第32話 プレゼント(3)親子
少しずつ後ずさるシゲに、タイは心細そうな、怯えたような顔を向け、
「俺に?どういう事だよ、シゲ」
と、歩を進める。
「こ、こっちに来るなよ」
シゲはその分だけ、下がる。
人質達は、新たな恐怖に身を固くしている。
と、タイが思い出したように、こっちを向いた。
「そうだ。お前、変な事言ってたな」
タイが僕の方へツカツカと歩み寄り、僕の周りの人質は、ギョッとしたように距離を作った。
「変な事ですか」
「おう。髪の長いとかなんとか、まるで、千春を知ってるみたいな……」
千春、ね。
タイが「千春」と口にしたら、女、千春さんは顔を少し上げた。
「千春を知ってるのか、お前」
「いえ、知りませんが……どういう方ですか」
タイは疑うように僕を見ていたが、やがて、視線を彷徨わせて喋り出した。
「付き合ってた女だよ。田舎から出て来た、地味で、パッとしない女だったよ。OLをしてて、金に困ったら、よく回してくれて。俺がアパート出て転がり込んでも、文句言わずに、小遣いまでくれて。
でも、暗くてつまらない、冴えない女だった。
だから、もっと金持ちの娘と知り合って、結婚しようってなったから、捨てたんだけどな。どこでどうしているかなんて、興味もない。
でも、この前詰まらないケンカをして、なんでかな、別れる事になって、カッとして、金持ち出して……」
最低なヤツ、という目が、タイに集まっていた。
そして千春さんは、無表情でジッとタイを見たあと、後ろからタイに抱き着いて笑った。
「ああ。千春さん、離したくないのか」
千春さんは笑いながら、僕を見た。
「何いってんだ、おい」
タイはキョトンとしながらも、どこか怯えている。
「一緒にいたいそうですよ」
「は?だから、何──千春、死んでんのか?」
「……」
「そんなの知らねえよ、関係ないだろ!?」
千春さんが、タイの顔を覗き込む。
「千春はただの、便利な女だったんだからな!」
その途端、千春さんの両目が吊り上がり、両手がタイの首に回る。
「千春さんに謝れ!」
「そうだ、謝れ!」
聞いていた女性が、千春さんは見えないものの、タイの言い草に怒った。
「なんてひどい!」
「振られたのも、バチが当たったんだよ」
次々と怒りの声がタイに向けられる。
「な、なんだよお、俺が悪いのかよ?」
タイは狼狽えている。
「そうだ。もしかして、千春さんは妊娠していませんでしたか」
「はあ!?知らねえよ!」
千春さんはハッとしたように、自分の腹部を見下ろした。
「ああ、いたんですね」
「何で!?」
「いたんですよ。ちゃんと生みたかったんですよ、千春さんは」
シゲはどうしていいのかわからず、困り切ったように立ち尽くしていた。タイは、背後に千春さんがいるのかと、振り返ったり、見廻したりしている。
「千春さん、だめですよ。お母さんなんですから」
千春さんは両手を自分の腹部に当て、ウットリと笑う。そして、顔を上げ、頷いた。
「逝くんですね」
頷く。
確認し、浄力を放つ。
すぐに千春さんは光に包まれ、崩れるように消えて行った。
が、そこに残ったものがある。
「……乳児……」
その姿は皆に見えるらしく、全員、床の上に残された乳児に目が釘付けになっており、その子の泣き声が、響き渡った。
「な……」
タイは、呆然とその子を見つめている。
「千春さんがタイさんを連れて行こうと……つまり殺そうとするたびに、その子が守っていたんですよ」
タイは戸惑ったように子供を見ていたが、このままにしてはおけない。
「親子の対面もしたし、その子も逝かないと、迷いますから」
しかし、それを聞き入れる気がないように、子供はタイから離れようとしない。
「お母さんが待ってるわよ」
人質から声がかかるが、泣くばかりだ。
それに比例するかの如く、タイの顔色が悪くなっていく。
「あ、生気を吸ってるのかな」
「なんだと!?」
「だって、お腹空いたんでしょ」
当たり前のように、中年女性が言った。
「は、祓ってくれ!できるんだろ!?」
「凄い負担がかかるんですよ?乳児なのに、かわいそうじゃ」
「俺はかわいそうじゃないのかよ!」
まあ、あんまり……。
とは言え、このままではこの子もかわいそうだ。
祓うかあ、と手を上げた時、初老の女性が言った。
「せめて名前を付けてあげなさい。名前は、生まれてきて最初に親からいただく、最高のプレゼントなのよ」
「名前?名前……輝善。俺が田井勝善だから、子供には善の字を付けようと昔から決めてた。だから、輝くような未来があるように、輝善」
その途端、輝善と名付けられた子供は嬉しそうに笑うと、光に包まれ、サラサラと消えて行った。
全員、力が抜けたように、その場で座り込んだ。
「お父さん、しっかりしないと」
初老の男性に肩を叩かれてタイが泣き出した後、突入してきた警官は、想像になかった雰囲気に、戸惑うように立ち尽くしていた。
語り終えて、鍋の火を消す。
「兄ちゃん、そんなにくっついてたら、危ないよ」
兄は、ああ、と言って一歩離れた。
一歩って。
ひと回り年上の兄、司は刑事で、若手で1番のエースと言われている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない。僕の事には少し心配症なところもあり、友人にはブラコンと言われもするが、弟から見てもかっこいい、自慢の兄だ。
「霊関係は、心配だが、ある種避けられないのかという思いもある。でも、銀行強盗に巻き込まれるというのは、考えてなかった」
「ごめん」
「怜は何としても、俺が守る。そう決めた」
「でも兄ちゃんの仕事は色々危ないだろ、それこそ、僕よりも」
「……内勤に変わってもいい」
「今が生き生きしててかっこいいから」
「そうか」
「ご飯にしよう」
今日は、鶏と野菜のトマト煮、きんぴらごぼう、アサリのリゾットだ。
盛り付け、テーブルに運んで、手を合わせる。
「ん、美味い」
「それにしても、今回は色々と勉強にもなったなあ」
「絆に、名前か」
「大したもんだね。
そう言えば、お墓参り、行ってないね」
「次の休みにでも行くか」
「うん」
大切なものは、見えない。でも、確かにそこにあるのだろう。
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