第4話 乗車演習

 虚空に駅が現れた。

 列車はゆっくりと減速し始め、ゆっくりと停車した。


「ご乗車ください。こちらの席へどうぞ」


 プラットフォームに立っていた少女を席へと案内する。

 少女と言っても、その顔は子猫だった。上下フリースの暖かそうなルームウェアを着ていても、その体の小ささで、少女と分かる。


「こ、ここは? あなたは?」

「私はナコ。あなたを然るべき場所へお送りする列車の車掌です」


 少し遠くで見守る吉田は不満顔だ。

 吉田は横柄に幻想的に、いかにも『あの世』にいそうなキャラを演じろというのだが、演技の心得がない私には難しい。


「あの、私はどうしてしまったんでしょう?」

「ごめんなさい。あなたがどうなってしまったか、私にもよく分からないの」


 ここは当て処のない旅へと向かう場所だ。

 あまり直接的に死という言葉を使わず、本人に自覚させる事が大切だ。


「あの……痛い事、しませんか?」

「大丈夫。何にも気にしなくていいの。ここではお腹も空かないし、トイレも行かなくていいの。座りっぱなしでもお尻が痛くなったりしないよ。何にも気にしなくていいから」


 毎月の面倒事も気にしなくて良くなるとと伝えたくなったが、追々分かるだろう。


「もう、何も我慢しなくてもいいという事ですか?」

「そうよ。本当に、なんにも」


 実感がこもってしまった。

 それは言い換えれば、本当の意味で何の変化もないという事だ。何かに熱中してまばたきを忘れても、目は乾かなければ肩もこらない。汗もかかなければ、お風呂に入る必要も無い。

 吉田曰く、『感情』も生前の癖に過ぎないというが、その点はやはり同意し難かった。


「きれい……星がたくさん」


 窓の外の景色を見て、この猫の仮面を被った少女が漏らす感想を否定したくなかった。

 肌が見えている首や手の様子を見ると、この子がいかに痩せているかは分かる。

 きっと駅員達が気を遣って猫の顔を与えたのだろう。


「はぁ……どこも痛くないなぁ」


 この少女に何が起こったかは分からない。吉田からは聞いてはならないと口酸っぱく言われている。

 私はあくまで車掌だ。

 この列車に乗る資格があるか無いかを判断するだけの存在なのだ。この子には乗る資格があると、私がそう感じたのだ。


「出発、進行」


 私がそう言うと、列車はドアを閉めて走り出した。

 ガタンという振動と共に列車が動き始める。


「うわぁ、流れ星みたい。きれい」


 この電車に乗る資格はただ一つ。

 現世への未練があるかないか。それだけだ。

 この少女がどんな思いをしてきたのかは分からないが、こうして車窓に広がる風景を楽しめるような境遇にはなかったのだろう。


「うわぁ、羊さん?」

「はい、羊の吉田と言います。しばしの間ですが、旅をお楽しみください」


 子猫の目が輝いていた。

 吉田の姿に興味津々なのだろう。あなたの顔も猫なのに。


「あの、あの、お顔、触ってみてもいいですか?」

「はい、もちろん」


 少女が興味深げに吉田の頭を撫で回す度に、吉田の耳がブルブルっと震える。羊の動きそのままだった。


「吉田さん、この電車はどこへ行くの?」

「然るべき場所へです。私もナコもそこがどんな場所かは分かりません」

「そうですか……そこは、痛いですか?」

「痛い事はきっとされません。然るべき場所へ赴こうと思わないのであれば、しばらくはこの列車に乗ったままで構いません」


 そう、ここはもう現世に戻る事は叶わない事を知るための場でもある。

 これは邪推だが、この列車に乗せられるのはきっと、もう現世からは遠く離れ、戻る事は出来ないと諦めさせるためなのではないかと、私は思うようになった。


「ねぇ、吉田さんって女の子なの?」


 子猫ちゃん、良い質問だよ。私が聞きたくても聞けなかった質問だ。


「えぇ。よくお分かりで」

「うふふ、羊で吉田なんだもん。女優さんみたい」


 吉田が私の方を向いた。勝ち誇ったような顔だった。そのジョークをスルーした私への当てつけだろう。しかし、良い情報を知れた。吉田は女だったのか。


「ナコ、もうすぐ次の駅へ止まるから準備しよう」

「え? ピッチ早いな」


 窓から外を見ると、確かにまたコンクリート板のようなプラットフォームの駅が近付いていた。


「間もなく、駅へ到着致します。こちらの駅ではお降りにならず、お待ちください」

「なかなか車掌が板に付いてきたね、ナコ」

「そうね、鉄道会社の連中はどうして私を書類で落としたんだか」


 吉田の羊顔がフフっと不気味な笑みを浮かべた。


「そろそろ、独り立ち出来るかもね」

「まだ早いよ」

「そう? さっき乗った子猫さんを送り出せたら、全部一人でやってみてよ」


 期待に胸を膨らませてくれるのは嬉しいが、少し急ぎすぎではないだろうか。


「ねぇ、そろそろナコも一度顔を替えてみたら?」

「うーん。遠慮しとく」


 私も顔を変えようと思えば変えられるらしい。また物資補給の駅に止まったら、仮面をよこせと言えば良いらしい。

 実は既に物資補給駅で仮面をくれと言った事があるのだが、希望の物は無かったので諦めた。白石麻衣の顔くらい用意しといてよ。

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