第2話 ネカマ疑惑

 派閥のチャットルームへと案内されたわたしは、すぐに派閥の構成員の――主に男性たちから、歓迎を込めた質問攻めに遭うことになりました。



「(σ´・ω・)ネェネェ 梓ちゃんは女子大生? それとも女子高生かな?」

「リアルの梓は、どんな娘なのかなぁ?」



 残念なことにリアルの『梓ちゃん』は、ヒゲ面のむさ苦しい『キヨシ』に過ぎなかったのですが、すぐにわたしは確信しました。

 

 即ち、この『五筒開花』の世界においては、女性キャラを使用しているというだけの理由で女扱いされる――という事実が存在するということだったのです。



 はじめは、わたしも正直に自分の性別を明かすことを考えはしたのですが、彼らの夢を打ち壊すのもよろしくないと思い、「女子大生でえす~♪」などとつい悪ノリをしてしまったのです。


 この日、わたしは名付けたばかりの名前によって、人生で初めて「ネカマ」というものになったのでした。


 この名前は、のちにわたしがネカマとして活動していく中で、極めて重大な布石になったのは言うまでもありません。


 そして女子発言と同時に、当然ながらわたしは後戻りが出来なくなりました。今更、「実は男である」とは言えなくなってしまったのです。



 しかしこの『梓燕』という名前は、どうも綺麗な女の人を連想させる効果があったようです。


 また互いの顔が見えないというのも手伝い、この世界の男性たちは現実の世界よりも女性に優しい傾向があり、異性に対して尽くしてあげようとする風潮がありました。


 そのためか、わたしはとにかくチヤホヤされました。



 更にいえば、この時のわたしは大学に通っていたのですが、その前に短期間のみ美容学校に籍を置いていたことがありました。


 彼らにそのことを話してみると、すぐに『美容師+女の子=カワイイ』の方程式が成り立ったのです。


 実際には中退に過ぎない美容学校の経歴が、意外なところで役に立ってしまったのでした。


 これはもうチヤホヤどころか、フィーバーしていたのです。



 なんと居心地がいいのだ――と、わたしは現実世界の恋人である未央よりも、オンラインゲームの世界の住人のほうが愛をくれていると思うようになり、仮想世界にどっぷり浸かることになりました。


 ハサミと鉛筆が飛んでくる恐怖の現実より、仮初めの愛にしがみついてしまったのです。


 この時、はじめてセックスがなくても愛は育めると悟ったものです。私は性欲を全てオンラインゲームをプレイするためのパワーに変換し、持て余すことなく注ぎ込みました。


 不思議なことに、どうも女子の気分でいると、性欲というものはなくなっていくようなのです。



 それからカワイイお姉ちゃんという存在は、やはり人生において得であるというのも間接的に判ってくるところがありました。


 わたしの分身である『梓燕』はその後も着々と人望を集めました。現実世界でのわたしには、気にかけてくれる友人も少なく、人望も霞んでいたものですが、『五筒開花』での私はまるで新手の地下アイドルのように、皆さんに愛されたものです。


 自分でいうのもおこがましいのですが、わたしという人間は、「ネカマ」というものに、どうやら一定の才能があるようです。



 更にテクニック的なことを申し上げますと、本体が男であるのですから、男を喜ばせるようなことを言うのは純粋な女子よりも簡単です。


 わたしは『梓燕』にシモネタに寛容な女子を体現させ、しかし重大なところでは恥じらいを忘れないといった焦らしを絡めることで、キャラ付けを行っていきました。


 このように男性目線からみて、極めて都合の良さそうな女子キャラ像を確立することを目指しながら、わたしは『梓燕』を育成していったのです。


 だから、なんだかわたしはMMORPGで冒険をしているというよりも、MMO乙女ゲームをプレイしているかのような錯覚に囚われたものです。



 しかし男をさばいていくということは、容易なことばかりではありません。中には本当にキモイ人もいたものでした。


 といいますのも、このゲームには、密談というささやかな卑猥性を想起させるコマンドがあり、普通のチャット以外にも当事者同士で話せるコマンドが実装されていたのです。


 わたしがログインした途端、いきなり密談が降ってくるやいなや――


「おはよう! ちゅっ♪」

「コンチャ! チュッ♪」


 などと、薄気味の悪いメッセージに襲われることも、珍しいことではなかったのです。



 わたしもこの俗にいう『ログイン・キス』には、辟易とさせられたものです。


 世の男性が恋人関係にない女子に行う行為について、普段、同性の立場では知られざる部分に触れたわたしは、この時はじめて、女の子は大変なんだな――と思ったものです。


 また、自分の恋人でもない女の子の髪に、好意があるからといって、やたら触りたがる男性を何度か見たことがありますが、わたしは自身のネカマ経験による擬似的な女性視点を獲得していたことにより、彼らの行動に深い嫌悪感を禁じ得なかったことがあるのです。



 ところで、一部の男性ユーザーからのセクハラに晒されたほかは、順調にみえたわたしのネカマライフにも、次第に問題が起こってくるようになりました。


 『梓燕』の人気に嫉妬した一部の女性プレイヤーたちが、わたしへのネカマ疑惑を持ち上げ始めたのです。



 理由の発端は、『梓燕』は女でありながらシモネタを言いすぎる、また極めてオヤジ的であるとの理由から勃発し始めました。


 これくらいの理由であるならば、単なる言いがかりとして一笑に付すことも出来たのですが、女性プレイヤーたちは更なる苛酷な攻撃をわたしに加えてきたのです。



「『梓ちゃん』が生理の話題をしているところを見たことがなーい。そういう話題の時だと黙ったり、違う話に変えたりするしさー」



 などと讒言されたことにより、わたしへのネカマ疑惑は真に迫る勢いを見せ始めました。


 わたしはこの時、生まれて初めて女同士の嫉妬に晒される体験をしたのです。



 さすがに生理を体験するということは、わたしにとっては「ドラゴンボール」でいうところの「かめはめ波」を撃ってみろといわれるくらい困難なことでありました。


 スタンダードではありますが、致命傷を負わされるほどの戦略をもって、わたしは攻め込まれてしまったのです。



 その場は、ネットで生理の知識をググるなどして、対処していたわたしではありましたが、そのような話題を振られる度に、常にリアリティ溢れる会話が出来る自信の持ち合わせはありませんでした。


 近い将来、まるで人狼のように、わたしがゲーム外から追放されるのは目に見えていたのです。



 人は他人がちょっとチヤホヤされたくらいで、その幸せを安易に奪おうとするものです。それこそが自己の浮かばれない人生に対する――世の中のありふれた復讐のかたちの一つなのかもしれません。


 しかしだからといって、そこいらの小娘や枯れた主婦どもの企みに、自分の幸せを奪われてよいものではありません。



 というのも、ネカマ疑惑が持ち上げられる頃、既にわたしがゲームを始めてから一か月が経とうとしていました。


 その頃になると、次第にわたしは未央のメールをシカトするようになり、返信も疎かになり始めていたのです。



 ゲームにのめり込んでいけばいくほど、未央の存在がわたしの中で、大事なものではなくなっていってしまったのです。


 わたし自身、あの日初めて『五筒開花』をプレイした時には、その日限りのものとして辞めるつもりだったのですが、余りの居心地の良さにずるずると続けてしまい、『五筒開花』はこの時のわたしにとって、既に重要なライフスタイルの一部になってしまっていたのです。



 わたしに投げかけられてしまったネカマ疑惑――これは絶対に阻止しなければなりませんでした。認めてしまったら即ゲームが出来なくなると戦々恐々の思いに駆られたのです。


 それは、未央から鉛筆とハサミを投げられた時に感じていた恐怖とはまた違う、自分の居場所を剥奪されるかもしれないという恐怖でありました。



 わたしは思い悩んだ結果、やがて一つの妙案を思い浮かべることに成功しました。


 そして、このアイディアから生み出した計画を忠実に遂行していくことによって、わたしはこの緊迫した状況を乗り切ることにしたのでした。

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