第23話『黒恋ハニーハート』

 口調は丁寧で柔らかく、表情も豊かで、笑顔だ。でも、それでも、その言葉は残酷で、僕にとっては敗北を意味した。

 だが彼女からしたらそんなつもりは盲目無く、それこそ「昨日、あなたのちょっとした失敗を見ちゃいました」くらいの軽い秘め事を知ってますよ、といった感じで言ったのだろう。

 要するに一切の悪意も悪気もない。


 ここで遠くの方––––というか、脱衣所のドアが勢いよく開く音が聞こえ、ペタペタと水滴を含む足音が聞こえてきた。ハニーだ。

 ハニーが血相を変えて、バスタオル1枚で現れた。いや、正確にはバスタオル1枚と、下着1枚だ。大きな胸の方にタオルの丈がほとんど奪われており、下の部分の丈が足りないようだ。そのためタオルの下の方から、可愛らしいフリルの付いたショーツが動くたびに見え隠れしている。

 ハニーの髪は適度に湿っていて、頬はほんのり赤く、離れていてもいい匂いがする。つまりはお風呂上がりであり、脱衣所で身体を拭いていたら、話し声が聞こえて、飛び出して来たという所だろう。

 だがこれで僕はハニーの助けを借りて、ハートさんと対峙する事が出来る。

 ––––と思ったが、ハニーはハートさんを見ると、まるで嫌いな野菜が晩御飯に出たかのような反応を見せる。誰が見ても分かる。拒否反応だ。


「あらあら、ハニーちゃんもお久しぶりですねっ♪」


「あら、黒いのじゃない––––相変わらず心の中まで真っ黒ね」


 開口一番、ハニーの悪口が飛び出した。だが、ハートさんは表情を崩さずにニコニコしたままだ。

 それにしても珍しい。ハニーが珍しく、他人の嫌味とも取れる発言をした。そもそも普段から饒舌じょうぜつで毒舌ではあるのだが、人を蔑むような事は言わない。

 だからこそ、珍しい。だがそれほどまでにハニーは、おそらくだが––––ハートさんの事が嫌いなのだろう。

 ハニーはハートさんを怪訝な表情で見つめながら、さらに牽制をかける。


「ダーリンの童貞はわたしのものよ」


「いいですよっ♪」


「なっ……!」


 ハートさんはハニーの突拍子もない一言に一切動じず、それ以上の切り返しをしてみせた。ハニーも驚いており、思わず手で押さえていたバスタオルを離してしまった。

 ハニーの胸からバスタオルがこぼれ落ちるのを見た僕は、踵を軸に華麗なターンで後ろを向いた。


「い、いいですよって、あなたねっ……!」


「私の目的は、身体ではありませんので」


 ハートさんはサラリとそう言ってのけた。背後ではハニーがタオルを拾い上げる音が聞こえたので、僕は数秒待ってから振り向く。ハニーはちゃんとタオルを身体に巻いていた。色々と見えそうではあるが……。

 そしてハートさんはそれを見ると、続けてその目的とやらを話し始めた。


「私の目的は、平和です」


 ハニーは「平和?」と絶対心の中で、「どうせ建前でしょ」とでも思ってそうな、疑いの眼差しをハートさんに向ける。


「魔族と私達––––人間が友好的な関係になってからしばらく経ちましたが、やはり魔族と人間の間で、少しのいざこざが起きています」


 ハニーは「それで?」とハートさんに続きを話すように促す。


「双方の友好の証として、やはり勇者と魔王の婚姻は必須だと思います、握手をするだけでは、ダメなのです」


「それであなたが出てきたってわけね、流石は大人の勇者ね。大人の考えそうな事だわ」


「もちろん、まーくんの意思は尊重しますが、ハニーちゃんとは偽物の夫婦なのでしょう?」


「ちっ、違うわよ! わたし、お腹にもうダーリンの赤ちゃんがいるんだから!」


 ハニーはどうやら思ったよりも嘘が下手なようだ。というか、かなりテンパっている。

 ハートさんはそんなハニーの揚げ足取りなどせずに、話を続ける。


「ハニーちゃんとは偽物夫婦なのだから、別に他の人でも構いませんよね♪」


「……それをあなたがやろうって言うの?」


「そうですね、私が1番適任だと思います。適任なんて言葉を使ってしまうと、とても味気ないものですが––––」


 ハートさんはそこで、僕の方に振り向いた。


「私も、まーくんの事は大好きなので♪」


 僕は突然の告白に、顔がカーっと熱くなるのを感じた。

 ハニーはそれを見てイライラとし始める。


「それでわたしとどこが違うって言うのよ」


「私は、ハニーちゃんみたいに、胸を押し付けてたりしませんし、まーくんが望むなら、顔も合わせません。別居でも構いません」


 ハートさんはそう言うと、少し悲しそうな笑顔を浮かべる。

 それは流石にあんまりだとは思うが、それでも彼女の意思の強さは感じ取る事が出来た。

 どっちが建前なのかは分からない『平和』と、『恋心』。

 でもきっと彼女にとってはどっちも大事で、それこそ先程の話が全てで、それが本心なのだろう。

 対してハニーは、それを聞いて絶句していた。


「信じられないわ、それは好きでもなんでもないわ。我慢する事が好きだと言うのなら、わたしはそんな恋はしたくない。世界平和を崩してでも、わたしは恋を選ぶわ」


「ハニーちゃんは、女の子ですものね」


「あなたは大人ね、気持ち悪いくらいに」


「それでも、大人の恋愛という言葉があるように、お互いの立場や、関係を考えた上での色恋もあるんですよ」


「色恋って、あなたのは黒恋じゃない。最初から結末が決まってるわ。お先に真っ暗よ」


「それでも私は、まーくんと世界を天秤にかけて、バランスを取る必要があるんです。最高の勇者として、この世界を守る者として」


「あなたはおかしいわ、狂ってる。前からそういう所が嫌いだったのよ。見た目も、中身も、清純せいじゅんぶって、それでいて清潔せいけつ高潔こうけつなのが。黒く染まり過ぎなのよあなたは、本当は真っ白の癖して…………少しは自分の意思を持ちなさい!!」


 珍しく語気を荒げるハニーに対して、ハートさんはハニーを無視して淡々と言う。


「まーくん、あなたが選んでください。私か、ハニーちゃんか。いえ、ごめんなさい––––私にしないのなら、この場でハニーちゃんを切り倒します」


 そう言い放つとハートさんは、何も無い空間から見たことも聞いた事もない、白金の剣を取り出し構えた。

 その剣は自らが輝きを放っており、夜だというのに辺りを明るく照らした。

 そんな状況でもハニーはハートさんを、ギラリと睨む。輝くような銀色の髪に、真っ白で真っ裸––––に近いハニーと、黒い髪に、黒い心のハートさんは静かに対峙する。

 僕はもう一度、ハートさんの輝く剣に目を向ける。ヤバいなんてものじゃない、こんなもので切られたら、ハニーは、ハニーは…………僕は––––


「ハートさんと結婚する! だからっ、だからハニーには手を出さないで!!」


「そう言うと思ってました♪」


 光り輝く剣は一瞬にして溶ける様に消え、ハートさんは僕に手を差し伸べてきた。僕は一瞬躊躇したものの、黙ってその手を取った。

 ––––これで、いいんだ。僕はハニーが無事なら、それでいいんだ。


「では、行きますねっ♪」


 その直後、師匠が移動魔法を唱えた時と同様の浮遊感を感じ、周囲の景色が揺らいだ。

 変わり行く景色の中で、ハニーと目が合った。

 その時のハニーの表情は、おそらく一生忘れる事が出来ないだろう––––

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