第78話 二〇一一年三月十日

 二〇一一年三月十日、木曜日、午前七時。渚沙は、ペコちゃんの他、名がわからない昭和時代の大小様々なフィギュアに囲まれて目が覚めた。

 例の三十万円するというペコちゃんの壁掛け時計が目に飛び込んでくる。三時間ほど寝られたようだ。疲れているのに体内時計は正確で、いつものように早く起きてしまう。


 安江のお姉さんは、起きたら電話してねといってくれていたが、前日あまりにも忙しそうだったので気が引けてしまい、渚沙は本を読んでしばらく待つことにした。十時になって電話してみると、これから安江のマンションにいる母親の様子を見に行くという。その後、また用事が出来てしまったらしく、結局渚沙はひとりで、安江の入院している病院に出掛けることになった。


 正午、病院を訪ねた。

 病室に入ると、安江はベッドの上に上半身を起こして笑顔を見せた。いつもと変わらずピンピンしている。前日に命が危ぶまれるほどの大手術をして、もしや死ぬのではないかと思えるほど息が切れ切れだった人物とはとても思えない。昨日は麻酔がまだ効いていて意識が朦朧もうろうとしていたのだろう。それに、なんといっても生き神シャンタムの日本ボランティアセンターでよく手伝いをしているお陰で守られているのではないか。だからといって不摂生をしていいはずがないから今後は禁煙すべきだ。

「もうタバコはやめたほうがいいですよ」と渚沙が口にすると、「そうだね」と安江は笑った。本当にやめるのか疑わしい。

 

 渚沙は、前年にフミが起こした公式サイトの強奪事件に加え、近頃のスピリチュアル系連中の不穏な動きについて安江に打ち明けた。

「そのフミという人は、精神的に未熟なのよ。距離を置いた方がいいよ」安江はフミの姿を思い浮かべているように宙に目を泳がせていった。

「ええ、関わりたくないので、距離は置いています」


 渚沙は、ナータの二〇〇四年の「になりたがる人の罪のせいで日本に自然災害が起こる」という言葉を安江に話した。

 すると、安江はいささかも動じずにこう返してきた。

「そうだね、自然災害は人災だっていうものね」

 シャンタムがそう話しているそうだ。トラタ共和国の二人の生き神は、同じことをいっていることが判明した。中身は同じ神なのだから当然だろうけれど。


「スピリチュアルの功罪については、何年か前に気がついていた」安江はそういってから、著名な精神科医である女友達の話もした。日本のことに疎い渚沙も、名前だけは聞いたことがある著名人だ。その精神科医は、スピリチュアルの本を読むだけでも人は精神病になると安江に話したらしい。やはりそうなのだ。精神科医がそう認めているという話をまたSNSで公表できるのだから、大変ありがたい。 


 安江と別れてから食事を済ませ、のんびりと電車を乗り継いで平井雪子が住んでいる川崎に向かうことにした。雪子も夫の晴臣はるおみも共働きで子供達は保育園に預けられているので、あまり早く着いても困るからだ。


 夕方、雪子のマンションに着くと、雪子と二人の子供たちがにこやかに迎えてくれた。三十分前に帰宅したという。ちょうどいいタイミングだったようだ。

 雪子は、渚沙が泊まる時にいつも使わせてくれる部屋に案内すると、奇妙なことを口にした。

「最近、地震がよくあって、気持ち悪い揺れ方するの。この本棚だけは倒れるから気をつけて」

 前回滞在させてもらった時にはなかったパステルグリーンの新しい組み立て式本棚を指して、雪子はそういった。本棚には、上から下までぎっしりと漫画ばかり詰め込まれている。 


 最近関東で地震があったとは知らなかった。渚沙が移動してきた日にも関東はけっこう大きく揺れていたらしい。まだ飛行機に乗る前だ。怖いことを経験せず、知らずに済むのは実に幸運なことだ。自分が日本にいる間に大きな地震が起こるわけがない、とすぐに渚沙は思った。


 それにしても、とはいったいどういう意味なのか。地震の揺れに気持ちのいい悪いがあるという話は聞いたことがない。おかしなことをいうものだと少々気になったが、雪子には何も尋ねかった。


 

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