第25話『チビ魔王』

 夜中々寝付けずにいると、寝室のドアがコンコンとノックされた。

 ハートさんだろうか?

 当然彼女は僕が眠れない事を知っており、「話し相手くらいにはなれますよっ♪」といつも僕が寝付くまで一緒に居てくれた。

 それなのに翌朝は僕より早く起きており、朝食を作ってくれている。

 毎日そうだと流石の僕にも罪悪感を感じてしまうのだが、「好きでやっている事ですからっ♪」と優しく微笑まれてしまっては、何も言えない。

 まったく、出来過ぎにも程がある人だ。


 そんな事をぼんやりと考えながらドアを開くと、そこに居たのはハートさんでは無かった。


「よう、チビ助、髪の毛短くしてオシャレさんかぁ?」


「おっ、おまっ––––」


 その人物は僕の口を塞ぐと部屋に入り、扉を閉める。

 そしてシィーと口元に人差し指を当てて見せた。無駄にイケメンで様になってるのがムカつく。

 相変わらず見た事もない文字で「ขอบคุณครับ」と書かれている変なシャツに、片方の脚の部分が全部破けているデニム、そして無駄にイケメンで、チャラい魔王––––チャラ魔が深夜に僕の部屋を訪ねて来た。


「お前、何しに来たんだよ」


「結婚祝いに決まってんだろ、あんな綺麗なねーちゃんと結婚出来るなんて、羨ましいねぇ」


 チャラ魔は無愛想にそう言うと、僕に何かの細長い木箱を押し付けて来た。中身は––––きゅうりだ。


「なんだよ、これ……」


 僕が尋ねると、チャラ魔は唐突に、昔を思い出すかのように、昔話ともとれる話を、語り始めた。


「俺も昔農家だったんだよ」


「はぁ?」


「でもなぁ、当時の魔王がジャンケン大会を開いてさぁ、それで、出場したら、優勝しちまったのさ」


「それって……」


「それ以降、勇者とかいうふざけた奴らに24時間命を狙われ続ける毎日さ」


 チャラ魔はそう言ってシャツを捲り、割れた腹筋を見せてくれた。傷だらけだ。


「痛め付けて故郷に送り返しても、次の日には奴さんら、ピンピンして戻って来やがる」


 チャラ魔は「見ろ俺の目の下」と、自身の目を指差した。


「目付き悪いね」


「クマだよ、クマ! 寝れねぇんだよ、魔王は! ぶっ殺すぞ!」


「僕は寝てたよ」


「そりゃ、チビ助みたいなクソガキの寝込みを襲う悪モンは勇者じゃねぇ。俺は顔が悪人だからなぁ」


 チャラ魔はそう言って苦笑いをして見せた。


「夜中の間も、奴さんらは御構い無しにご来場だ。寝れたもんじゃねぇ」


「それは、まぁ、魔王だし……」


 ––––って、今は僕が魔王だったな。


「俺はそんな日々が嫌になってなぁ、ある日、思ったわけさ。辞めちまおうってな、魔王だけに、辞めち魔王だ」


「全然上手くないぞ」


「それにあのクソババアと喧嘩したのもあるしな」


「…………まさかお前、喧嘩したから魔王辞めたのか?」


「悪いか?」


 呆れて言葉も出ない。ただの喧嘩で僕は魔王にさせられたのか。

 だが、どうして今更そんな話をするのだろうか?


「お前、本当は何しに来たんだよ」


 チャラ魔はその問いに対して、意外な返答を返した。


「……俺は後悔している。色々な、魔王になっちまったのもそうだし、逃げ出して、おめぇを魔王にしちまったのもそうだ」


「そんな事今更あやまられても……」


「だからおめぇには後悔して欲しくねぇ。本当にあのねーちゃんと結婚するのか? それでいいのか?」


 僕は何も言えない。


「俺はおめぇの家に行った事がある。気になってな、遠くからだが、幸せそうな顔で笑ってるのを見て安心したもんだ」


 そしてチャラ魔は「いいのか?」と再び僕に問いかける。


「あっちのねーちゃんじゃなくて」


「………………無理だよ。僕には何も出来ないよ」


「出来なくはねぇさ、あの黒いねーちゃんは倒しちまえばいい。おめぇは魔王なんだから」


「僕は魔王なんかじゃない、名前だけだ」


 チャラ魔は深い溜息をつくと、何も無いところから缶コーヒーを取り出し、僕に寄越した。僕もこういうの出来たらいいのに……。

 それに、なんでコイツちょっといい兄貴感出てるんだ?

 そんな事を疑問に思いながらも、僕は黙ってその缶コーヒーを一口飲んだ。甘い。


「俺は自分の事を魔王と思った事は一度だってねぇ。チビ助だって、自分は魔王じゃないとか思ってんだろ? でもそれは筋違いだ」


「……どういう事だ?」


「チビ助、最強の魔王ってどんなやつだと思う?」


 僕はその問いに即答した。


「お前みたいな奴」


「そうさ、俺みたいに運のいいやつさ」


「……運のいいやつ?」


「気が付いたか、チビ助。ジャンケン大会は本当に本物の魔王を選ぶ大会だったんだ。代々魔王は1番運のいいやつがなるんだ」


「…………嘘だ」


「チビ助、お前は運のいいチビ助だ。なんでもやってみろ、大体上手くいく。カジノで当たったろ? 俺もだ、よく当たる」


「そんなのたまたまだろ––––それにお前は僕と違って強いじゃないか」


「俺はあのクソババアに鍛えらたからな」


「中ボスのお姉さんに?」


「あぁ、そんなに貧弱だと死にますよってな、むしろそっちの方が死ぬかと思ったもんだ……ったく、あのクソババア、ぶっ殺すぞ」


「それじゃあ、お前は僕と同じ……」


「そうだ、仕方なく魔王になっちまった、ただの人間だ」


 意外であった。こんなに強くて、魔王の中の魔王だと思っていた人物が、僕と同じだったなんて。

 いや、知ろうとしなかっただけかもしれない。魔王にされてしまい、魔王になってしまい、周りが見えなくなっていただけで、コイツは最初から、案外こういう奴だったのかもしれない。思い返せば、初めて見た時も変な服着てたし。


「運がいいやつが魔王になるってのは、昔からの伝統らしいぜ。それこそどうせ初代の魔王がラッキーマンとかだったんだろ」


 俺やお前のようにな、とチャラ魔は付け加えた。


「お前は、名前だけ魔王なんかじゃねぇ。正当な方法で順当に選ばれた––––純粋で生粋の魔王だ」


「……そんな事言われても実感ないよ」


「魔王なら欲しいものは自分で手に入れやがれ。おめぇの欲しい物はなんだ?」


 僕の欲しいもの。それは––––

 あの時のハニーの顔が脳裏に浮かぶ。

 どうして、あんな顔が出来たのだろうか。ハニーはもう会えないかもしれないのに、お別れなのに、悲しそうな顔でも、悲観した顔でもなく、笑ったのだ。いつもの、最高の笑顔で。


 ––––僕はもう一度、あの笑顔が見たい。答えはハッキリしている。


「僕はもう一度ハニーに笑って欲しい」


「やりゃあ出来るじゃねーか、いい目だチビ助」


「僕はチビじゃない––––魔王だ」


 そう口にした瞬間、何故かは分からないが、全てが出来る様な気がした。

 言霊かもしれない、意味が無い事でも、言葉にして口に出せば、案外そうなる。

 いや、もしかしたら好きな人の為ならなんでも出来る––––の方かもしれない。

 チャラ魔は僕を見ながら「その粋だチビ助」と僕の頭を叩いた。背が縮むから辞めて欲しい。あと僕はチビ助じゃない、魔王だ。


「それじゃあ、俺は行くからよ」


「どこにだよ、またカジノか?」


「仲直りしにだよ、その––––嫁さんと」


 チャラ魔は気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 僕の中でいくつかの糸が線となって繋がる。

 喧嘩、中ボスのお姉さん、怒っていた、クソババア、クソガキ、仲直り、嫁さん。

 あぁ、なるほどなぁ、なるほど、なるほど……


「お前、中ボスさんと夫婦だったのかよ⁉︎」


「わりーかよ! あのクソババアのせいで、俺が毎日どれだけ苦労したと思ってんだ⁉︎」


「知らないよ! 喧嘩したって、ただの夫婦喧嘩かよ! さてはクソババアって、ただの悪口だな⁉︎」


「うるせーな、ぶっ殺すぞ!」


「お前こそなんだ、ぶっ殺すぞ! 僕は魔王なんだからな!」


「……ったく、いきなり元気になりやがった」


「お前なんか、あれだ! えっと、野菜の肥料にしてやる!!」


「おめぇ、悪口下手くそだな」


 チャラ魔はそう言いながらせせ笑った。


「俺はな、おめぇには感謝してんだ。世の中平和になったのはおめぇのお陰だ」


「僕はお前は悪い奴だと思ってた、チャラいし」


「これがカッコイイんだよ、なんで分かんねーかな……あのクソババアみたいな事いいやがって、ぶっ殺すぞ」


「そのシャツの文字、なんて書いてあるんだ?」


 チャラ魔は「知らん」と短く答えた。要は意味は無いって事なのだろう。

 さて、これからの事を考えなければいけない。つまりハートさんをどうにかしなくてはならない。


「あのさ、お前ってさ、ハートさんより強かったりするの?」


「無理言うな、俺はちょっと強い人間程度の強さだ。普通の勇者には勝てても、あんな化け物みたいな勇者には勝てねーよ」


 やっぱりハートさんは相当すごいらしい。

 チャラ魔は「気を付けろ」と忠告してきた。


「もう一度言うが、あの黒いねーちゃんは化け物だ。入れ物は綺麗だがな。きっと俺がこうしてここに居て、おめぇと話してる事もお見通しだ」


「……嘘だろ?」


「何でも出来て、何でも知ってる。確かにシン・ガリングはつえーし、才能もあるのかも知れないが、あのねーちゃんは別物だ。あれが本物の勇者だ。神に選ばれたとでも言うべきか、あれはそういう存在だ」


「じゃあ、どうすればいいんだよ……」


「アレでいいんじゃねーか、ユーシェアトゥーバッツで」


「なんで、お前もそれ言うんだよ⁉︎」


「他に言ったやつがいるのか、いいセンスしてるじゃねーか」


 ユーシェアトゥーバッツ––––2人のお尻をシェアする。ハニー風に言うなら2人のお尻を追いかける。

 要は重婚という事だろう。そんな事をしたらハニーは怒りそうだ。


「やめとくよ、普通に勇者討伐してみるよ。魔王の本業は勇者討伐だしね」


「そうか、じゃあ俺はそろそろ本当に行くからよ。クソババアに怒られにな」


 チャラ魔はそう言うと、やれやれと首を振りながら一瞬で姿を消した。

 そして、それを待っていたかのように扉がコンコンとノックされた。

 僕は扉を開き、来訪者を招き入れた。


「こんばんは、まーくん。眠れないようでしたら、お茶でもどうですか?」

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