第22話『白黒スイート』

 その後ハニーは素早く食事を終え、「シャワーを浴びるわね」とお風呂場へと向かった。お風呂場から寝室へ向かうにはリビングを通らない。

 つまりは、僕はハニーが寝ている方の寝室へ行かなければ、明日の朝までハニーと会うことはない。ハニーもおそらく僕が行かなければ、明日まで顔を合わせる気はないのだろう。


 ––––分からない。


 どうすればいいか、分からない。

 ハニーの事を考えるなら、ハニーと一緒に寝るべきだ。

 そうすれば、ハニーは喜んで、それできっと笑ってくれる。あの笑顔を僕に向けてくれる。


 でも、分からない。それでいいのか、分からない。

 数年後、もし同じ事を言われたのなら簡単に答えを出せたかもしれない。

 それこそ、迷う事なくハニーの方へ行けるかもしれない。

 でも、今の僕はどうすればいいか分からない。


 なんで、今なんだ。告白する方はこっちの気持ちも無視して、自分の気持ちを一方的に押し付けるのかよ。


 ……そういえば、手紙の事をハニーに話しそびれてしまった。

 まぁ、でも仕方ない事だろう。話せる状況ではなかったのだから。

 しかしそんな僕の思考を遮る様に、玄関のドアがコンコンとノックされた。

 中ボスさん辺りが何かの用で戻ってきたのだろうか……


「今、開けまーす」


 そう言いながら席を立ち、窓から来訪者を確認する。中ボスさんではない。それこそ、ディアでも、師匠でもない。

 だが、知っている人物だ。

 僕は栓抜きを外し、来訪者を迎え入れた。


「こんばんはっ♪」


「あの、えっと…………こんばんは」


 彼女の名前はモノクローム・スイートハート––––通称"大人の勇者"。先程の手紙の差出人だ。

 その名前が示す通り、砂糖菓子のように甘い笑顔を浮かべている。

 それこそお洒落なカフェか、見た目を重視したケーキのような名前だが、モノクローム・スイートハートの外見は全然スイートではない。

 外見は、黒と白、その2色しかない。黒い服、黒い髪、黒い瞳、白い肌、まるで真っ白な画用紙に、墨だけを使って描かれた絵のような俗世離れした印象を受ける。

 しかし凛とした外見からは想像が出来ない程……


「お久しぶりですねっ、まーくんっ♪」


「…………そうですね、ハートさん」


 愛嬌がある。その愛嬌たっぷりの笑顔を向けられたのならば、幸せになってしまうほどに。外見から想像出来る性格と、実際の性格に大きな差がある。

 僕の事を「まーくん」と親しげに呼ぶ辺りからも、それはよく分かる。

 ちなみにまーくんというのは、魔王くんを縮めてまーくんらしい。

 僕が彼女を「ハートさん」と呼ぶのは、別に強制された訳ではない。時折彼女が自分自身の事を『私』ではなく、『ハートさん』と呼ぶからだ。要するに自然とそう呼ぶようになった。


 そして、ハートさんはハニーと同じくらい綺麗で、胸も大きい。身長も僕よりレタスひと玉分くらい高く、大体ハニーと同じくらいだ。

 ハニーが天姿てんし国色こくしょくだとするならば、ハートさんは国色こくしょく天香てんこう––––いや、黒色こくしょく天香てんこうである。

 天から与えられた天使の様な外見を持つハニーとは対をなすように、ハートさんは、真っ白な肌以外は全て黒色だ。

 ハニーは外見だけ見れば優しそうで、天使そのものなのだが、中身は悪魔のように傲慢だ。要は、見た目だけだ。

 逆にハートさんは、見た目は深窓の令嬢とでも言うべきで、とても近寄りがたいのだが、中身は愛嬌たっぷりで、人懐っこい。そして傲慢ではなく、優しい。

 彼女は勇者として、人として優れているのだ。見た目だけではない。全てがいい。

 言うならば、ハニーの完全上位互換である。


 つまりモノクローム・スイートハートは、聖人でもあり、見た目も中身も成人の、"大人の勇者"なのだ。

 僕も万が一結婚する事になったら、この人ならいいかも––––と心の中でこっそり思っていたくらいだ。


 ハートさんは指で長方形を空中に描きならがら、「お手紙、読んでくれましたか?」と尋ねて来た。


「読みましたよ、昼過ぎに中ボスさんが持ってきてくれました」


 ハートさんはそれを聞くと、少し驚いた表情を浮かべた。


「えっと、今日ですか?」


「今日です」


「『渡してね』って頼んだの1ヶ月前なのに……」


 ハートさんはそう言うと、申し訳なさそうな表情を見せる。当然だろう、お手紙で『近々』と言っておきながら、手紙が到着した当日に会いに来てしまったのだから。

 中ボスさんはダメな郵便屋さんだったようだ。


「あの、どうして中ボスさんにお手紙を預けたんですか?」


「それはですね、私と彼女は飲み友達なんですよっ♪」


 ハートさんは人差し指と親指で輪を作り、クイっとお酒を飲む仕草をしてみせた。

 その後、「お酒、そんなに強くないんですけどねっ」と少しはにかんだ。


「……中ボスさんと仲がいいんですか?」


「ほら、よくあるじゃないですかっ、戦った後に『お前、中々やるな……』みたいな感じで仲良くなっちゃうやつ! アレですよ、アレ♪」


 ハートさんは伝説の勇者––––シン・ガリングこと、師匠を除けば最強で、最高の勇者と言われている。それこそ、勇者の顔であり、代表だ。

 つまりとっても強い。


「あの、何をしに来たんですか?」


 と、尋ねてみた。返答は決まりきっているが、それでも僕はそう尋ねた。


「それはもちろん、お迎えに来たんですよっ」


「お迎えって––––何ですか?」


「結婚式のお迎えに上がりましたっ♪」


 その返答はいくつかのプロセスをすっ飛ばしていた。具体的にはプロポーズから、式場を押さえ、ウェディングドレスを用意する辺りまでだ。頓狂とんきょうな発言にも程がある。


「あの、結婚式って……」


「私と、まーくんのですよっ♪」


 結婚して欲しいではなく、結婚式である。もう婚約も結納も済んでおり、最終段階にいきなり入っている。


「そんなの困ります。僕は結婚なんてまだ……」


「大丈夫ですよっ、ハートさんが全部上手くやってあげますからっ」


 会話の主導権をまったく握れない。そもそも僕は会話があまり得意ではない。でも、大丈夫、僕には頼りになるハニーが––––居ない。

 現状、ハニーに助けを求める事が出来ない。あの手紙を読んでから、この事態は何となくだが想定していた。

 さすがに結婚式は予想外ではあったが、それでもハートさんが何を言っても、何をしても、僕は心の何処かでハニーが何とかしてくれると思っていた。

 ––––いや、状況が状況だ。お風呂場に行って、ハニーを呼べばきっと助けてくれる。


「あの、ちょっと––––」


「あぁ、ハニーちゃんの事なら全部知ってますよっ、偽物の夫婦だって事もっ♪」

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