというのは、4日後に待つという事。それを知りながら、あなたは3日後に郡家さんをここで待たせ、絶望させて、軍に志願させた。そして4日目に新田さんをここで待たせ、郡家さんが軍に志願したと知らせて、結納を急がせた」
「騙される方がバカだ」
「……あんた、最低だな」
「何だとお、このガキがッ」
「直、いいぞ。この程度の小物、練習台に祓ってやるので充分いける」
「何?」
「オッケーイ」
直が、別の札を取り出した。
「何をするつもりだ、貴様ら」
「祓うんだよ。特別、無料でやってやるから、安心しな、くそったれ」
次の瞬間には、札が百地に貼り付き、枝を伸ばすように全身に術式を包み込み、一気に浄霊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます