第5話 無賃乗車

 変化のない世界。そんな世界はやはり無いのかもしれない。


「ああー! ああー! いやぁだぁ!」


 鬼の形相で叫ぶ女を、犬や馬の顔をした駅員達が取り押さえていた。


「し、出発……進行」


 こんな世界だけど、殴る蹴るされたら、やっぱり痛い。

 吉田曰く、その痛みも顔の傷も現世にいた頃の残滓でしかないから、すぐ治るらしい。

 私の判断ミスだった。

 その人物をよく観察もせず、ルーティン通りにただ電車へと誘導してしまったのだ。


「出発、進行……子猫ちゃん、大丈夫だから。もう怖い人はいないよ」


 吉田に捕まって怯える子猫の顔の少女が、やっと自分の席に戻ってくれた。


「うわ、えげつな」


 叫び続ける女の声がくぐもったかと思うと、大きな麻袋に詰められているのが見えた。


「失敗したなぁ……奥歯がグラグラしてるかも」

「すぐ治るよ。彼女は別の列車に乗せられるから」


 先程私を殴った鬼の形相の女は、この列車はどこへ行くのかと質問し、私が分からないと答えた事に激高したのだ。本当に分からないのに。


「その、別の列車はどこへ行くの?」


 私がいずれ行く場所と同じなのは願い下げだ。吉田は羊の頭を左右に振った。


「噂によると、二度と止まらない無人列車。彼女を乗せたまま何処にも着かずに、永遠に走り続ける」

「えぇ……怖いなぁ」


 吉田がニヤニヤと笑う。


「この列車も同じような物だよ? ナコも自分で投げ出さない限り、ここでいつまでも車掌をやり続ける事になるかもしれないよ?」


 なんだそんな事。別に覚悟なら出来ている。


「辞めたければいつでも客に戻れるからね。そうして欲しくはないけれど」

「は? 辞めるわけないでしょ。せっかくありついた仕事なのに」

「報酬も休みもないのに?」

「雇用主が何言ってんのよ? やる事もらえるってのは立派な報酬よ。そもそも疲れないし」


 私は選んでこの場所にとどまっているんだ。それをとやかく言われたくない。今は。


「ねぇ、そういう吉田はどうしてここにいるの? ずっとこの仕事をしているの?」

「さぁ? どのくらいだったかしらね」


 少し余裕が出てきたら是非したい質問だった。吉田羊を知っているくらいだから、ここ数年くらいの事なんだろうけれど。

 でも、今になって思い当たる事があった。


「……もしかして、私に仕事を引き継いで他の事したいの?」

「質問が多いねぇ。うーん……まぁ、その通り。ナコに充実した気持ちを与えると同時にね、今度は絶望感を与えたいの」

「は……?」


 なんと返事をして良いか分からず、吉田の言葉を待つ。人ではない顔をしているが、先程の言葉を吐くような人でなしとは思えない。


「たくさんの人を迎え入れて送り届けて、そのうちそれは変わらない日常になる。そして私のように顔を変えてみたりしないとやってられないくらい、辛くてたまらない程の苦痛になるよ?」


 羊の頭からは一切の表情も読み取れなかった。

 吉田から離れるのは寂しいけれど、いずれ独立しなくちゃと思うのも確かだ。


「私、吉田に良くしてもらえたからさ、なるべく吉田の期待に沿うよ」

「本当に、希望に沿ってくれるの?」


 後ろめたそうな声だ。まさか、私が本当に生きていて、私に成り代わって生き返りたいと思っている。なんてね。


「ナコ、代わりに私が生きてもいい?」


 あら、当たってしまったようだ。

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