第2話『蜂蜜チャーミング』

 僕を待っていたのは、腰まである銀色の髪に、膝下まである白いワンピースを纏った美しい女性であった。


 彼女の名前は、「ハニー・チャーミング」通称"見た目だけ勇者"。見た目が勇者っぽいのではない。彼女は力も弱く、体力もない。代わりに外見がとても優れている。

 長いまつ毛に、鼻筋の通った小鼻、かすかに潤んだくちびるは、甘い果実のように綺麗な色をしている。

 神様が外見重視で人を創造するとするなら、きっとこんな人が生まれるのだろう。

 つまり「ハニー・チャーミング」は見た目だけはいい勇者、見た目だけ勇者なのだ。


 そして彼女は僕の縁談相手の1人で、何故か僕の事をダーリンと呼ぶ。その理由は、「わたしの名前はハニーなのだから、あなたはダーリンでしょう?」だそうだ。

 そんな事を思い出していると、彼女は収穫したばかりのきゅうりを指差した。


「ダーリンたら、意外とアクティブだったのね。こんな所で作物を育てているなんて意外だわ」


「あの、どうしてここが分かったんですか?」


「それは、ほら、わたし勇者だから。それに、時期に他の勇者もやって来ると思うわ」


 彼女はそう言いながら、戸棚からティーセットを取り出した。


「立ち話もなんだから、お茶でもどうかしら?」


 ここは僕の家である。しかし、彼女はそんな事は気にも止めないご様子だ。仕方ない、付き合うか。


「お茶受けなんてありませんよ」


「わたしはきゅうりでも構わないわよ」


「あっ、なら、洗ってきます」


 僕は彼女を残して、流し台へと向かった。だが、彼女に呼び止められてしまう。


「ねぇ、お茶ってこれでいいの?」


 彼女は、ティーカップを片手にポットを指差していたので僕は無言で頷いた。

 よく考えたら、素直に追い返せば良かったかもしれない。

 でも彼女は気になる事を言っていた。「時期に他の勇者も来る」と––––つまり、僕は逃げなくてはならない。

 このままでは僕がせっかく築き上げた、平穏な野菜生活が崩れてしまう。

 とにかくこの場を納めて、大人しく帰ってもらわないと。


 きゅうりを洗ってから、輪切りにして、味付けなどはせずにそのままお皿に盛る。

「お茶受けにきゅうりなんて、どうなんだ?」なんて思ったが、このきゅうりの出来には自信がある。

 自分の作った野菜を食べて、美味しいと言ってもらえるのは、実は農家にとってはとても嬉しい事なのである。


 僕はきゅうりの乗ったお皿を「どうぞ」と彼女に差し出した。

 しかし、彼女の返答は意外なものであった。


「わたし、お野菜嫌いなの」


「さっき、きゅうりでもいいって言ったじゃないですか!」


「お茶受けにきゅうりなんて、冗談に決まってるでしょ。本気にするなんて、ダーリンは騙されやすいタイプね」


 僕は深いため息を付きながら彼女の対面の席に腰掛け、彼女が淹れてくれたであろう紅茶をすする。うっすい。


「これ、その、なんか––––」


「この紅茶、うっすいわね」


「淹れたのあなたでしょ⁉︎」


「ほら、わたし見た目だけだから、紅茶とか淹れられないの」


「なら、なんで淹れたんだよ……」


 僕は再びため息を付いた。彼女は、うっすい紅茶を飲み干すと、僕に問いかける。


「それで、ダーリンはどうしてこんな所で農業なんてやっているのかしら?」


「…………嫌になって逃げてきたんだよ。毎日、毎日お見合い、お見合い、そんなのもう嫌なんだよ」


「草食系魔王の噂は本当だったのね」


「そうだよ、それに…………結婚とか、まだ早いと思うし」


 ここで彼女の反応を伺うが、あっけらかんとしていた。


「ふぅーん、でもわたしに見つかっちゃたわね」


「だから、その、そこをなんとか…………魔王城には内緒にして帰ってくれませんか?」


「いいわよ」


「いいの⁉︎」


 びっくりする僕に対して彼女は、「でも……」と問題点を指摘する。


「他の勇者はどうするのかしら? わたしみたいに引き下がってくれると思う?」


「それは…………」


 悩む僕に対して、彼女は身を乗り出し、空色の瞳で僕をジッと見つめてきた。


「わたしにいい考えがあるわ」


「いい考え?」


「簡単よ、わたしと夫婦のフリをするの」


「………………それで、他の勇者を騙すのか」


「そうよ。ほら、わたし見た目だけはいいし、最強のお嫁さんだと思うわ」


「否定はしないけど……」


「わたしみたいな可愛いお嫁さんがいると知ったら、他の勇者はあなたの事を諦めるでしょ」


 その通りである。彼女はルックスは、とてもいいし、スタイルもいい。

 ワンピースから覗く手足は長く、服の上からでも分かる大きなバストは、戦闘の邪魔となっていた事だろう。身長も、悔しいが僕よりキャベツひと玉分くらい高い。

 しかし、何故そんな申し出をしてくれるのだろうか?


「あの、どうして僕に協力してくれるの?」


「それを言わせるの?」


 彼女はクスクスと笑うと、僕の横に移動して耳元で囁いた。


「好きだから」


 耳に吐息がかかり、僕はこそばゆくてビクッと反応してしまった。その反応を見ると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「あ、お耳弱いんだー」


「弱くない、とっても強いぞ」


「なにそれ、耳が強いって、面白いわ」


 からかう彼女に対して、僕は「でも……」と話を戻す。


「本当にそれでいいの?」


「構わないわ。ダーリンの側にいられたら、わたしは幸せだもの」


「その、どうして僕をそこまで……」


「わたしみたいな、恋愛経験がない勇者は、ちょっと優しくされたら、好きになっちゃうのよ」


「優しくしたって…………介抱しただけだろ」


「そう、あの時は乗り物酔いが酷くて本当に助かったわ」


「えっ?」


「だから、乗り物酔いが酷くて倒れてたら、あなたが助けてくれたんじゃない」


「えっ、あの…………中ボスのお姉さんにやられたんじゃなくて?」


「馬車で魔王城まで来たのだけれど、馬車ってダメね。すごい揺れるもの。あれは酔うわ」


「………………そうですか」


 見た目だけ勇者は、力も弱ければ、体力もない。それはつまりただの女の子という事だ。

 疑問には思っていた。なぜ、彼女のような人が勇者をやっているのかと。

 僕も人の事は言えないかも知れないが、彼女なりに事情でもあるのだろうか?


「あの、どうして勇者になったんですか?」


「あなたこそ、どうして魔王になったの? 初めて会った時にも言ったけど、その、冗談だと思ったわ」


 僕は彼女に魔王にされてしまった経緯を話した。その話を聞くと、彼女は笑いを堪え切れなかったのか、「ぷっ」と吹き出した。


「驚いたわ、冗談みたいな理由で、冗談みたいな魔王が生まれたわけね」


「弱そうな魔王だと思ったんだろ、その通りだよ」


「えぇ、随分と小さ…………えーと、可愛らしい魔王だと思ったわ」


「今、小さいって、言おうとしたよなぁ!」


「言ってないわ、全然言ってない、心の中で思った事が口から出そうになっただけ」


「人は古来からそれを、本心と呼ぶんだよ!」


「でもそうね、わたしがショタコン扱いされないための対策は必要ね」


「そんな対策、最初から要らないよ––––––––!!」


「鏡って知ってる? わたしは結構使うのだけれど、ダーリンも使った方がいいわよ」


「僕を鏡を知らない人みたいに扱うのをやめろ!」


「ダーリンと話してると楽しいわ、大好き」


「………………僕も楽しいよ」


「あら、気が合うわね、本当に結婚しちゃいましょうか」


「嫌味だよ、わかれよ!」


「別れよ? わたしを捨てるつもり? 酷いわ、こんなにも愛しているのに……」


「理解する方の"わかれよ"だよ!」


「結婚初日にすれ違うなんて、なんか初々しいわね」


「もう、結婚してるだと⁉︎」


「それで、どうなの? わたしの提案に乗る?」


「ちょっと、考えさせて……」


「構わないわ、ごゆっくりどうぞ」


 怒涛の茶番劇を終え、僕は冷めてしまった薄い紅茶を飲む。幾分いくぶんか気持ちが落ち着いて来たところで、僕は考えを巡らせる。

 彼女の申し出は確かに嬉しいし、ここでの生活は気に入っている。

 どちらにしろ縁談の話はすべて断るつもりだったのだから、その案に乗るのは悪いことではない。


「あの……」


「なぁに、ダーリン」


「僕と、一緒に勇者を…………えっと、なんて言えばいいんだろ?」


「ダーリンは魔王なのだから、討伐じゃないかしら?」


「物騒な物言いだね……」


「まぁ、実は内心、勇者討伐を企んでいなかった事にはホッとしているわ。魔王の本業は何だかんだ言って、勇者討伐だもの」


「僕にはそんなの無理だよ」


「You share two butt(あなたは2人のお尻をシェアする)つまり、あなたは2人の女の子のお尻を同時に追いかける、甲斐性なしハーレム野郎じゃなくて、ホットしてるわ」


「それ勇者討伐じゃなくて、ユーシェアトゥーバッツだろ!」


 牽強付会けんきょうふかいも良いところである。と、いうか不快な解釈である。


「魔王の本業って、女の子をはべらして、イチャイチャハーレムライフを送るものだと勘違いをしていたわ」


「それ魔王じゃなくて、ハーレム王だろ……」


 彼女はそれを聞いて、クスクスとからかうように笑った。その反応を見て、僕は彼女が冗談を言ったのだと理解した。

 まったく、明日から退屈はしないで済みそうである。


 こうして、冗談みたいな理由で魔王になった僕と、冗談好きでチャーミングなハニーとの、共同生活ならぬ、少し奇妙な共同戦線が始まったのであった。

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