第59話 一時結婚

(よろしければ、別作品「渚沙は見た!」の「スピ系テロリストのハーレム」と合わせてお読みください。こちらをその後に読まれることをお勧めします)


 正統派の聖者で「自由な性」を支持するものはいない。近代は、黒魔術師のカリルや世界的に名の知れたテロリストの偽聖者シンニョのようなカルトリーダー、の人々が欲をあらわに、異常に「性」を崇めている時代である。


 ナータが「性行為を神と結びつける伝統」に関してなんといっているか――完全に否定している。


「神は魂と関係を持つものであり、肉体とは関わらない。自分の欲を満たすために、人間が作った伝統である」と。さらに――


「性交は罪ではない。子を授かるためになされる神聖なものである。単なる一時的な喜びのために精液を無駄にすべきではない」


「性交による一時的な喜びは、神性の至福とは比較にならない。それは、真の幸福に気づくためのスタート地点でしかない」



「弟子と性交する聖者は、もはや聖者ではなく罪人である」

このようにナータは述べているのだ。

  

 ある日の夕刻、日本人の若い男女がナータの寺院の礼拝時にひょっこり顔を出した。青年のほうは長年トラタ共和国で聖地荒らしをしており、以前この寺院に宿泊したこともあった。彼もまた井上潤次郎の影響で、偽聖者カリルのところに入り浸るようになったらしい。


 色白でピンクの頬をした可愛らしい若い女の子のほうは、長年トラタ共和国に滞在し、真面目に古典舞踊の学校に通っていたセミプロの舞踊家だ。渚沙は以前、トラタ共和国への乗り換えの空港の待合室で偶然彼女に出会ったことがあった。日本人が同じ飛行機に乗ることは滅多にないから目立つし、同国人とわかるとなんとなく安心する。どちらからともなく話し始めた。

 渚沙より年が幾つか下の女の子が、独りで途上国であるトラタ共和国に何年も滞在して勉強を続けているというのでなんて勇気がある子だろうと感心した。自分が彼女よりもずっと清潔で安全なところにいると思えたからだ。


 彼女は、トラタ共和国から帰国すると成田空港に一文無しで到着することがよくあるらしい。じつは渚沙も二、三度あり、空港近くに住む友人に世話になって実家に帰ったが、舞踊家の彼女の家は新潟で、そこまでヒッチハイクをして帰るというから脱帽だ。さらに驚いたことに、ある時は、新宿のホームレスのリーダーにし、なんとそこからしばらく会社勤めをしたそうだ。台風の時に、リーダの小屋が倒れないように支えたというから見事な弟子ぶりである。可愛い顔をして身の安全についてはまったく懸念しなかったのだろうか。過去の行いがいいのか、強力に守られている人なのだと思った。


 それなのに、だ……偽聖者カリルと縁を持つことになるとは不運としか思えない。青年に誘われたようだが、空港で渚沙がたまたま彼女に会った時は、青年のことはまだ知らなかったのだ。


 二人はカリルによって組み合わされた仮夫婦で、日本で同棲していると渚沙に説明した。カリルは、「一時結婚」なるものを弟子たちに勧めているという。もちろん、伝統を重んじるトラタ共和国ではありえず、許されないことだ。トラタ共和国では結婚は人生で一度きりの神聖なものであり、離婚も再婚も非常に難しい。女性の再婚はほぼ不可能だ。外国人だけがそのようなくだらない妄想や作り話に簡単に騙されてしまう。二人ともとてもいい子なんだけれど、スピリチュアル面ではなんて馬鹿げたことをしているのだろうと渚沙は残念に思った。


 その日の夕刻、ナータにその「一時結婚」の話をちらりとすると「そのようなものは無意味なことだ」と一言返ってきた。

  

 トラタ共和国では、あらゆる聖典で性交を戒めている。もちろん婚前交渉不可。神話に出てくる聖者、修行者たちは禁欲を自らに強いている。ライバルや敵とみなす相手に力をつけさせないように欲望の罠をしかけたり、魔の誘惑に負けてしまったりする修行者や聖者の話がよく出てくる。家庭を持つ立場の者なら別だが、修行者にとって性欲は障害であり力を失う原因になるからだ。

 破壊神が登場する神話には、処女や貞節な妻が強力な力を有するという有名なエピソードも幾つかある。結婚後でも女の貞節さは神聖であり、家庭を守り繁栄させる特別な力、徳を得るというのだ。


 一方、性交を神と結びつける都合のいい話は、古代から伝わる聖典や神話のどこにも出てこない。一部の暇な輩が独自に作り上げた比較的新しい妄想的「伝統」である。神や宗教を狡賢く利用する貪欲な人間の醜態の象徴であり、カルトといって差し支えないだろう。

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