第14話『瞬きプレゼント』
翌朝、いつものように眼を覚ますと、これまたいつものようにハニーに抱きつかれていた。
相変わらず、いい匂いがする。呼吸をすると甘い空気が肺に入り込む。同じシャンプー、同じボディーソープ、同じ洗剤で衣服を洗っているのに、どうしてこうも女の子ってやつはいい匂いがするのだろうか?
疑問を感じつつも僕はいつものように、ハニーを押しのけて脱出を図る。
無事に抱き枕の刑の懲役を終えた僕は、ハニーに布団をかけ直してから、その寝顔をぼんやりと眺める。こんな至近距離で見ていると言うのに、目を凝らさないと毛穴さえ見えない。要するにとても綺麗だ。
こうして寝ていれば、それはそれは綺麗なお嫁さんだというのに……
僕はため息をつきながらハニーを起こさないように、そーっと寝室から出た。
すると、台所からトントンと包丁のいい音が聞こえてきた。料理上手というものは包丁の音で分かるものだ。
僕がリビングに入るとコックさんは、伏し目がちに呟いた。
「あっ、その…………おはようございますっ」
「あ、うん、おはよう」
暫しの沈黙。会話はそれ以上続かない。
僕は彼女の事を師匠と呼んではいるものの、それは少しでも彼女に近付きたかったからでもある。
それは、決してやましい理由ではなく、彼女とコミュニケーションを取るという理由で。
無理矢理あだ名を付けて呼ばないといけないくらいには、彼女は人見知りであり、会話が続かない。
それこそ、自分の話––––料理の話や、ちょっとした、雑学は教えてくれるが、それは一方通行であり、僕が「へぇ、そうなんだ、知らなかったよ」と言えばそれで会話が終わってしまう。
よくよく考えたら、僕もそれほどコミュニケーションが得意な方ではない。
つまり、彼女の事は、ハニーが教えてくれた事以外は何も分からない。
そんな彼女はというと、鍋の具合をジッーっと穴の開くくらい見つめていた。
「朝食作ってくれてるの?」
「あっ、もしかして、その…………ダメでしたか?」
「もちろん構わないよ、何か手伝える事はある?」
師匠はその質問には答えずに、少しモジモジとした。
僕は出来るだけ優しい声色––––猫撫で声で彼女に尋ねる。
「どうしたの?」
「あ、あのっ」
「何かな?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ハニーさんは、そのっ、何が好きだと思いますか?」
師匠が僕の問いに答えるまで、瞬きを大体10回はした気はする。
ハニーが好きな食べ物、それは、
「肉じゃないかな」
「…………なるほどっ、お肉ですねっ」
相変わらず前髪で師匠の顔は見えないが、口元はニッコリと笑っていた。そのスマイルだけで、師匠がとっても可愛い顔をしているということは容易に想像がついた。
だが、他の情報は一切入って来ない。それこそ、師匠が朝食を作っている理由も、ここに来た理由も、人見知りの彼女が僕に会いに来た理由も。
ハニーは「愛故に」なんて、いつもの口調で上手い事を言ってはいたが、本人の口から理由を聞かない分には納得は出来ない。
それこそ、理由の分からない相手を家に泊めた僕はかなりの不用心なヤツとなるのだが、どこか彼女には気の許せる部分があった。
それは彼女の今日変なTシャツが––––略して変Tが「ぱんだ」だったからかもしれない。
だが、次の一言で僕は師匠の目的と、ここに来た理由を全て察する事が出来た。
「ハニーさん、喜んでくれるといいなっ」
あぁ、なるほどなぁ。伝説の勇者、シン・ガリングは、僕が好きなわけではなく、僕に会いに来たのではなく、ハニーに会いに来たのだ。それも、愛故に。
沢山の好意を向けられてきた僕は、好意に敏感だ。
そしてその好意が僕ではなく、ハニーに向いている事も、容易に想像出来た。
僕は意を決して、師匠に尋ねる。
「ハニーが好きなの?」
「……あっ、えっと………………その、違います!」
見え見えの嘘である。彼女の白い肌はみるみる紅葉の如く赤く染まり、頭の上に「あわあわっ」と効果音が出るくらいには慌てて出していた。そして、鍋は吹き出していた。
僕は無言で鍋の火を緩め、彼女に再び質問をする。ゆっくりと、なるべく優しい声色で。
「ハニーに会いに来たんでしょ?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………違いますっ」
違わない、絶対そうだ。僕は昨日ハニーがお風呂で言っていた事を思い出した。確か「勇者会議でもわたしとしか話さなかったし」だったか––––要は師匠はハニーに懐いている。
つまり僕は、師匠からハニーを取ってしまった事になるのではないだろうか?
僕は恐る、恐る、師匠にそれはもう、赤ちゃんをあやすかのような声で尋ねる。
「……僕からハニーを取り戻しに来たの?」
だがその返答は僕の予想とは違い、ポジティブなものであった。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ハニーさんに、その、結婚祝いを贈りたくてっ」
なんだ、ハニーって結構人望あるんじゃないか。引きこもりの師匠が、引きこもりをやめて、「結婚祝いを贈りたい」と思わせるくらいに慕われていたのは、嬉しい驚きである。
「何を贈るかもう決めてるの?」
「お肉ですっ」
「さっき聞いた好きな物って、そっちだったのかよ……」
「あぅ、ダメでしたか?」
「さすがにお肉は不味いかな、こういうのは形に残る物の方がいいと思うし」
師匠は「プレゼントって、難しいですね……」と肩を落としてしまった。僕はそんな彼女に、ある提案を持ちかける。
「プレゼント選び、協力してあげようか?」
「いいんですか?」
「もちろん」
師匠の表情は相変わらず見えないが、少なくとも喜んでいるのは何となく感じ取れた。
こうして、僕と師匠の共同戦線ならぬ、共同プレゼント選びが始まった。
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