第29話 女王殺しの将軍蜂
キリルが吹き飛ばし、燃え上がる通路のその先からパチパチパチと乾いた拍手の音が聞こえてきた。
「外が騒がしいから何かと思えば、ワタシの研究所の通路が燃え上がっているじゃないか。それにせっかく集めた生贄もみんな逃げてしまって、これではワタシの計画が台無しだ」
現れたのは気色が悪いほどにニコニコとした白衣を着た杖を突く老人だった。彼は未だに拍手を続けておりパチパチパチという乾いた音はキリルでなく俺でも非常に耳障りだった。
「ア゛? 俺は今すごく機嫌が悪ぃんだよ。とっとと失せろクソジジィが」
それでもなお白衣の老人はほぉほぉほぉと快活に笑いを続ける。
「全く何をそんなに怒っている? 今日は人類の記念すべき日になるのだぞ」
ここで今まで蹲ったままでいたメイリー団長がこの老人の登場で顔を上げた。
「貴様はガブルザック……やっと会えたな。私は約束通り人質を連れてきた。父は返してもらうぞ」
「ハッ……人質に逃げられていてよく言えたものだ。メイリー・ブルノマール」
メイリー団長にガブルザックと呼ばれた老人は一瞬だけにこやかな表情を崩すもすぐさまに先ほどまでの気色が悪い笑みを浮かべていた。
「しかし、今日は特別だ。その全てを許してメイリー・ブルノマール、貴様の父を返してやろう」
「それは本当か!」喜びで表情が解れるメイリー団長。そんな彼女の視界の端を何かが横切った。そして、彼女の後方からはドチャリと赤い液体をまき散らしながら何かが落ちた。それを見た彼女は――
「あ、あ、あああ……アアアアアア゛ッ!」
泣き叫んだ。それは人の腕だった。そして握りしめられていた手の平は落下の衝撃で開かれ、そこには笑顔で写る家族の写真が納まったロケットが見える。両親と長い金髪の少女。どこかメイリー団長の面影がある気がする。そこまで考えて恐ろしいことに気がついた。
「カッカッカ! それはお前の父の腕だ。父さんが帰ってきてよかったな。それで? ワタシに礼はないのかね?」
「貴様ッ、よくも……よくも父をおおおお!」
メイリー団長は腰から下げていた剣を抜き放ち振り下ろす。その一瞬の間だった。
「団長! 危ないッ!」
ガブルザックを斬ったと思った剣はサルバンが飛び込んできたことにより、狙いがずれて地面に突き立っている。
「おのれサルバンッ! 貴様、よくも私の邪魔を……」
そこまで言いかけてメイリーは止まった。いや、止まらざるを得なかった。なぜなら、語るべき相手であるサルバンがその場所にいないのだから。
先ほどまでメイリーがいたところは得体のしれない痕跡が残るばかりで、サルバンの姿が見えない。舗装された通路の床には2筋の鎌傷が生々しく刻まれており、通路の奥からはいなくなったサルバンの呼吸の代わりに何物かが血肉を啜る不快な音が聞こえてくる。
「ガブルザックお前、一体何をした!」
「何をしたか?」
猛る俺を他所にガブルザックはカカカカとあざ笑うかのように笑った。
「今日は人類の記念すべき日だといっただろう。ワタシはね。ついに完成させたのだよ。人の命令を忠実に守る優秀な魔物をね」
ガブルザックが床に杖をコンコンと叩きつけると通路の奥から巨大な何かが羽ばたきながらこちらに近づいてくることが分かる。
「キリル、これってもしかして――」
「あぁ、あのクソジジィが今回の黒幕ってことだろうな」
俺たちは通路の奥から現れる未知の脅威に警戒して剣を構える。羽ばたく音は次第に鮮明に聞こえてきてブーンというここ数日で聞き慣れた羽音だとわかる。
通路奥から悠然と姿を現したそいつは縦横5m以上はあるこの大洞窟の通路を狭く錯覚するほどの大きさで、2本の血に染まったカマキリのような大鎌と4本の足は歩行が出来そうなほど強靭だ。
中でも、俺が目を惹かれるのは2対の巨大な羽と血が滴る噛み切ることに特化した顎、ケツの先端にある太い針だ。
その3つがそいつをシザービーやニードルビーなどのさらに上位種である可能性を感じさせた。
「
「ワタシも当初はクイーンビーをさらに進化させる予定だった。そのために生贄も用意し、この【カレキ山】で
ついには気持ちの悪い魔物に頬擦りまでして語り続ける。
「こいつがクイーンビーを殺した。最初はワタシも驚いた。女王に命令されるだけの働き蜂が命令に逆らったのだからな。だが、違った! こいつはその後も仲間の蜂共全てを喰らい尽くして己を極限まで進化させたのだ!」
最後には大仰に手を開いてクソジジィは言った。
「そして今日……こいつは最終段階へと至った。実に素晴らしいと思わないかね」
このガブルザックとかいうクソ野郎の意見に同意なんかするわけがない。そんなもん――
「「クソくらえだッ!」」
そう吶喊の声を上げて駆けだす俺。同時にキリルが
「チッ……『
すぐさま手を変え、俺に対して斬撃強化の魔法を付与してくれた。クソジジィは今にも通路を引き返そうとしている。俺とクソジジィまでの距離は未だ遠い。とてもではないが、走っても奴に追いつく前に蜂に行く手を防がれるだろう。
だが、逃がさない。
俺は渾身の力で剣を振り下ろす。そして、コカトリスを倒した時と同様に斬撃が飛んだ。
「なッ――!」
俺の斬撃はガブルザックの手前でキィーンという高い金属音を響かせて消え去った。
「やれやれ、直接ワタシを攻撃してくるとは無粋な奴がいたものだ」
俺が放った斬撃は
再度、ガブルザックがコンコンと杖で床を叩くとその姿をゆっくりと眩ましていった。
「こう言えば分かってもらえるか。ワタシを倒したければ、その
クソジジィがそう言い残して完全に消え去った後だった。
「キシャシャシャシャシャシャッ!」と鳴いた
「クソッたれがッ――おい、カグラ。いったん逃げるぞ!」
時間稼ぎになるかも分からないが、最も
「そこの馬鹿女もだ。早くしろ!」
キリルはすでに曲がり角の先で待機していた。途中、放心状態だったメイリー団長を担ぎ上げて俺もキリルの方へ向かう。
俺たちが曲がり角を曲がるとキリルは仕込んでいた魔法を発動させた。すると、炎の壁が大洞窟の通路を完全に塞いだ。。
キリルは「時間稼ぎにもならねぇがな」と弱音をこぼす。そのままキリルは俺の後ろに続き要所要所で罠魔法を仕込んだり、炎の壁を立てたりと小細工を施していく。
その途中、メイリー団長はようやく我に返り自分の足で走り始めた。
しかし、このまま洞窟を抜けても【カレキ山】を逃げ回るはめになる。それに外には騎士団がいることは分かっている。子供を連れている状況と夜の闇もあり、【カレキ山】を逃げ回るというのも現実的な手段ではない。
団長に聞いてみるか。
「メイリー団長は何かこの状況を打破する秘策があったりしない?」
「秘策……とまではいかないが、ここに来る途中分かれ道があっただろう。あそこの先は道幅が広くなっていて多少は戦いやすいはずだ」
あの時の左の道か。ともあれ、場所が広くなるってだけで状況が好転するような気はしない。
「ハッ、戦いやすいね。てめぇはそんなんであのバケモンに勝てる自信があるっていうのかよ」
「……私には勝てる自信がない。無責任なことを言ってすまなかった」
メイリーの意見を鼻で笑うキリル。だが、誰でもあんな化け物に1人で立ち向かえるわけがない。キリルはそれを分かったうえであえてメイリーに強く当たっている。だけど、1人じゃなかったら?
「3人なら……メイリーは騎士団団長だから強いよね。だから、私とキリル、メイリー団長の3人なら何とか倒せるんじゃないか」
俺の言葉を聞いたキリルは睨みつけてくるが、俺も折れてやる道理はない。2人でさえ勝てる見込みが薄い相手に対して、人数を増やせるチャンスを逃がすわけにはいかない。
睨みつけてくるキリルの眼を真っすぐに見つめ返して言う。
「キリルは馬鹿以外ならパーティー組んでくれるんだよね?」
言外に俺みたいな大馬鹿野郎ならいいんだろうという意味を込めて憎たらしく笑ってやる。
「……ったく、うちの相棒はよく言うぜ。それで? 馬鹿女、てめぇは俺らと一緒に大馬鹿やれる自信はあるのか?」
「貴様たちはきっと私が手伝わなくとも2人だけで挑むつもりなのだろう? ……なら、サルバンから貰ったこの命、父とサルバンの
「決まりだね」
――それからしばらくは移動しながら
そして、分かれ道に差し掛かったところだった。キリルは再度、メイリー団長に確認をするが彼女の意思は固いようだ。それを確認したキリルは出口へ繋がる通路を炎の壁で塞いだ。
「これで後戻りは出来ねぇぞ」
「問題ない。それより時間がないのだろう? 私たちは早く行かないといけないのではないか?」
「チッ……つくづくムカつく女だなてめぇは。じゃあ、手筈通りに頼むぞカグラ」
メイリーはそれだけ言って足早に左の道に進んでいった。やはり、キリルとメイリーの仲は悪いようだ。まぁ、当然ではあるがもう少し仲間意識を持っていて欲しいものだ。
「あぁ。キリルも失敗するなよ?」
俺はキリルの肩を叩いて少し意地悪に笑った。
「てめぇはもう少し相棒を信用しろ」
キリルも俺の肩を叩き返してくる。そのやり取りがなんだか可笑しくて2人して笑いあった。
そして、相棒は最後に――
「絶対に死ぬなよ」
そう言い残してキリルもメイリーを追って左の道に進んでいき、俺は少しだけ1人になった。
それと言うのも、誰かがこの分かれ道であの化け物、
剣の柄に手をかけて意識を集中させていく。俺たちが来た道からは絶えずブーンと言う耳障りな羽音が聞こえてくる。それは段々と大きくなり、やがて洞窟の陰から現れる化け物が俺の視界に映った。
「キシャシャシャ……」という独特な鳴き声を立てながら現れたそいつに対して、俺は大きく息を吸って叫ぶ。
「てめぇの相手はこの俺だあああッ! かかってこいやあああああッ!」
俺の声に気付いたのか獲物を探している静かな雰囲気から打って変わって、「ギジャジャジャジャッ!」と獰猛な鳴き声を上げて襲い掛かってきた。
作戦開始だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます