第21話『美笑ハニー』
中ボスさんは僕に手紙を渡し終わると、「じゃね〜」と言い残し、一瞬にして姿を消した。
手紙の内容もそうだが、なぜこの手紙を彼女が僕に届けたかも気になる。気になるが、今はそれどころではないようだ。
何故ならハニーがものすごい勢いで、こちらに早足で歩いてきたからだ。
そして僕の前で急停止すると、冷たい表情でこう尋ねた。
「アノオンナダレ?」
怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。恐怖。恐怖。アノオンナダレ、文字にして7文字、ただの質問。しかし、その質問をされるだけでハニーが良くないものに見えてしまうくらいには、恐怖を感じた。
なんかもう、アノオンナダレが死の呪文にさえ聞こえてしまう。
僕は急いで彼女が中ボスさんだと説明した。ハニーと、中ボスさんは面識が無いからな。
「ふぅーん、あの女が例の中ボスなのね。ダーリンがわたしの知らない女と親しげに話しているものだから、浮気かと思ったわ」
浮気も何も僕とハニーは仮初め夫婦だ。でも怖いからそんな事は言わない。
事情を説明してみたものの、ハニーは未だに不機嫌であり、ふてぶてしい。
「あの、ハニーさん?」
「何よ」
「怒ってる?」
「怒ってないわ」
即答であった。『怒』と言い始めて、『る』を言い終わる前には返答が終わっていた。
ハニーは怒ってないとは言っているものの、その態度や、表情は明らかに怒っており、それを隠そうともしない。言っている事と、実際の表情がちぐはぐだ。
「どうして怒っているの?」
「怒ってないわ」
「怒ってるじゃないか」
「怒ってないって言ってるでしょ」
語気を強める事もなく、ハニーは淡々とそう言うと、おそらく農業を手伝いに来てくれたのだろうが、その目的を果たさずに家の方にUターンをして歩き出してしまった。
「ちょっと、待ってよ!」
「晩御飯」
「へっ?」
唐突に言い放たれた一言に理解が追い付かず、思わず変な声が出てしまった。
「晩御飯作るから––––わたしが」
「あぁ、うん……分かった」
「じゃあ、準備するから」
ハニーはそう言い残すと、スタスタと早足で僕から離れて行った。
晩御飯を作るとは言ってはいるものの、まだ昼であり、太陽も高い。ハニーは一体晩御飯を作るのに何時間かける気なのだろうか。
*
あの後、僕は1人で農業に勤しみ、日が落ちる少し前に帰宅した。時刻にすると16時くらいだ。
室内に入ると、ハニーが背中を向けてトットン、トトッンとあまり良くはない包丁の音をさせていた。料理が出来るといっても、まだまだ初心者の域を脱してはいないのがハニーの現状である。
ハニーは物音で僕の帰宅を察したのか、無言でお風呂場の方向を指差さした。
「お風呂?」
「そう、先に入ったら?」
気を利かせてくれてるのであろうか。僕はそれに甘える事にした。農作業の後は、流石に汗と泥で汚れている。
お風呂場に向かうと、嬉しい驚きがあった。タオルと着替えが脱衣所に用意されていたのである。
ハニーは一体どうしたのだろうか? 最近妙に気が利く所があるが、これは気が利きすぎである。
僕は疑問を持ちながらも、衣服を脱ぎ、身体を洗ってから、湯船に浸かる。
湯船のお湯からは、ハニーがタダで貰ったたか〜い入浴剤がいい香りをさせていた。まったく、どうしてハニーはあんなにも口が上手いのだろうか……
だがそのおかげで、僕はお風呂を上がる頃には、身も心もぽっかぽかとなっていた。
タオルで身体を拭いてから、用意されていた着替えに着替える。
そして、リビングに向かうと、既に晩御飯は出来ており、クリームソースのいい匂いが漂っていた––––この匂い、リゾットだ。
「いいタイミングね、ちょうど出来たわ」
「美味しそうだね」
お世話ではない。本当に美味しそうなのである。僕はハニーの対面の席に座り尋ねた。
「食べてもいい?」
「熱いから気を付けね」
「いただきます」
ハニーに言われた通り、火傷しないようにふーふーと冷ましてから、僕はリゾットを口に運んだ。
美味い! カルボナーラをベースとしたチーズの味に、よく煮込んだ鶏肉がマッチしている。
「すごく美味しいよ、これは僕でも作れないかもしれない」
「そう、良かったわ」
しかしハニーは喜びもせずに、スプーンを手にリゾットを口に運んだ。
その後、しばらくは僕もハニーも無言で食を進める。
いつもはハニーと楽しくお喋りしながら––––いや、ハニーの冗談に僕がツッコミを入れながら食べているのだが、それが無いとちょっと寂しい。
かと言ってハニーに「冗談言わないの?」なんて、言えないわけで。いや、言ってみるか。
「あの、ハニーさん」
「何かしら?」
「今日は冗談言わないの?」
「じゃあ今から言うわ」
ハニーはそう言ってから、いつもの様に唐突で、突拍子もない冗談を淡々と言い始めた。
「仮に、もしわたしがダーリンを無理矢理押し倒したとして、そのまま行く所まで行っちゃったとして、でもそれって別に悪い事じゃないわよね」
「悪い事だろ……」
「わたしとダーリンは夫婦なのだから、そういう事をしてもおかしくないし、むしろすべきだと思うわ」
「いや、まぁ、普通はそうなんだろうけど……」
「それにね、仮にそういう事をしてもダーリンは文句を言えないわ、わたしには言えるかもしれないけれど」
「どういうこと?」
「そもそもが偽物の夫婦なわけで、わたしに襲われても、最初から隠し事があるわけだから、結局誰にも言えないのよ。盗んだお金を盗まれても文句を言えないのと一緒よ」
かなり上手い例えである。悪い事をして、悪いことをされても、文句を言えない。
「まぁ、するのはイイコトだけどね」
かわりに上手い事言ってきた。この辺は相変わらずである。
しかし、やっぱり今日のハニーはどこか違和感がある。
その証拠に突然、音が出るほどの勢いでスプーンをテーブルに置いて、僕の顔を真っ直ぐに見つめてきた。いきなりの事で驚きはしたが、僕もその綺麗で整った顔を正面から見据える。
––––雰囲気が違う。何が違うかはハッキリとは分からないが、それでも何かが違う。いつものハニーじゃない。
ハニーは、言いづらそうに、躊躇うように、でもそれでも、ハッキリと、話を続ける。
「わたしもそろそろ、覚悟を決めたわ」
「覚悟ってなんだよ……」
ハニーはその問いには答えない。
「幸いにもこの家には2つのベッドルームがあるわ」
今更の事だが、僕は「そうだね」と話を合わせる。
「今日、わたしは向こうのベッドルームで寝るわ」
「最初からそうしてよ!」
「来てもいいわよ」
「行かないよ!」
「いいえ、これから言うことをちゃんと聞いてから、判断してちょうだい」
ハニーはそう言うと、自身の左手に視線を移す。その視線を追うと、僕があげた安物の指輪が輝いていた。
そのあとに再び僕を見据え、何を決心したように、ゆっくりと、口を開いた。
「あなたはどっちの部屋で寝ても構わないわ。わたしと一緒でも、別々でも––––もしわたしと一緒に寝るのなら、わたしと結婚してちょうだい」
ハニーは淡々とそう言った。無表情で。
「反対に、別々に寝るなら––––今まで通り」
「今まで通り?」
「そう今まで通り、他の勇者が全員あなたの事を諦めるまで、ニセモノ夫婦として振る舞うわ。それからあなたに対して、もうアプローチしない」
ハニーはまたもや淡々とそう言った。またもや無表情で。まるで、メモに書いてある事を読み上げるように。最初からそう言うと決めていたかのように。
「もしあなたが来なかったら、わたしは辛いし、悲しいし、多分翌日は起きれないと思うわ。それに数日間––––いえ、もしかしたら一生そのままよ」
「……なら、そんな事しなくても」
「人を振るって事はそういう事なのよ、ちゃんと覚悟して振りなさい」
「…………それは今じゃないとダメなのか?」
「ダメよ、わたしはもう耐えられない。あなたが他の人と話したりしてるだけで辛いの。胸が苦しいの、張り裂けそうなの」
ハニーはとても辛そうな表情をして、苦しそうな表情をして、それでも最後にはいつものように笑って見せ、最高の笑顔で、僕の好きな笑顔で、ニッコリと
「ダーリン、わたし待ってるから」
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