大人の勇者

第19話『散髪ホトトギス』


 昼食を食べ終え、コーヒーを口に含む。

 ハニーがバニーになってから、大体1カ月ほどの月日が流れた。特にこれといった変化はない。

 要するに他の勇者は来てない。いや、ひとつだけ変化があった。


 ハニーが料理をするようになったのだ。


 ハニーパンではない、普通の昼食。実は今日の昼食もハニーが作ったものだ。

 別に手の込んだものではない。卵とベーコンをフライパンで焼いて、塩コショウで味付けをしただけのベーコンエッグ。

 味の感想を言うなら、普通。舌がトロけることもなければ、吐き出すこともない。普通に食べれる。


 ハニーは時々遊びに来る師匠に料理を教わっているらしく、ちょっとずつだが、まともな料理を作れるようになっていた。

 それこそ、最初は鍋で怪しいものを調理––––いや、生成しており、その姿はまさに「魔女」であった。

 紫色の煙がモクモクと上がった日には驚いたものだが、今では精々煮込み過ぎて、煮詰まる程度である。

 ハニーが料理をしてくれるおかげで、僕はちょっとだけゆっくり出来るようになっていた。

 僕はカップを手に取り、コーヒーをもう一口飲む。濃くないし、薄くもない。濃さは丁度いい。これもハニーが入れてくれたものだ。中に蜂蜜が混ざっている辺りに、ハニーの料理初心者感を感じ、思わず頬が緩む。

 僕も始めの頃は、創作料理に精を出したものだ。


「何笑ってるのよ」


「なんでもない、蜂蜜コーヒーは結構いいかもね」


「ハニーコーヒーよ」


 どうやらハニーは、自分の作ったものに自分の名前を付けるのが好きらしい。

 ハニーは僕を見ながら、いや––––真っ正面から僕の顔をまるで値踏みするかのように、頭のてっぺんから、顎の下まで舐めるように見ながら、こう言った。


「ダーリン、そろそろ髪を切った方がいいわよ」


「えっ、そうかな……」


 確かに前髪は目にかかる長さになっており、少し鬱陶しい。


「わたしが切ってあげるわよ」


 普通なら不安になる一言だ。ハニーは、あり大抵に言えば大雑把だ。本を読む時には、自分の抜けた髪の毛を栞代わりにしてしまうくらい、大雑把だ。

 だが、先日師匠の髪を手際よくスタイリッシュにカットしていたのを見た僕としては、むしろお願いしたいくらいである。

 ハニーは見た目に関する事なら、エキスパートなのである。ヘアメイク、服の選び方、なんなら、ご飯の食べ方まで、綺麗に見えるということをよく知っている。


「なら、お願いしようかな」


 ハニーは「分かったわ」と短く答えると、僕を洗面所に連行し、鏡の前に座らせる。その後、下に新聞紙を敷いた。もうなんか切り慣れている感がある。


「お客様、本日はどうなされますか?」


「変な小芝始めないでよ。普通でいいよ」


「では、いつも通り可愛くいたしますね」


「そんな注文した覚えないよ! 初オーダーだよ!」


「大丈夫よ、任せておきなさい」


 心配だ。ハニーはハサミを片手に、僕の髪を切り始めた。ちょっと心配ではあるが、鏡に映るハニーの表情は真剣そのものである。どうやら、真面目にやってくれるみたいだ。だが、念は押しておこう。念の為に。


「変な髪型はやめてよね」


「心外ね、わたしがそんな事するわけないじゃない。好きな人にはいつでも素敵でいて欲しいものなのよ」


 ハニーはそう言って、鏡越しに微笑んだ。この笑顔は、僕にしか向けてくれない特別な笑顔だと最近知った。

 作り笑いでもなければ、愛想笑いでもない、笑顔。

 僕はなんというか、ハニーのこの笑顔がちょっと好きだったりする。そんな事は本人には絶対に言わないが。


 ハニーは慣れた手付きで、全体のバランスを見ながら、ハサミをチョキチョキと動かす。だが、僕は先程から気になっている事があった。


「あの、ハニーさん」


「何かしら?」


「時々その、胸あたってるんですけど」


「それでドキドキしちゃうのね、スケベ」


「当ててる人に言われたくはないな!」


「冗談よ、当たらないようにしてるのだけれど、それでも当たっちゃうの––––大きいから。ほら、揉みなさい」


「だから、なんで命令形なんだよ⁉︎」


「そもそも健全な男子としては『おっぱいを揉みたい』と言うのは、健全な発想なのよ。それをしたくないって事は––––」


 ハニーは鏡越しに吟味するような目でこちらを伺いながら、続ける。


「そういうのがまだ来てないのかしら? 子供の頃にありがちな、女の子と仲良くしてる奴、キモーい的なアレなの?」


「精神面まで、子供扱いするなよ!」


「いいの、いいの、揉みたくなるまで待つわ。『揉まぬなら、揉むまで待とう、ホトトギス』」


「やってる事は『揉ませてみよう』だし! そもそもホトトギス関係ないだろ!」


「揉むまで、ギスギスした関係よ」


「じゃあほとは?」


「あぁ、ほとはね昔の隠語で––––」


「言わなくていい」


 きっと聞いてはいけないものだ。調べてもいけないものだ。

 こうやっていつもの雑談をしている間も、僕の髪はパラパラと新聞紙の上に落ちている。

 ハニーは正面の鏡を見ながら、左右の長さが均等になるように整えていく。


「お客様、この後はどこかへお出かけですか?」


「お庭に農業しにお出かけだよ」


「毎日、毎日、飽きないわねー」


「農業は櫛風しっぷう沐雨もくうなんだよ、休みなんてないんだよ」


「分かってるわよ、だからこうして家の事を手伝ってあげてるんじゃない」


「助かってるよ、ありがとう」


 僕がお礼を言うと鏡の中で再びハニーが笑ったのが見えた。


「何がそんなにおかしいの?」


「なんでもないわ、ちょっと幸せなだけよ」


「なんだよ、それ……」


「ほら、動かないで、虎刈りになっても責任取れないわよ」


 ハニーに動かないように言われてしまったため、僕は大人しくジッとしている事にした。

 ハニーはハサミを置くと櫛を取り出し、僕の髪を優しく撫でるように梳かし始めた。

 心地いい。母親猫に毛繕いをされる子猫はこんな気分なのかと思うと、全身毛まみれになるのも悪くないと思えるくらいには心地いい。

 その後、ハニーはチークブラシで僕の肩や頬に付いた細かい毛を払い、満足気に「完成っ」と微笑んだ。

 鏡を見ると、少し毛先は長めだが、鬱陶しくは無く、むしろ自分がちょっとカッコよくなったかと勘違いしちゃうくらいには、上手く切れていた。


「どうかしら?」


「いいと思うよ」


「ミスコンがあったら、きっとわたしとダーリンの一騎打ちね」


「それはミスだろ、僕は男だ! それに、他にも綺麗な人は居るだろ」


「……そうね、"黒いの"は多分わたしといい勝負かもね」


 この時の僕は、その黒いのによって、大変な事になるだなんて知るよしもなかった––––

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