第34話 写真の強力さ

 ナータやシャンタム、他の聖者たちもみんな、霊的な教師、すなわちは一人だけを選ぶように教えている。本物の聖者たちは誰にしろと強制したりしない。誰でもいいという。自分が一番好きな霊性指導者を選ぶことで、自分の性格に合った、自分に必要なことが学べるらしい。もし複数の指導者について行こうとすれば、頭が混乱して何も学べなくなってしまうのだそうだ。これに関連し、同時にたくさんの聖者を追いかける行為を『グル・ショッピング』といい、批判されている。いつも聖地巡せいちめぐりをしている井上潤次郎は、グル・ショッピング・ピープルといえそうだ。


 渚沙は一枚のシャンタムの写真を手放せないでいた。千枚以上あるシャンタムの写真のコレクションは実家に置いてきたが、それだけはナータのところにまで持ってきていた。その写真は例の、シャンタムの表情がよく変わり、渚沙のことを恋人のように見つめてくれるので幸せな気分になれる特別なものだからだ。


 ある常連訪問者のドイツ人女性が、「写真も一人を選ばなくてはいけない」と渚沙にいった。そういう彼女もシャンタム経由でナータのところに来たし、二人を同じ生き神として信じているのだが。じつは、たくさんの神の絵や複数の霊性指導者の写真を飾っておくだけで、それぞれの役割とエネルギーが異なるために精神がおかしくなるのだそうだ。

 どうやら、写真といえど、生き神や本物の聖者たちの力は馬鹿にできないものらしい。

 現に、ナータはこういっている。

「私が祝福している写真と、肉体のある私から受ける祝福は同じだ」と。

 トラタ共和国の神々の絵や、聖者たちは祝福のポーズは右手を上げて、掌を相手に見せる。絶対に約束するという保障付きの祝福の場合は両手を上げて見せる。右手だけの時は、本人の努力がかなり必要とされる場合らしい。ナータも右手だけの時と両手で祝福する時を明白に使い分けているようだ。


「ナータ、私はシャンタムの写真を一枚持っているのですが、それを持っていてもかまわないでしょうか」ある日渚沙がみんなの前でナータに質問した。

「問題ありません。持っていなさい。しかし、いつか一人を選ばなくてはいけないよ」ナータが優しく返した。

 渚沙が選んでいるのはすでにナータなのだ。だからナータの聖地にいる。自分が運命を共にするのはナータだと心の奥底で確信している。

 ただ写真が問題なだけなのだろうか。複数の神の写真を飾っていると精神に有害だから? 渚沙にとっては百パーセント同一人物なのに?

 ついでにシャンタムという名前にも強く執着している。「シャンタム」という名前を聞くだけで渚沙の心は溶ろけてしまうのだが、ナータと聞いてもそうならない。好きな人の名前を聞くとドキッとしたり、キュンとしたりするのと同じだ。「ナータ」は聞き慣れていないだけで、癖のようなものだろう。渚沙にとって、ナータはシャンタムそのものだから、名前はどうでもよかった。それでも、ナータの返答からすると、いつかは写真と名前を完全に手放せるようになる必要がありそうだ。ナータも他の人も、それ以来、渚沙にシャンタムの写真をどうにかするように強制したりしなかった。数年の間、ずっと持っていたが、ある時写真を引き出しの中に入れ、そのまま忘れることができた。シャンタムという名前も徐々にどうでもよくなっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る