第4話 それはまるで死者の国のような【下】

 気づいたのなら、すぐに伝えよう。いまなら、まだ、伝えることができそうだから。

 摘みたての白百合のようなこの気持ちを、いますぐ渡したいから。

 私は走った。つい先ほど友達と絶交まがいのことをしたとは思えぬほど、元気に、軽快に。


 図書館に着くと私は足早に「ファンタジー」と書かれた本棚に向かった。

 彼女と出会った場所だ。あの日、彼女が私を、霧島佳夜を呼んだのだ。

 ありがたいことに、その本は誰にも貸し出されることなく、いつもの場所に置いてあった。まぁ、そのせいで彼女は悩んでいたのだが。

 そっと本を手に取り、開こうとする。

 手が、一瞬止まった。

 私のこんな気持ちを聞いて、リリィは気持ち悪いと思わないだろうか?

 リリィにまで拒絶されたら、私は正気を保っていられるのだろうか?

 

 いや、リリィはそんなことを言わない。

 私のことを、「素敵な人」と言ってくれた。

 性別は「些細なこと」と言ってくれた。

 リリィに断られたら、それは、性別が問題なんじゃない。

 だから、大丈夫だ。

 私はそっと、本を開いた。


 「あら、佳夜。お友達とお話は出来た?」

 「おかげさまで、出来たよ。まぁ、結果は散々だったけどね。」

 「そう…それは残念だったわね。ごめんなさい。力になれなくて。」

 「大丈夫。話ができただけで、十分だったよ。それに、大切な気持ちに気づけたしね。」

 「大切なー気持ち?」

 「うん。私ね、リリィのことがー」

 「好き、なの。」

 私がそう言うと、リリィはぱあっと顔を明るくした。

 「本当?それって、Likeじゃなくて、Loveのほう?」

 「そう、Loveのほうだよ。」

 「嬉しいわ!私も、あなたのことが好きなの!」

 「本当?」

 「本当よ!でも…」

 でも?

 「でもね、ごめんなさい。私、あなたのその気持ちに答えることはできないの。」

 「…なんで?」

 残酷な質問だったと思う。でも、聞かずにはいられなかったのだ。

 「私…私ね。もう、前に進めないの。」

 「前に、進めない?」

 「過去の人間なの、もう新しく物語が紡がれることのなくなった死人なの。」

 「死人?」

 「ごめん。ごめんなさいね。これ以上は私の口からは言えないわ。」

 「リリィ?謝らなくていいよ。謝らないでよ!」

 リリィから、返事はなかった。


 家に帰ると、PCの電源を入れ、インターネットの検索ページを開く。

 そして、「若苗色の道標」と入力し、検索にかける。

 検索結果に紹介ページが出てきたので、クリックして、開いた。

 

 「若苗色の道標」。主人公のシオンが奴隷商人に攫われた友人を助けるために旅に出る。という内容の、王道ファンタジー小説。

 旅の手助けをしてくれて、頼りになる、シオンの良き理解者、マルク。神の使いで、祈りが得意なヒロイン、リリィなど、魅力的なキャラクターが多く存在する。

 長編のため、続刊が出る予定だったが、作者急逝のため、未完に終わった。


 未完。これが、リリィの言っていた”死人”という発言の正体。

 物語が紡がれなくなった理由。

 それにしても、リリィは”ヒロイン”という定義づけだったのか。

 となると、もしかして「リリィがシオンと結ばれる」なんて結末もあったのだろうか。 

 

 翌日、また図書館へ行った。

 いつも通り「ファンタジー」の棚へ行き、いつもの本を手に取る。

 そして、いつもと変わらず、そっと本を開き、声をかける。

 問題は、リリィが応じてくれるかどうかだ。

 「おーい、リリィ。昨日の言葉の意味、わかったよ。」

 「あら、佳夜。こんにちは。調べたの?」

 「うん。」

 「もしかして、私たちの結末。とか、書いてなかった?」

 「結末…?」

 「うん、結末。私たちの旅がどんな風に終わるはずだったのか。…書いてなかった?」

 昨日見たページを思い出す。

 「いや、私の見たページには、載ってなかったかな…。」

 「佳夜、一つ、お願いがあるの。」

 そう、リリィがいつになく真剣な、大人びた表情で言う。

 「なに?」

 「探して欲しいの、結末を。私の、私たちの、旅の行く末を。」

 とても真剣な、光のこもった眼差しだった。

 聞き入れないわけにはいかなかった。

 「うん、いいよ。私の出来る範囲なら、いくらでも協力する。」

 そう、私が告げるとリリィはとても嬉しそうに微笑んだ。

 「本当⁈ありがとう!佳夜。お願いするわ!」

 その声は、心から喜んでいた。

 …ように聞こえた。少なくとも、その頃の私には。


 その日以来、私は毎日通い詰めになっていた図書館にも行かず、学校から帰ればPCに電源を入れ、インターネットで「若苗色の道標 結末」と検索をかけ、片っぱしからページを開いた。

 そんな作業が3日も続いたある日。やっと探していたものが見つかった。

 それは、「若苗色の道標」の作者の親友のブログに綴られていた。

 

 『彰人あきひとの遺品整理中にこんなメモが出て来たらしく、彰人のお母さんから渡されました。

 亡くなる直前まで自分の創った世界を見ていて、とても浮世離れした存在だったから、まだ逝ってしまったということが信じられないです。

 メモの写真を載せておきます。彰人にとって、リリィはとても思い入れのあるキャラクターだったから、きっと、最期までずっと悩んでいたのでしょうね。』


 メモに書かれていた文字は、お世辞にも綺麗とは言えないものの、力のこもった、良い字をしていた。


 【商人から親友を助け、商人を倒したシオンは、これから一緒に旅をしようと親友に誓い、旅を続け、マルクは実家の鍛冶屋を継ぐために街へ戻る。

 そんなある日、シオンから告白を受け、旅についてこないかと誘われたリリィは】


 幾度も消しゴムで消した跡が残った部分。あまりにも黒ずんでいたので、私にはとても解読できなかった。

 画像を保存し、プリントアウトする。

 持っていこう、あの場所に。リリィの元に。


 3日ぶりに図書館に訪れる。たった3日のはずなのに、なんだか懐かしい感じがした。

 いつも通りの本棚へ向かい、いつも通りの本を手に取る。それさえも、今日はなんだか特別に思えた。

 「おーい、リリィー。いるかーい?」

 「いるわよ!久しぶりじゃない、佳夜。心配したんだから!」

 「ごめんごめん。例のこと、調べてて…」

 「あら、そうなの。わざわざごめんなさいね。」

 「いや大丈夫。それでさ…その…」

 「”結末”が見つかったの?」

 またリリィが私の心を見透かしたように言う。 

 「うん。そう。そうなんだけど…」

 そう言って私はポケットに入れた写真を取り出した。 

 「これ、読める?」

 一瞬、リリィが怪訝そうな顔でそれを見る。

 すこし間があいて、リリィの瞳から一粒の雫が流れた。

 「そう…そうなのね。彰人さんは、私の言いたかったこと、ちゃんと、わかっていたのね…。」

 どうやら読めたらしい。よかった。

 「…どんなことが書いてあったの?黒ずんでて、うまく解読できなかったんだけど…。」

 「それはね…。」

 「…私は、シオンからの告白を受け取らずに、神殿に戻ったの。誰も触れることのできない、神の使いに、戻ったのよ。」

 「誰も触れることのできない…?」

 「えぇ、そうよ。佳夜、ごめんなさいね。」

 「なんで謝るの…?」

 「私、言わなかったわ。言えなかったの。…最後まで。」

 「言えないって?最後って何?ねぇ、答えてよ!」

 「そうね。あなたには、言わないといけないわよね。」

そう言うとリリィは深く息を吸って、真剣な表情でこちらを見た。

 「あのね、佳夜。私が、物語の世界の住人ってことは、知っているでしょう?」

 「それで、結末を知った住人たちは、もうその世界から出ることはできないの。というか、本来なら私だって、こんな風に佳夜みたいな一読者と話したり、できないのよ。」

 「でも、シオンやマルクと違って、私は、結末を与えられなかった。」

 「だから、その世界から出て、こうやって、お話をすることができた。」

 「ねぇ、それってもしかして…」

 リリィの体が薄く、半透明になってゆく。

 それを私は、ただ、傍観することしかできなかった。

 ただ、静かにして、最後に聞くことになるかもしれないその声を、耳に焼きつけることしかできなかった。

 「えぇ、貴方の思っている通りよ。さよならは言わないわ。佳夜、最後にこれだけ言わせて…」

 「愛しているわ。素敵な人。」

 リリィの声が、私以外誰もいなくなった空間に反響する。

 すてきなひと。数日前、友人と些細なことで絶交した私には、とてもそぐわない言葉。

 でも、その時だけは、その言葉を聞き入れたかった。

 悲しかった。でも、それ以上に私はー

 嬉しかったのだ。


 ――陽色と要と別れ、「ファンタジー」の棚へ向かう。

 懐かしい、あのタイトルが目に入った。

 でも、もうあの子の声は聞こえない。

 そっと、本を開く。声はしない。姿も見えない。

 なのに、あの子が私にまた、微笑みかけたような気がした。


 そこはまるで死者の国のようだ。と、誰かが言っていた。

 古くなった本の匂い、街にいる人よりはるかに静かな人々、本が好きな人々の、愛が詰まった空間。 

 人が死んでも、その人の描いた物語セカイは、その場所に留まり続ける。

 その人が思い描き、理想とした物語セカイは。

 偶像ヒロインとして生み出され、誰とも結ばれずに終わった少女は。

 今も、そこに。

 


                   「それはまるで死者の国のような」fin

 


 

 

 

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