第3話 出会いはある日突然に(3)隣の霊能者

 丼にご飯を盛り、ステーキソースを軽く回しかけ、焼いてステーキソースを絡めた牛肉をグルリと乗せると、冷凍卵で作った温泉卵を真ん中にはめるように置き、小口切りの青ネギをパラパラとかける。あとは常備菜のひじきと冷や奴、玉ねぎとわかめの味噌汁。

 意外と手間のかからない、簡単ご飯だ。

 ご飯と肉に崩した卵を絡ませて、一口。

「ん、美味い」

と満足そうな顔をする。

「卵、いつものヤツか?」

「うん。冷凍したら、黄身が濃厚になるから」

「へえ、そうなのか」

 ノンアルコールビールを一口グイッと飲んで、こっちを見る。

「怜、何かあったのか。この頃何かおかしいような」

 ギクリ。

「別に。まあ、高校に入ったら、色々と中学とは違ってたりするからかな。

 そう言えば、高校から電車通学になったヤツが言ってた。ラッシュって、想像以上に疲れるって」

「ああ、ラッシュな。イライラして諍いも起きやすいし、スリやチカンも出るしな」

「一時期よくテレビでもあったよね、チカンに間違われて、線路へ降りて逃げるっての。線路に降りるのはどうかと思うけど、チカンに間違えられたら逃げたくなる気持ちはわかるな。出勤時間は迫ってるし、周りは皆自分がやったと思ってるような気がするし、一度チカンとされたら仕事もクビだろうし。本当にやってたらともかく」

「うん。でも、危険だし、何より、きちんと申し開きをするべきだ。最近は勘違いや冤罪もあるから、女性の意見だけを鵜呑みにすることもないしな」

「そうだよなあ。

 あと、これはラッシュじゃないんだけど、終電くらいの時間、やたらと腹を立てたサラリーマンが駅から出てきたらしいよ。あれは何だろうな」

「酔った上でのケンカとか、寝過ごしとかで家までの電車がなくなったとか、そんなヤツかな」

「ふうん。そこまで……」

「怜。何か隠してるな」

「え」

「正直に吐け」

 声は静かなのに、目が怖いし、迫力がある。こうして被疑者は、口を割るのだ。

 無眠者とわかった時も影響は無いのかと凄く心配してくれたし、両親が亡くなってからは自分の事は常に後回しで、いつもいつも僕の事を優先しようとする。幽霊が見えるとか言ったら、どうするんだろう。今ここにいるとか犯人を見つけないと取り殺されるとか言ったら……。

「まあ、いい。本当に困ったことになる前には言いなさい」

「はい」

 兄は笑って、食事に戻る。

 兄ちゃん、男前だなあ。


 夜中。時間が余りまくる僕は、佐々木先輩と向かい合いながら、話し合っていた。丑三つ時に、ロープマフラーな先輩と、殺人の話。マヒしてきたのかな、恐怖が。

「今のところ、例の3人のうちの誰かが犯人か、もしくは、完全な通り魔だと思う。でも通り魔なら他に同じような事件が起こってないのは不自然だろう。だから、あの3人を調べるしかない」

「そうね」

「明日は日曜なので、ボクサーとゴスロリをさがしましょう」

「わかったわ」

「この際動機はとりあえず後回しです。世の中には、常人には理解できない理由で人を殺すヤツもいますから。それより問題なのは、会えば本当にわかるのかどうか、です」

「そう、ねえ」

 トーンダウンしやがったな、先輩。

「わかるんですよね」

「多分……」

「……」

「……」

「わからなかったらおしまいですからね。手はないんです。死ぬ気で──」

 死んでたな。

「根性で、何か犯人につながる何かを思い出すように」

「努力するわ」

 ぜひそうしてくれ。

「お兄さん、カッコいいのね」

「自慢の兄です。ちょっと心配症っていうか、直とか知人にはブラコンといわれるんですが」

「あら。君も結構ブラコンよ、おあいこだわ」

 え、まさか……。


 翌朝、いつものやり取りの後、1階玄関を出て直と一緒になったところで、女の人と鉢合わせた。大きなコンビニ袋を2つぶら下げていたが、片方は全て缶ビール、もう片方は弁当と総菜と冷凍商品しか入っていないのが透けて見えていた。食生活が乱れているな。どうでもいいけど。

「おっはよう、怜。先輩」

「おはよう、直」

 じゃあ行くか、と彼女から離れかけた時、彼女が何か言いた気にこちらを──正確には先輩を見ているのに気付いた。

 見える人なんだなあ。朝っぱらからとんでもないものを見せてしまって申し訳ないなあ──いや、僕のせいじゃないな、これは、とか考えながら行こうとしたのだが、いきなり腕を掴まれた。

「ちょっと待ちなさい!あなた、憑いてるわよ」

 はい、知ってます。

「悪いものよ、取り殺されるわよ」

「いや、結構素直で単純──あ」

「失礼ね!誰が単純よ!」

「すみません、口が滑って、じゃなくて」

「あなた、もしかして見えてる──いいえ、会話できるの?」

 助けを求めて直を見るが、同じく、動揺していた。

「来なさい」

「いや、用が」

「命より大切なこと?いいから来る!そっちの君も来なさい」

 うむを言わさずとはこういうのを言うんだろう。エレベーターに引きずり込まれ、3階で降りる。そしてなぜか我が家の方へと進んで行くではないか!

 なぜうちを知っている、こっちが知らないだけで向こうは僕を知っているのか、それよりとうとう兄ちゃんにばれる!とひたすら困っていると、ひとつ手前──隣のドアを開け、僕らを中へと入れた。

「え、お隣さん?」

「え、そうなの?」

 見つめあうこと、約5秒。

「初めまして。御崎 怜です」

「辻本京香です。1週間前に越してきたばかりでェ」

「ボク、友人の町田 直です。よろしくお願いします」

「よろしくね。さあ上がって──じゃない!」

 僕らは並んで、リビングのフローリングの上に正座した。


 向かいから油断なくこちらを見ている辻本さん──霊能者だった。霊能者なんて初めて見たな──に、洗いざらい僕らは白状させられた。

 はああ、と溜め息をついて、辻本さんが腕を組む。

「あのね、霊なんていつ何時襲って来るかわからないし、ただでさえ憑かれてたら霊障とかで体調が崩れたりするのよ。今すぐ祓いなさい、やってあげるから」

「待って下さい。佐々木先輩は犯人さえ捕まえられたら気が済むんです。無理やりじゃなく、少しだけ待ってもらえませんか。先輩の話を聞けばわかるでしょう。悪霊なんかじゃないって」

「だめよ」

「怜君、いいこと言うわあ。

 悪霊になんてなるものですか、このおばさん!」

 佐々木先輩がプンプンとするのに、辻本さんは平然としていた。

「先輩、失礼ですよ」

「え?」

 辻本さんがキョトンとする。

 あれ?こういう時、何の反応もないものなのかな。20代後半の女性の反応にしては、妙じゃないか?

 もしかして、と考え付いた僕は、佐々木先輩に耳打ちをして、あるお願いをした。

「わかったわ。

 おばん。ブス。アル中の女子力ゼロババア」

 うわあ。怒りそうな悪口を言ってみてくれと頼んだのは僕だけど……。

 ニコニコと言い募る佐々木先輩に、正座した足をもぞもぞとさせる直。そして辻本さんは、少し怪訝な表情で、僕と佐々木先輩に忙しく視線を往復させている。

「若作り。センス最っ低。ショタコン」

「もういいですよ。何か言えとは言ったけど、なかなか……」

 どんどん続ける佐々木先輩を止めて、益々怪訝な顔つきになる辻本さんに、確信した。

「聞こえてないでしょう」

 反射的に、視線がさまよう。

「聞く必要ないから、聞いてないだけよ」

「嘘ですね。表情は平然と取り繕えても、瞳孔反射までは自分でコントロールできない。自律神経だから」

「ウッ」

「え、何。何が起こってるの、怜」 

「先輩と話してわかってもらおうと思ったんだけど、辻本さんは声が聞こえないらしい」

 直に説明してやると、直は

「霊能者なのに?」

と首を傾けた。

「そ、そ、それは、合う波長とか合わない波長とかあるのよ。霊能者でも」

「ふうん。その割に慌ててるね」

 直が素直に返す。

「オホン。それはそれとして」

 あ、ごまかした。

「その霊を信用するつもりなのね」

 辻本さんはしばらく考え込んで、やがて、結論を出した。

「いいでしょう。今は祓うのはやめてあげます。でも、その子が悪霊化したらすぐに払いますからね。

 というわけだから、私も同行するわ。面白──いえ、監視しないとね」

「面白そうって言いかけた?」

 直と佐々木先輩が同時に言って、同時に首を傾けた。


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