第12話『彗星トマト』

「あの、どちら様ですか? そもそも、どうやって入ったんですか?」


 彼女は答えない。

 玄関は施錠をしていたし、窓も裏口も空いてない。ハニーが来て以降、戸締りはキッチリしている。あの時は戸締りが緩く、室内に入られてしまったからな。


 目の前にいる少女は、目が隠れるくらいの前髪で顔を覆い、表情は見えない。なぜ少女と判断したかと言うと、声が可愛かったからだ。さらにはハニー程ではないが、それなりに豊満なバストを持っている。

 髪は黒髪のショートヘアーであり、背丈は––––多分僕の方がプチトマト半個分は大きい。

 僕はもう一度同じ質問をしようとしたが、ハニーが何かに気が付いたようだ。


「『シン・ガリング』じゃない、"伝説の勇者"の」


「あ、うん…………ハニーさん、お久しぶりです」


 シン・ガリングなる少女は、伏し目がちに消え入りそうな声でそう呟いた。


「ハニー、あの、伝説の勇者って?」


「彼女はその名の通り"伝説の勇者"よ、要するにすごいのよ」


 彼女をもう一度見る。とてもそうは思えない。第一印象としては、引っ込み思案の女の子といった感じだ。それに肌も病的と言っていい程白い。

 あと、変なシャツを着ている。「はにわ」と縦に書かれた変なシャツを着ている。

 しかし、外見で判断するのは良くない。僕だってこれでも魔王だ。彼女もきっと見た目からは想像も出来ないほど、凄いのだろう。


 だが、ハニーが言うには全然違っていた。


「彼女ね、家から出ないの。『勇者会議』にもたまにしか来ないし、ほとんどの人が姿さえ見た事ないの。だから"伝説の勇者"なのよ」


「伝説ってそっちかよ!?」


「あうっ、ご、ごめんなさいっ」


 シン・ガリングはペコペコと、平謝りを始めてしまった。


「あ、こっちこそ急に大声を出してごめんなさい。あの、どうして、その––––家に来たんですか?」


 彼女は答えない。代わりにハニーがいつもの上手いことを言う。


「そんなの決まってるじゃない、勇者がダーリンに逢いに来るのは、愛故よ」


 シン・ガリングは何も言わない。代わりにハニーが喋る。


「でも残念だったわね、ほらコレを見なさい」


 ハニーはそう言うと、先日購入したばかりの指輪を自慢げに見せびらかした。

 なんか、悪い女感が出ているが、これは結構効果的なのではないだろうか?


 だが、彼女は何も言わない。代わりにハニーが喋る。今までの会話とは一切関係のない事を。


「わたしお腹が減ったわ」


「ちょうどお昼だしね、何か作るよ…………あの、ガリングさんも、何か食べますか?」


 彼女はコクリと頷いた。


「何か食べたい物はある?」


「あ、あのっ、何でも…………いいです」


 その回答が1番困る。


「嫌いな食べ物とかは、ないかな?」


「大丈夫…………ですっ」


「ハニー無いってさ」


「うるさいわねっ」


 この「嫌いな食べ物がある」というワードは、唯一僕がハニーをからかえるワードだ。

 僕は笑いを堪えながら、エプロンを着ける。するとシン・ガリングが僕の袖を引っ張った。


「どうしたのかな?」


「あのっ、わたしも、手伝いますっ」





 *




 結論から言おう。


 シン・ガリングは、料理上手であった。それも僕より。


「う、美味い」


「ダーリン、あなたの負けよ」


 しかも、僕が普段は使えないと割り切って捨てている、野菜のヘタや芯なども、彼女は見事に調理してしまった。

 ハニー風に言うのなら、「食材への贖罪しょくざいが必要だ」とでも言うべきだろうか。

 それに彼女は料理をしながら、キッチンを綺麗に掃除して、頑固な汚れも一撃で落とした。

 僕も家事スキルには結構自身があったのだが、完敗である。

 さらに、


「ハニー! 奴が出たぁぁぁぁぁぁあ!!」


「わたし無理よ、絶対無理!!」


「ていっ」


 シン・ガリングは何事も無かったかのように、黒くてカサカサ動く、黒い彗星ならぬ、ゴキブリを一撃で葬った。


「勇者だ……」


「勇者だわ……」


 勇者、勇気のある者と書いて勇者。ゴキブリを臆する事なく倒した彼女を、勇者と呼ばずして、なんと呼ぼうか。

 こうして彼女は、僅か1時間程度で家に溶け込んでしまっていた。

 昼食後も彼女は僕の家事を手伝ってくれ、晩御飯の準備を始める頃には、僕は彼女の事を「師匠」と呼ぶまでになっていた。

 それほどまでに伝説の勇者、シン・ガリングは、家事マスターである。

 圧倒的な家事スキルに加え、ちょっとした家事の小技まで持ち合わせている。

「一家に一台」という褒め言葉を、彼女に贈る事にしよう。

 他に何が出来るのか聞いた所、師匠は伏し目がちに囁いた。


「……シンはね、なんでも出来るよ、お料理とか、あ、あと、お洗濯も」


「家事が得意なの?」


「いつも…………家に居たから……」


 なるほど、常に家に居るから自然と家事スキルが高くなったとかなのだろう。僕も実際そうだしな。

 そして、彼女は自然と、最初からそう決まっていたかの様に、家に泊まる事になった。

 何故そう思ったかと言うと、着ていたシャツがいつも間にか「はにわ」から「だるま」に変わっていたからである。パジャマとかなのだろうか。

 いや、その前に彼女は手ぶらでうちに来ていた。


「そのシャツどうしたの?」


「あっ、着替えたの」


「家から持ってきたのかな?」


 師匠はコクリと頷いた。ハニーはそれを目を細めて見ていた。


「ハニー、どうしたんだ?」


「なんでも無いわ、それより……」


 ハニーはチラリと師匠の方を見ると、まるで「カレーは中辛でお願いね」と晩御飯のリクエストをするかのように、さも当たり前に、驚きの一言を言い放った。


「ダーリン、今日はわたしと一緒にお風呂に入りましょう」

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