第10話 呪殺師・毒蜂(1)蜂を飼う死体
もう何年も前から空き家問題は深刻に取り上げられていたが、実感したのは、これが初めてだった。廃業した郊外の病院。歩き回る患者に、追いかけてくる患者。怪談としてはありがちではあるが、それはとりもなおさず、本当にいるということなのだろうか。
それよりも、切実にこう思った。
「廃業するんなら、なんで医療器具とか備品とかを処分しとかないんだろうな」
御崎 怜、高校1年生。この春突然霊感体質になってしまい、霊との上手な付き合い方を日々学習中の新米霊能者である。週に3時間ほど寝れば済む無眠者なので夜通し仕事をするのは平気だが、浄霊に抵抗して、本棚を倒したり、カルテやメス、ピンセット、針の付いた注射器などを投げ飛ばしてくるのには閉口した。感情が出難いだけで、ちゃんと、感情はあるのだ。
「いや、そこ?」
呆れた笑いを浮かべるのは、辻本京香さん。指導係であり、マンションの隣人でもある、霊能者だ。浄霊はできるのだが滅多に声が聞こえないので、師匠に修行して来いと放り出されたのだ。
「じゃあ、幽霊と言えども、これは不法侵入、不法占有にあたるというところを突っ込みましょかね」
廃病院に出るという噂があり、持ち主から浄霊の依頼を受けて、2人で来たのである。
説得に応じるものは自発的に逝ってもらい、そうでないものは強引に浄霊することになる。霊の負担やこちらへの返しもあり、できれば穏便に済ませたいのが本音だ。
「さて、お疲れ様。怜君ももう本当に独り立ちして大丈夫ね。
ああそう、はぐれの、呪殺師には気を付けてね」
「呪殺師、ですか」
「この力を悪用して、呪殺を請け負う外道の術者がいるのよ。滅多にないとはいえ、かち合ってやりあうこともあるから」
「はい」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
各々、自宅へ帰る。
玄関を開けると、即、兄が自室から顔を出した。
ひと回り年上の兄、司は、刑事だ。すぐ裏の警察署に配属されており、若手ナンバーワンと言わている。両親が事故死してからは親代わりとして僕を育ててくれ、感謝してもしきれない、自慢の兄だ。
「ただいま」
僕が言う間にも、変わったところはないか、けがはしていないか、チェックしているのだ。浄霊で心配をかけている自覚はあるが、この体質になったあと安全に生きるノウハウを学ぶ必要があったので、これは仕方がない。
「おかえり。コーヒーでも飲むか」
「うん」
手洗いをしてリビングへ入る。
ついでに夕方作っておいた桃のタルトを出す。
「今日は廃病院だったんだけど、医療機器とかカルテまで残ってたのに驚いたよ」
「捨てればいいのにな」
「そうだよなあ」
兄弟で色々と話すのは、日課だ。
と、電話が鳴る。こんな時間にかかってくるのは、ほぼ間違いなく、兄へのものだ。だから事件かなと思ったのだが、意外にも受け答えの後、またテーブルに着いた。
「あれ?」
「ああ、署からは間違いなかったんだが……」
警察官が家で話せる事なんてそうそうない。が、少し考えた挙句、こう切り出した。
「実は昼間、詐欺容疑で取り調べていた男が、いきなり苦しみだしてな。救急車で病院に運んだんだが、結局死んでしまったんだ。念のために解剖したんだが、今のはその結果でな。毒死だった。でも、飲食はしていないし、遅効性の毒でもないし、胃にカプセルもなければ、注射痕もない。不可解としか言いようがない状態だったんだ」
「こんな時推理小説なら、指、ボタン、筆記用具を疑うけど」
「全て、取調室に入った人間も中の備品も、全部シロだったそうだ」
「それは、困ったな」
「ただ、胸に赤い蜂の形のアザのようなものが見られたそうだ」
「蜂?」
「ついこの間急死した国会議員も、全く同じ状態で亡くなり、赤い蜂のアザが胸にできていたそうだ」
ザワザワする。
「先月のも、似たような始まりだったような……」
「……」
霊関係なんだろうか。そうでなくとも、少し興味深い。
しばらく無言でおやつを食べていた。が、気になる。とても気になる。
「兄ちゃん、その人のご遺体、見せてもらったらだめかな」
「本当はだめだ。けど、どうも気になるから……」
内緒で、見ることになった。
警察病院まで車で行き、遺体安置所へ入る。今日はやけに病院付いている日だ。
こんもりと盛り上がったベッドの傍に立ち、合掌してから、掛けられているシーツをめくる。20代半ばの優しそうな男で、青白い死者独特の顔色をしていた。そして、白い経帷子の胸元をそっと広げる。
親指の爪程度の大きさので鮮やかな赤色の、スズメバチみたいな形のアザがあった。
そして何よりも、臭いがした。
「悪意の臭いがするよ」
厄介で面倒な事にならなければいいのにと思いはするが、どうにも、厄介事の予感しかしない。
「ああ……そうか」
兄も嘆息する。
ああ、本当にどうなっているんだろう。全くもって、面倒臭い。
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