第33話 分身の比較

 聖ナータとプライベートの集まりを体験した日本人は、渚沙が初めてだった。井上潤次郎いのうえじゅんじろうは、ナータに一番近い日本人だと思えたが、ナータの寺院に滞在して得られる特別な恩寵おんちょうを知らない。渚沙が他人の運命に口を出すべきことではないと感じていたし、もし必要ならナータ自身が井上に寺院に滞在してはどうかと提案しただろう。

 井上はいつも団体で二、三日泊まるだけなのでホテルに滞在するほうが楽で便利なのかもしれないが、なんとも残念だ。彼には落ち着いてひとところで真剣に何かを学ぼうという気持ちがないようだ。聖地巡せいちめぐりを好む井上自らの選択だから仕方がない。

 

 プライベートの時間といっても、常に貴重な教えの機会として使われていた。トラタ共和国で大人や若者たちに好まれているボードゲームやバドミントンをナータと楽しむことも度々あった。何をやってもナータは天才的に強くて上手い。そして、その遊びの時間さえも一人一人に対して教え続けているので、じつはただ楽しんで参加している者はあまりいない。


 ナータは笑顔で厳しく教えることが多かったが、稀に怒りを表して教えることもあった。父親のようであり、母親のようであり、友達や子供のような顔を見せる時もある。いつも違う表情をしている。写真も同じ顔をしているものがほとんどない。シャンタムに身近に接したことがないからわからないが、基本的な厳しさはナータとあまり変わらない印象を渚沙は持っていた。

「ナギサは、シャンタムよりも優しい私のほうへ来て良かったと喜んでいるようだが、とんだ勘違いをしている。私のほうがもっと厳しいからな」とナータが口にしたことがある。

 そうなの? ナータの厳しさは十分に承知しているつもりだったけれど、シャンタムよりも厳しいのね……。ちょっとわかる気もするが、中身は同じ分身なのにややこしいお二人だ。


 井上潤次郎から、訳のために渡されていた本に載っている写真のナータの顔はシャンタムに似ていなかったが、単にナータが持っているひとつの顔に過ぎなかったのだ。

 実際に、ナータがシャンタム本人に見えることがよくあった。ナータは三十五歳でシャンタムが倍の七十歳だというのに、ナータの顔は厳しくなると年老いたシャンタムの顔になる。そして他のドイツ人も同じことをいっていた。渚沙は、シャンタムに見える時のナータがとても好きだ。やはり心の中の恋人であり、妄想で同棲生活までしていたくらい愛していたシャンタムを捨てられないのだ。それでもシャンタムに会いに行きたいとか、あちらの聖地に行きたいとまったく思わないのは、渚沙が完全に二人を同一視しているからだろう。


 ナータのところにやって来る人々は渚沙と同様、現地人も外国人もシャンタム経由が多い。シャンタムとナータが同一人物だと感じている人が九割、残りの一割はナータのほうが若くて美しく素晴らしい神だと比較してナータを選んでいた。

 同一人物と見ている人はより近くで接することができるのでナータのところに来ているが、どちらも魅力的で両方の聖地を行き来している者もわずかにいた。


 こんな日本人がいた。

「シャンタムがね、少し離れたところから僕に手を振ってくれたんだよ。次の日こっちに来たら、ナータが『昨日、私がこうしてあなたに手を振ったでしょう』と言われましたよ」大阪から来た弁護士が嬉しそうに話してくれた。

 面白いことに、シャンタムの聖地ではシャンタムとナータが話をしているところを何度も人々に目撃されている。実際には、ナータがシャンタムの地へ出向いたことは一度もない。神の生まれ変わりは他の聖者を訪問することは絶対にないと聞いている。シャンタムとナータが『分身会議』をしているところを意図的に人々に見せているのだろう。

 生き神同士が会議って、絶対必要ない……。だいたい意思疎通は朝飯前のはずだ。

 あっ、でも神話の中にはいろいろあった。維持神が他のマイナーな神々を引き連れて、破壊神に助けてくれとお願いしにいく場面を何度か連続ドラマで見た。

 神というのはけっこういたずら好きでお茶目なのかもしれない。

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