大きな屋敷に住む男
ロッドユール
大きな屋敷に住む男
海の見える高台にその巨大なお屋敷はあった。明治時代の初め頃に建てられ、その後の巨大地震にも空襲にも生き残り、近代化されつつある住宅街の中で、そこだけが別の時代のように浮き立っていた。
敷地は千二百坪ほどもあり、池のあるちょっとした公園といった広さの庭のやや北側に、江戸時代を思わせる純日本風の二階建ての豪壮な屋敷が建ち、かと思うとそのすぐ隣りに続きとして、薄い緑色をした背の高い明治期の洋館が並んで建っていた。敷地の南の端の方にはレンガ造りの何に使うのか、古びた煙突みたいな高い塔が一つポツンと立っている。何ともアンバランスな並びだが、なんでも受け入れてしまう寛容な明治期の時代性がそうさせるのか、なぜか不思議と許せてしまう独特の雰囲気があった。
この奇妙なお屋敷に、青年というには年を取り、中年というにはまだ若いちょっと頼りなげな男が一人住んでいた。
そしてもう一人、この男に雇われたお手伝いさんの、まだ若いが決して世間知らずな娘という年ではない、これまたちょっと頼りなげな女性が、昼間この屋敷に通っていた。
そのお手伝いさんの名前は君子といった。君子は、週四日、朝九時にこの屋敷にやって来ては、夕方四時まで、広大で無数の部屋と棚のある空間を隅々まで、せっせと丁寧に掃除して回り、次の日はその続き、そのまた次の日は、またその続き、広大な屋敷全部を一通り終わる頃には最初に掃除したところがまた埃が積もっているといった具合で、そんなルーティーンを無限に続けていた。
君子はいつも不思議に思っていた。この館の主は日がな一日いつも同じ、洋館の入り口の階段に座って何をするでもなく一人ぼーったたずんでいる。
「この人はいったい何をしているのだろうか?」
それ以前に、どんな人なのか。訳を尋ねようにも、この主とはほとんど口を利いたこともない。挨拶すらも殆どしたことがなく、お互い存在しないかのような空気みたいな関係になっていた。この主が動く時といえば、時々、思い立ったように敷地の庭に敷き詰められた綺麗な厚い絨毯みたいな芝生を手押し車みたいな芝刈り機で刈る時くらいのものだった。しかし、何が楽しいのかこの時のこの主は何とも楽しそうだった。
君子がこの屋敷にやってきたのは、ちょうど一年前の今のような暑い夏の日だった。その日、また失業してしまった君子は、この屋敷のある高台へと続く一キロもある急な上り坂を汗を掻き掻き、うんざりしながら上っていた。その時、一息つこうと、ふと立ち止まった電柱に(お手伝いさん求む)というなんとも簡素な手書きの貼り紙を見つけた。普通の人間ならここで何事もなかったかの如く、スルーしていくところなのだが、しかし、もう何度目か分からない失業をしたばかりの君子は違った。律儀にいつも持ち歩いているメモ用紙に連絡先をメモすると、家に帰り、早速電話をした。
「じゃあ、すぐに来てください」
電話の向こうでそう言われた君子は、慌てて履歴書を書き上げこの屋敷に駆けつけると、バカでかいお城の門みたいな門をちょっと躊躇しながらくぐり、だだっ広い敷地を迷いながらうろうろしているところを、ここの主に発見され、
「では、よろしくお願いします」
ほとんど会話もせず履歴書なんか出す暇もなく、君子は、その日、このお屋敷のお手伝いさんになっていた。
「掃除をお願いします」
主に言われたのはそれだけだった。
だから君子は、来る日も来る日もこのバカでかいお屋敷に通い、そのだだっ広い部屋部屋を次々掃除していった。
「ふーっ」
君子は広大な屋敷をを見回し、今日も溜息をつく。別にノルマがあるわけでもなく、適当にさぼることもできたのだが、まじめな君子は、一生懸命、毎日毎日隅々までできうる限り掃除をしてしまうのだった。
条件は悪くなかった。いや、とても良かった。こんな条件の待遇は普通ではありえないと思われた。多分、同じ仕事の相場の三倍はもらっているのではないだろうかと君子は漠然と思っていた。
君子がちらっと外へ目をやると、ここの主はやはり、今日も呆けたようにいつもの階段のいつも場所に座っている。君子はなんだか漠然とした不安にかられた。給料はしっかり決められた日に、決められた額支払われていた。しかし・・
こんな大きなお屋敷の持ち主なのだからお金持ちには違いない。だから働かなくても食っていける。それは分かる。それは分かるが、しかし、しかしなぜ、毎日毎日同じ場所に座り続けるのか。
君子は当初、他人の家のことには首を突っ込まないでおこうと思った。それが礼儀だと思ったし、自分の性分ではないと思った。それに話し掛ける勇気もなかった。しかし、さすがに一年も経つと、疑念と一抹の不安がせりあがってきてどうしようもなくなってきた。
「あのっ」
何度も躊躇した後、君子は思い切って、いつもの場所に座る主の背後で声をかけた。が、声が小さ過ぎたのか、なんの反応もなかった。
「・・・」
君子はやはりやめようと、踵を返した。
「何か?」
その時、背後で主の声がした。君子はビクッとして、おずおずと再び主の方を向いた。
「あの、何か?」
主は、色白の顔を君子に向けて何事かと不思議そうにしている。そういえばこの顔をまともに見たのはいつ以来だったか。君子は改めて思った。
「ご主人様は・・」
君子はおずおずと言った。
「私は康介と言います」
「康介・・さん・・」
「はい」
「どうして康介さんはいつもそこに座っておられるのですか」
「はあ」
康介は、きょとんとしていた。
「あ、すみません。余計なことを」
君子はなんだかやっぱり怖くなってきて、素早くそう言って頭を下げると、その場を立ち去ろうとした。
「僕はこの場所が好きなんです」
康介はそんな君子の背中に言った。君子は再度振り返った。康介は純真無垢な子供みたいに嬉しそうに君子を見つめていた。
「僕はこの場所が好きなんです」
康介は改めて言った。
「はあ」
君子は意味も分からず、その場に佇んでいた。
「よかったら君子さんも座りませんか」
「えっ」
「君子・・、さんでよかったですよね?」
「は、はい」
「ここに来れば分かると思います」
康介は笑顔で言った。
「は、はい」
君子は康介の隣りに同じように、おずおずと穿いていた長い地味な黄色のスカートを両手でたたみながら膝を抱えて座った。
「どうですか」
「はあ」
その場所は確かに不思議と心地よかった。屋敷と洋館のヒサシがちょうど、木陰を作り、庭に植えられた数々の木々の間から心地よい風が流れてきた。そして庭に敷き詰められた芝生が青々と輝き、強烈な緑の香りを放つ。そこに、どこかしら、海からの潮の香りも漂ってくる。
「確かに何か・・」
「でしょ」
康介は、君子の言葉をすべて聞く前にもう納得していた。
「この場所は、とても居心地が良いんです。そして飽きないんです」
康介は嬉しそうに言った。君子はそんな康介の横顔を覗くが、全く心の底から言っているようだった。
二人は、その場所に黙って座ったまま、しばらくその心地よい風を感じた。
「私は生まれた時から体が弱くて、でも、一日寝ているのも嫌なので、天気の良い日はいつもここにいるんです」
耕助が、庭の木々を見つめながら言った。
「そうだったんですか」
「体の調子の良い日は芝刈りをします」
康介は、青々と立派に刈られた芝を自慢げに見つめた。
「あの、もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
君子はもののついでだと思い、思い切ってもう一つ疑問に思っていたことを訊いてみた。
「なんでしょう」
康介は優し気な表情で隣りの君子を見た。
「なぜ、私だったのでしょう」
「はい?」
「なぜ私だったのでしょう。私なんかよりも、もっと優秀な人はいたはず。あれだけの良い条件でしたら・・」
「ああ、なるほど、そういうことですか」
「なぜ、私だったのでしょう」
君子は康介の顔を覗き込むように見た。
「あなたが、一番だったからです」
「はっ?」
「あなたが一番最初に電話してきたからです」
「はあ」
君子は康介の人の好さそうな色白の細い顔を見つめた。
「・・・それだけ・・、ですか?」
「それだけです」
「・・・」
「私はこの巨大な家を相続したのですが、一人で住むには大き過ぎる。しかし、売りに出しても買い手が見つからない。しかし、ほっとくわけにもいかず、住み着いたというわけです。しかし、あまりに巨大だ。一人で管理するのは難しい。さっきも言いましたが、体も弱い。だから、掃除してくれるお手伝いさんが必要だった」
「それが私・・」
「そう」
康介はその人の良さそうな顔にこれまた人の好さそうな笑みを浮かべた。
「私はここの土地の人間でもないので、どこに頼んでいいのか、募集を募っていいのかも分からなかったので、近くの電柱に手書きの貼り紙を貼ったのです」
「そして、私が電話した」
「そう、あなたから電話が来た」
「・・・」
「はははっ、最初電話が来た時は、正直びっくりしました。全く期待していなかったので」
康介は陽気に言った。
「君子さんがいらした後も何件か電話がありましたよ。それはもちろん全部お断りしましたが」
「・・・」
君子はなんだか複雑な思いでそれを聞いていた。
「あの・・」
「はい」
「私でよかったんでしょうか」
「何がですか?」
「一年も経って訊くことではないのですが・・、あの、その、お手伝いさんとして・・」
「申し分ありません」
「でも、私はあの・・、口下手で・・、ろくに挨拶もできなくて・・、それに・・」
「それに?」
「こんな・・、美人じゃないし・・」
君子は、自分がずっと気にしていたことを言った。康介はそんな君子を、不思議そうに見つめた。君子は、相手は一人暮らしのお金持ちの男性であるのだし、もっと美人で気の利く女性の方がよかったと思っているのではないかと、かねがね思っていた
「私は静かな人が好きなんです。私自身社交性がある方じゃありませんし、それにあなたは自分が思っている以上に魅力的な女性だ」
康介はそんな君子にやさしく言った。
「嘘です」
君子の顔は真っ赤になっていた。
「本当です。あなたはとても、きれいだ」
「嘘です」
突然、生まれて初めてきれいと言われた君子は、恥ずかしいやら、動転するやらで、真っ赤な顔をさらに真っ赤にして、いたたまれず突然立ち上がると、突発的にその場から走り出してしまった。
「あ、あの」
康介の慌てる声を背後で聞きながら、君子は訳も分からず全力で走った。
しかし、屋敷の外まで走り去って来て、君子ははたとと立ち止まった。
「私は何をしているのだろう・・」
仕事をほっぽり出して、私は・・。しかし、今さら戻るに戻れない。仕方なく、君子はそのまま歩いて十五分ほどの自宅へととぼとぼと力なく帰っていった。
次の日、恐る恐る再び君子はお屋敷へやって来た。いつもの場所に康介はいた。
「すみません。昨日は・・、突然飛び出してしまって」
君子は丁寧に頭を下げた。
「いえいえ、よかった。もう、戻って来られないんじゃないかと心配だったんです」
康介は君子を見つけると、笑顔で立ち上がった。
「もうクビかと思いました」
「そんなことはありません。いつ来てもいつ帰ってくれてもかまいませんよ。あなたの都合で結構です」
康介がやさしくそう言うと、君子は突然泣き出した。
「何か気に障ることをいいましたか」
康介が慌ててそんな君子の顔を覗き込んだ。
「違うんです」
君子は涙を抑えながら言った。
「すみません・・、何か・・」
「違うんです」
君子は溢れる涙を必死で拭った。
「私、こんな優しい言葉かけていただいたの生まれて初めてで・・」
君子は溢れる涙を抑えながら、何とかその言葉を口にした。
「そうだったんですか。安心しました。私は口下手で、特に女性にはダメなんです。余計なことを言っては怒らせてばかり」
そう言って、康介は頭を掻き掻き笑った。そんな康介の姿を見て君子は泣きながら、つい笑ってしまった。康介はなおも頭をぼりぼり何とも困ったように笑っている。
「また少し、お話をしませんか。クッキーを買ってきたんです。この街で有名なお店だそうです」
君子が落ち着くのを待って、そう言うと康介は、傍らに置いてあった大きな真鍮製のクッキーの缶を開けた。
「じゃあ、私、お茶を淹れます」
「あ、すみません。紅茶が棚にありますから。分かりますか」
「はい、だいたいは、何度もキッチンは掃除しましたので」
しばらく経って、君子はティーポットと紅茶カップを二組お盆にのせて持ってきた。そして昨日と同じように、康介と並んで座り、それぞれのティーカップにきれいに薄赤い色の広がった紅茶を注いだ。
「あなたを雇ってから一年になるのにろくに口も利いていませんでした」
康介は申し訳なさそうに言った。
「それを改めて何とも申し訳なく思っているんです。さっきも言いましたが、どうも私は口下手で、しかも女性にはからっきしなんです。だから、良かれと思って距離をとっていたつもりだったんですが」
「いえ、私もなんだか・・」
「すみません」
「いえ、私もいけなかったんです。私も社交性が絶望的に皆無で・・、人に話しかけるなど全くできない人間でして・・」
君子も力なくうつむいた。
二人は、君子の淹れた紅茶の透き通った赤の奥を言葉もなく静かに見つめた。
「ふふふっ」
突然、笑い出した康介に君子は顔を上げた。
「はははははっ」
「何を笑っていらっしゃるんですか」
君子は驚いて康介を見つめる。
「いえ、失礼。決してあなたを笑っているんじゃないんですよ。ついね。一年も殆ど口も利かないでいたなんて、なんだかおかしくて」
そう言われると、確かにおかしかった。
「ふふふっ」
君子も康介と一緒に笑い出した。
「ふふふっ」
「はははっ」
二人は、恥ずかしそうではあるが、心の何かが解けるように笑い合った。
「この紅茶おいしいです」
君子は少し冷めてしまった紅茶カップをすすった。
「ええ、もらいものですが、これはなかなかいいやつなんですよ」
康介もティーカップを手に取った。
「ここのクッキー私大好きなんです」
数ある種類のクッキーの中で、真ん中にイチゴジャムの乗ったクッキーを手に取り君子は言った。
「ご存知でしたか」
「ええ、地元じゃ有名なんですよ」
「そうでしたか。僕は広島出身なんです」
「そうだったんですか。そう言えば訛りがどこか・・」
「私の母方の祖父の遺産なんです。この屋敷は。母が広島に嫁ぎましてね」
「じゃあ、もともとはこちらに出自がおありなんですね」
「ええ、知らない土地ですが、何度か遊びには来たことはあったので、それで思い切って」
「こちらに来られたのですね」
「ええ、そういったわけです」
康介も傍らのクッキーの缶から、なんの飾りもないクッキーを一つつまんだ。
「広島は大変なことになったそうですね」
「え?ああ、戦争の時」
「はい」
「母が、当事者だったみたいですが、私はなんせ生まれてませんから」
「そうですね。もうだいぶ昔のことですね」
「母は当時のことはあまり話したがりませんでした。父は兵隊に取られて、広島にはいなかったみたいですし。だから私も詳しくは知らないのです。もちろん学校やなんかではいろいろと教えられはしましたが」
「そうでしたか」
「ただ母は、寝ている時、度々とてもうなされていました。そのまま死んでしまうんじゃないかというくらい、汗を掻いて苦しんでいるんです」
「お母様はやはり何か見たのですね」
「ええ、多分」
「母は確かにあの時、広島にいたのです。それは親戚の人の話ではっきりしています。婦人部の仕事で救護活動もしていたみたいなんです」
「では・・」
「ええ」
二人はそれ以上の言葉を見つけられず黙った。
「私の体の弱さもそのせいではないかと、親戚中で言われたりもしました」
「・・・」
「真相は分かりません。ただ、いろんな医者に診てもらったのですが、結局原因は何も分かりませんでした」
康介は、どこか遠くを見つめるように庭の木々を見つめた。
「人間は鬼じゃ」
「えっ?」
「僕が小さい時、母がふと言ったんです。どんな時だったかは覚えていないのですが、母はそんな言葉を言うような人では決してなかったから、とても驚いたのを覚えています」
「鬼・・」
「その時は何を言っているのか分からなかったのです・・」
「・・・」
「なんだか、暗い話になっちゃいましたね」
康介は少し笑った。
「いえ」
「そうだ。今夜、僕に付き合ってもらえませんか、見せたいものがあるのです」
康介は突然思い立ったように君子を見た。
「えっ」
「もちろん残業代は出します」
「い、いりません」
「じゃあ、付き合ってくれるんですね」
「は、はい」
「では、夕食もご一緒しましょう」
「は、はい」
「ここです」
夕食をゆっくりと食べ、遅い夕闇がゆっくりと広がり始めた頃、康介が君子を連れてきたところは、あの謎の煙突のような塔だった。君子がこの塔を近くで見るのは初めてだった。いつも遠くからは見飽きた存在であったのだが、間近で見ると、その古さと、レンガの重厚さにまた違った存在感があった。
入り口を康介が開けると、ギシギシと錆びた鉄のこすれる音が中の空洞に響き渡った。
康介が先に中に入り、何かスイッチを入れると、中にオレンジ色の小さな明かりが灯った。
「わぁ」
君子が康介の後ろについて中に入り、上を見上げると、塔の中は外壁に沿うように螺旋階段が巡っていた。
「こんな作りになっていたのですね」
初めて中を見る君子は感心してその螺旋階段を驚きをもって見つめた。
康介はそのまま塔の中の螺旋階段を昇って行った。君子も黙って後に続く。
「足元に気を付けてください」
「はい」
階段は幅が狭く、上りも急だった。
息が切れて、太ももが辛くなってきた頃、二人はやっと塔のてっぺんについた。
「ここはいったい・・」
てっぺんは六畳くらいの広さの屋上になっていて、その周りを腰の辺りまでの高さでやはりレンガで囲いが巡っていた。その上に、真鍮製のとんがり帽みたいな屋根がちょこんと乗っかている。
「これは昔の見張り台だったそうです」
「見張り台・・」
上に辿り着いてみると、想像以上にそこは高かった。海が一望に見渡せ、周囲の住宅街も遠くまで見渡せた。
「でも今は、とても星がよく見える」
「あっ」
君子が夜空を見上げると、数えきれないほどの星々が夜空を覆っていた。
「素敵でしょ」
「はい」
「僕もこの間気づいたんです。だから、ぜひ君子さんに見せてあげたくて」
「素敵です」
君子はその星の圧倒的な瞬きの群れに、一瞬で魅了された。いつも見ているはずのなんてことない星々が、まるで生きているかのように、二人の真上でめいっぱい輝いていた。
二人はまるで全く別の世界を見ているのような気分で星空を見続けた。
「あの日も、こんな星空だったのでしょうか。あの惨劇の上で・・」
君子は呟くように言った。
「さあ、もしかしたらそうだったのかもしれませんね」
康介は穏やかに言った。
「私・・」
「えっ」
「私、同じ仕事を一年も続いたの初めてなんです」
君子は自嘲気味に少し笑って言った。
「私・・、本当にダメで・・、もうどうしようもないくらいダメで・・、仕事も失敗ばかりでクビになってばかり・・、人とうまくしゃべれないし、性格も暗いし、なんかうじうじじめじめしてるって・・、もっと明るくなれとか、何考えてるか分からないって・・、そんなこと言われてばかり」
「・・・」
「ほんと、私ダメだなって・・」
「僕も小さい頃から一人ぼーっとしている人間でした。周りからは何考えているか分からないって、さんざん言われました。体も弱かったし、周囲からは殆ど関心を持たれませんでした。もう諦められていたんでしょうね」
「要領も悪くてね。結局、僕が相続したのは親戚中が厄介がっていたこのお屋敷だけ。しかも、物持ちがよくてね。不動産屋には屋敷を潰してさら地にすれば、すぐ売れると言われたんですが、どうにも、できなくて・・」
そう言って、康介は頭を掻きながら君子を見て笑った。君子も笑った。
「僕はこのお屋敷が好きになり始めている」
康介は再び星を見上げた。
「私もです」
君子も星を見た。
「全然機能的じゃないけど、とても、心地良い」
「はい」
「最初は、厄介なものを背負ってしまったと思ったんですが、これがなかなか良かったと今は思っています」
「はい」
「それに・・」
「それに?」
君子は康介を見た。しかし、康介はそう言ったなり黙ってしまった。
「あの・・」
しばらく経って再び康介は口を開いた。
「はい」
「これからもこの屋敷に来てくれますか」
康介は君子を見つめた。
「はいっ、喜んで」
君子は心からの笑顔で答えた。康介も笑った。二人はお互いを見つめ微笑むと、再び夜空の星々に見入った。
心地よい波の音と共に、夜空に瞬く星々は無限の時空を照らしていくようにいつまでも輝いていた。
(終わり)
大きな屋敷に住む男 ロッドユール @rod0yuuru
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