第5話『抱き枕タラシ』
ベッドサイドに置かれた小さな鏡を見ながら、ハニーは髪をブラシで梳かしていた。
服装は、背中が薄っすらと透けて見えるレース生地のネグリジェであり、その姿はとても女性らしく、美しく、僕は思わず見惚れてしまっていた。
ハニーは僕の視線に気が付いたのか、鏡越しに視線を合わせる。
「ダーリン、今日はダメよ。お客さんが来てるんだから」
ハニーはもう一つのベッドルームに泊まっているディアに聞こえるように、ワザと大きな声でそう言ったのだろうが、効果は無いだろう。ディアはもう寝ているのである。
先程、何か必要な物が無いか聞きに行った所、既に吐息を立てて寝ていた。疲れたのだろう。
その証拠かは分からないが、ディアは晩御飯に出した野菜スープを鍋が空になるまでこれでもかと胃袋に収めてみせた。
思わず、「おぉ」と歓声を上げたくなる天晴れな食べっぷりであった。
作った料理を全部食べて貰えるのは、かなり嬉しかったりもした。ハニーはいつも野菜を残すからな。
そして、そんなハニーはブラッシングを終え、今度は髪をおさげに纏め始めた。
僕は後ろからその仕草をなんとなく眺めながら、声をかける。
「どうして、これから寝るのにまとめるんだ?」
「わたしほら、髪の毛が天使のように綺麗で、儚げでしょ」
ハニーはそう言うと、自身の髪をさらりとかき上げてみせた。その瞬間、良い匂いが鼻腔をくすぐる。
「いい匂いがした」
「あら、ありがとう。ほら、わたしは見た目だけでしょ? だから毎日お手入れしないとダメなのよ」
「おさげにするのもそれが理由なのか?」
「そうよ。そのまま寝ちゃうと枕で髪に跡が付いちゃうの」
ハニーは首の辺りにチョップをして見せた。
「そうだったのか、知らなかったよ」
「女の子にはね、秘密がいっぱいあるのよ」
髪をまとめたハニーは振り向き、悪戯っぽく微笑んだ。お風呂上がりのせいか、頬が少し赤い。
ハニーはベッドに腰掛ける僕の隣に移動すると、もう一つのベッドルームがある方に視線を向ける。
「さて、それじゃあ作戦会議をしましょうか。小声でね」
「さっき見に行ったら寝てたよ」
「あら、ならシテも大丈夫ね」
「作戦会議をね!」
「とにかく、まずは敵を知ることが大事よ、お互いの彼女に対する情報を出し合いましょう」
「そういえば、ハニーはディアを知ってたのか」
「そりゃね、『勇者会議』でも顔を合わせるしね」
勇者会議とは、世界中の勇者が集まって意見を出し合う会議の事である。人と魔族の間で停戦協定が結ばれたのも、僕がその会議で危険性が無い魔王と認められたのがきっかけだ。
「勇者会議って、具体的にはどんな話をするんだ?」
「最近はもっぱらダーリンの話題ばっかりだったわ」
「だろうな、失踪しちゃったし……」
「好きな食べ物とか」
「そっち⁉︎」
「大体の人は可愛いって言ってたわね」
「全然、嬉しくない!」
「ダーリンがこの近辺に潜伏している情報も出てたわね」
「それが1番大事な情報だよ!」
「あと、童貞な事とか」
「そんな話もするの⁉︎ やめろよ!」
「安心して、わたしも処女だから」
「そんなの聞いてないよ!!」
「まぁ、勇者会議はそんな感じよ」
「なんか僕の扱いを正して欲しいと感じたね!」
「ほら、次はダーリンの番よ。好きなタイプを教えなさい」
「そこ、勇者会議を続けようとしない」
「好きなタイプはわたしと…………」
「野菜が好きな人が好きかなぁ!」
「わたし、野菜大好き、超大好き」
「なら、明日から食べてね」
ハニーはぷいっと視線を逸らした。彼女のペースに飲まれて話題が脱線し過ぎている。僕は話を戻す事にした。
「ディアは、魔王城で迷子になってたんだ」
「あの子らしいわ」
「それで僕が声をかけて、毎回入り口まで案内してたんだ」
「ダーリンって魔王の素質0よね」
「知ってるよ! 成り行きでなったんだから仕方ないだろ」
「それにしてもどうして入り口なのかしら? 普通奥へ案内すべきじゃないの?」
「だって、中ボスさんに会ったらボコボコにされちゃうだろ……」
「………………優しいのね」
「中ボスさん強いから…………勇者の人達はみんなあの人にやられちゃってたんだろ?」
「えぇ、わたしは会った事も見た事もないのだけれど、大体は返討ちにあっていたそうね」
「おかげで僕も魔王になって以降、勇者に襲われた事がないよ」
「まぁ、仮に中ボスを倒せたとしても、あなたを襲う勇者は居ないでしょうけど」
「………………一応、理由を聞いても?」
ハニーは「小さ––––」と言いかけてから咳払いをして、「可愛いから」と言い直した。
「言っとくけどな、僕は小さくないし、周りがデカいだけだからな」
「はいはい、おっきいでちゅねー、えらい、えらい」
完全にバカにされている。僕は無視して、話を戻す。
「とにかく、ディアは魔王城に来るたびに迷子になってたんだよ」
「その度に案内して仲良くなったと、ダーリンたら意外とタラシだったのね」
「人をそんな理由で、見境なく口説く人だと決め付けるのはやめて⁉︎」
「ダーリン、そろそろ真面目に作戦会議をしましょう」
「ふざけてるのそっちだよね⁉︎」
「とにかく明日はわたしに任せて。1日で終わらせてあげるわ」
心配しかないが、ハニーはそれ以上作戦会議をするつもりも無いらしく、横になってポンポンとベッドを叩いた。
「ほら、ダーリン、おいでっ」
「嫌だよ」
「なら、わたし出て行くわ。それでこう言いふらすの『何回も肌を重ねた仲なのに、捨てられた』って」
「誤解を招く言い方はよせ!」
「それにどっちにしろ、わたしが居ないと、いい夫婦作戦は出来ないわよ」
「すいませんでした、ハニーが頼りです」
「それでいいのよ」
僕は大人しくハニーの横に寝そべり、抱き枕となった。ある意味ハニーの方が魔王に向いているかもしれない、などと考えながら僕は眠りについた。
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