第5話 要と友人

 昇りたての朝日に起こされて目を開ける。

 軽く伸びをすると、「ふあぁ…」とあくびが漏れた。

 今日は珍しく目覚まし時計よりも先に起きることができたな。と思い時計を見ると、案の定、まだ6時前だった。

 母たちを起こすと申し訳ないので、扉の音を立てないようにして廊下にでて、リビングに向かう。特に、佳夜のほうは昨日も遅くまで働いていたので、貴重な睡眠を邪魔するわけにはいかないのだ。


 リビングにゆくとふわり、と甘くて香ばしい香りが漂ってきた。

 どうやらひいろが昨日ホームベーカリーで仕込んでおいたらしい、今日の朝ごはんは焼きたてのパンだ。

 リビングのカーテンを開け、朝日を浴びていると、背後から声がした。

「あら、要。おはよう。今日は早いのね。ごはんの支度、もう少し時間がかかるから、先に着替えておいて。」

「うん、わかった。母さんはまだ寝てるの?」

 ”母さん”は佳夜のことだ。ちなみに、陽色のことは”お母さん”と呼んでいる。

 分かりづらい違いだが、これが一番しっくりきた。

「そうよ、昨日も帰りが遅かったから。佳夜、最近働きすぎじゃないかしら…。」

「今週、やけに頑張ってるよな…。とりあえず、僕は着替えてくる。」

 そういって部屋に向かう。危ない、このままだとひいろのゆるふわ空間に取り込まれて、遅刻するところだった…

 冗談はさておき、きちんとたたんであった制服をたんすから取り出して、制服に着替える。

 9月にもなれば正直少し肌寒くなってくるのだが、まだ衣替え前なので、夏服で我慢する。それにしても、今年は真夏の暑さの割に残暑は少なかったな…。

 リビングに戻ると、食卓にはザ・和食といった感じの朝食が並んでいた。

「あれ、今日パンじゃないんだ。」

 思い切りホームベーカリーで焼いたパンの匂いがしてたのにな…と思っているとひいろ

「まあ、それは晩御飯のお楽しみということで。」

 と言って悪戯っぽく微笑んだので、晩御飯は洋食の予感がした。


「行ってきまーす!」

 つまらない授業を受けなくてはならない憂鬱を空元気じみた挨拶でかきけし、扉を開けて学校に向かって歩く。

 いつもより早く起きたが、ギリギリまで家にいたいという思いが強いので、登校時間はいつも通りの7時40分。

 それに、この時間帯ならが話しかけてくるはずだ。

「よう、要!」

「おはよう、七海ななみ。朝から元気だな。」

 こいつは僕の幼馴染の七海。女っぽい名前だが、七海は苗字で下の名前は渡利わたりという。航海者にでもなりそうな名前だ。

「今日の宿題ってなんだっけ?」

「…まさかお前、やってきてないのか?」

「い、いやぁ?そんなことはないぞぉ?」

「声、裏返ってるぞ。あと、今日はテスト明けで疲れてるからって先生が宿題無しにしてくれたんだろうが、そのぐらいの話は聞いとけ。」

「えっ?そうなの?…よかった〜、安心した〜。」

「ただし、50点以下だった者は追試だそうだ。」

「えぇっ⁈そうなのか⁈」

「大丈夫だろ、なんてったって、僕が直々にわからないところを教えてやったんだからな。」

「そうだな!いや〜、あの勉強会のときに陽色さんが出してくれたクッキー、美味しかったな〜。佳夜さんも優しいし…うちも母親が二人がよかったなー。」

「七海。声がでかい。」

「あっ、悪い悪い…。でも、何もそんなに隠すことないんじゃねぇ?」

「あるんだよな…。少し男同士の距離が近かったり女同士の距離が近かったりするだけで”ホモ”とか”レズ”とかからかう風潮、あるだろ?母さんはどうやら僕をその偏見の被害に会わせたくないらしい。」

「ほぇー。色々と大変なんだなー。まぁ、うちはそういうの理解あるから、困ったことがあったら言えよ!」

 七海にも悪気はない。むしろ純粋に僕の家の家庭環境を羨ましがってる。

 なにせ、3歳のときに僕が「父親がいない」とからかわれていたときに、一人だけ「お母さんが二人、いいなぁ!」と目を輝かせながら言ってきたような人間だ。七海の家は両親共にストレートではあるものの、同性愛にも理解があるようで、その影響もあるのかもしれない。

 ちなみにその事件が原因で、七海は唯一僕の家庭の環境を知っている友人となった。

 それ以降僕は七海以外の友人や知り合いに「”母親”は佳夜だけで、陽色は”シングルマザーとなって仕事でよく家を開けることが多い母親に変わって家事をしてくれる住み込みのお手伝いさん”。」という設定で家庭環境を偽ることとなった。

 どう考えても「レズカップルと養子」の方がわかりやすいのに、世間一般では前者の方が納得がいくらしい。不思議だ。

 そんなことを考えながら七海と適当に雑談していると、学校に着いた。


 放課後、今日は部活もないので、早めに下校する。

「終わった…何もかも…」

「あしたのジョーかよ。頑張ったよ、おまえは、ただちょっと頭がポンコツすぎただけだ。」

「頑張ったの褒めてくれるのは嬉しいけどその言い方は酷くないか⁈」

「ごめんごめん。またお母さんのお菓子付きの勉強会呼んでやるからさ。」

「やったー!…でもおまえは結局何もしてねーじゃん。」

「教えてやったじゃねーか、勉強を。そのおかげで数学と国語は赤点回避できたんだろ?暗記科目は…まあ、お疲れ。」

「そうだな、八つ当たりして悪かったよ。」

「よし、じゃあ今日は反省会という名の説教対策でもやるか?」

「うん!…あっ、いや、いいよ、今日は。」

「予定でもあるのか?」

「うん。今日はちょっと塾が…」

「いや、おまえ塾行ってないだろ。」

「…バレたか。まあでも、今日は帰りたまえよ要くん。」

 七海がおかしな口調で僕を家に帰そうとしてくる。まあ、ここは粘るとこじゃないか。七海も説教をされる決心をしたのかもしれない。

「まあ、そこまで言うなら帰るけどさ。おまえにも、僕に知られたくない用事があるかもしれないし?」

「そういうんじゃねーよ!」


 家に帰ると、珍しくかやの車が家の前に停まっていた。

「ただいまー。」

 と言って扉を開ける。鍵は開いていた。

 すると

「要。誕生日、おめでとーう!」

 という声とともにクラッカーの音が僕の鼓膜に届いた。

 前方には両親。二人とも、何やらパーティー用らしい三角の帽子を頭に被っている。

「サプラーイズ!」

 とひいろが嬉しそうに叫び、

「渡利くんにも協力してもらったのよ。」

 と、補足を加える。

 あまりにも誰も触れてこないせいで忘れていたが、今日は僕の誕生日だった。

 なるほど。そう思うと、今朝からの不思議な現象にすべて合点がいく。

 七海、あいつバカなのに母さんたちに言われて僕の誕生日祝わないようにしてたんだな。バカなのに。と思っていると、

「いやぁ、でも渡利くん、何も考えてなさそうなのに、このことがバレないように一日中ちゃんと隠し通してくれたんだな!」

 と、かやが言った。

 血は繋がっていなくても、さすが13年間も一緒にいただけある。考えることが大体同じだ。

 そのあとは今朝の焼きたての匂いの原因であるひいろの作ったケーキやご馳走を食べ、かやからプレゼントをもらった。ぶっちゃけ、かやが一番楽しんでいたと思う。なにせ、今日有給を取るために今週すごく残業を頑張っていたのだから。


 かやが完全に酔いつぶれ、ひいろが食器を洗い始めていた時、「ピンポーン」とチャイムの音がした。

 扉を開けると、そこにいたのは七海だった。

「やっほー。要、誕生日おめでとう!」

「おお、ありがと。それにしてもおまえよく一日中隠し通せたな、バカなのに。」

「祝いに来てやってんのにそれは酷くないか⁈」

「悪い。ケーキの残りでも食べてく?」

「食べるー!って、なんか俺がケーキ目当てで来たやつみたいになるじゃねーか!」

「実際そうだろ。」

「違う。断じて違う!」

 そう言うと、渡利は急に真剣な顔になった。

「…なんかさ、気づいたら俺と要ってもう十年来の付き合いになるじゃん?」

「そうだな。」

「それでさ、最初は興味本位で近づいたけど、すごい嫌味とか言ってくるし、頭良いし、ひねくれてるから、『友達になって後悔した〜』って思うこともあったけど。」

 頭良いは今関係ねーだろ。

「…その、なんていうか、俺、要と友達になれてよかったよ。楽しいんだ、要といると、無理に取り繕わなくてもいいんだって思える。」

 いつもは聞かないセリフすぎて、「こいつ、死ぬのか?」とすら思った。

「でも、要自身は無理に取り繕ってるところ、あるよな。要自身のことだってそうかもしれないし、少なくとも、家の事情は俺にしか話してないだろ?」

 おまえの両親にも話してるけどな。

「だから、困ったこととかあったら、俺に相談して欲しいんだ。…なにも言われずに、『どうせおまえにはわからないだろ!』とか言って突き放されるより、その方が良いと思ったから。」

 暗いめのドラマでも見たのか?

「だから…その…これからも、よろしく!」

 突っ込みどころは満載だった。僕直々に指導して国語の赤点を回避したにしてはできの悪い文章だった。でも、口には出さなかった。

「おう!よろしくな、七海!いや、渡利!」

 そう言った時には、嫌味の代わりに涙が出ていたようで、視界が不鮮明になった。

「えっ、泣いた。あの雪の女王と呼ばれた要が泣いた!」

「ハンス・クリスチャン・アンデルセンかよ。」

 我ながら意味不明なツッコミを入れたと思う。

「えっ、あれディ○ニーの映画じゃねぇの⁈」

「原作は童話だよ。」

「へーえ、そうなんだ。要はなんでも知ってるな〜。まあ、これ使えよ。」

 そう言いながら、七海がハンカチを手渡してきた。

「ありがとう。」

 遠慮なく涙を拭う。

「あ、ちなみにそれプレゼントな。」

「は?」

「いや、普通に渡したら使ってくれないかと思って。」

「使うよ、七海にしてはセンス良いし。」

「七海にしてはってなんだよ!」

 いつも通りのやり取りをしていると、ひいろが介入してきた。

「渡利くん、わざわざこんな遅い時間にありがとうね。ずっと玄関先じゃなんだし、ケーキ食べる?」

「食べます!」

 なんの遠慮もなく家に上がる七海を見て、「無理に取り繕わなくていい」という言葉を思い出す。「無理に取り繕わなくていい」と思わせてくれるのは、僕じゃなくて七海の方なんじゃないだろうか。

「つくづく、良い友達を持ったものだなあ。」

 聞こえないように小声で言った。

「へ?なんか言った?」

 聞こえていなかったようだ。

「いやぁ、なんでもないよ?」

 と、僕はいつも通りの微笑みを浮かべた。



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