第41話 パラノイア
聖ナータは「来る者拒まず、去る者追わず」とよくいう。
ナータにとって、悪人も善人もない。どんな人にも自分の子のように愛情を持って接し、社会に迷惑をかける罪人、役に立たない怠け者や狂人に矯正や人間やりなおしの機会を与える。
トラタ共和国の聖地には『シラム』という施設が多数ある。聖典で霊的な知識を学んだりちょっとした修行ができたりし、たいてい宿泊可能だ。極最近、トラタ共和国の政府によって、神と認識された聖者たちの施設に限り、シラムとは呼ばず、『ディルマ』と呼ぶことが定められたが、それ以前はシャンタムとナータの聖地もシラムと呼ばれていた。
シラムという言葉には、なんと精神病院という意味もある。それを証明するかのごとく、どこのシラムにも重症な患者といえるスピリチュアル系外国人がやって来る。
ちなみに、トラタ共和国の人はたいへんまともだ。現地人たちのボランティア精神、神さまごとを大切にする姿勢に、渚沙は特別な敬意を抱いているが、欠点だっていろいろある普通の人たちだ。
ついでに、
小笠原夫妻を利用して聖者のところへやって来る方法を知ったフミたちは、ナータの寛大さゆえに、寺院の宿泊施設滞在を許されていた。
フミのグループは、特異な空気を周囲に放ちいつも目立つ。訪問時は四、五人で、一番多くて十人いるかいないかという人数でやって来る。たった二、三人の姿を見かけても、
おかしなことにグルであるはずのフミは、人と顔や目を合わせられず、おどおどしてやけに大人しい。フミは視線恐怖症だという。
渚沙はそれについてちょっと調べてみた。
視線恐怖症――通常、特に親しくないが知っている人の前で発症する。他人の前で醜態を
そういうフミの不自然な振舞いは様々な場面で見られ、精神的に病んでいる可哀想な人だとみんなから同情された。
現地人や西洋人たちは、よく渚沙に心配そうな顔つきで質問した。
「フミは最近来る? いつも顔が強張ってるよね、こんなふうに」と不自然な笑顔の物真似までして見せる。
フミが整形しているかどうかは別として、相当な違和感があるのだ。みんな特徴をつかんでいて上手にフミの顔真似をするので、渚沙はその度に噴き出した。
現地人まで「あのおバカな人」とにんまりと笑い、誰もがすぐにフミとわかる顔真似をする。あまり接する機会がない人、話しさえしない人からもおバカなんていわれてしまうんだと渚沙が驚いたほど、フミは現地人の目にも変人に映るらしい。
渚沙はフミの話題には触れたくなかったので、聞かれても「よく知らない」といつも
渚沙は、フミのグループに騙されて一緒にやって来る羽目になった部外者やその他諸々から、フミの奇々怪々な言行、グループ内での狂事を聞かされた。
フミは弟子たちの前では態度を
フミは生まれつき片方の腎臓が機能しておらず体調が思わしくないことが多く、昼間はもちろん、夜中も弟子が何時間もフミにマッサージをしている。具合が悪くなる理由は、次のうちのいずれからしい。
一、自分の弟子や、寺院のボランティアたちのエネルギーが悪いため。たとえば、渚沙や他の滞在者たちが嫉妬のエネルギーを送ってくるため。
二、生まれつきの障害も、調子が悪くなるのも、自分が人の罪を背負っているため。
フミは物事が思い通りにいかず腹が立つと、身近にいる弟子をターゲットにする。そうでない場合は、グループ外のエネルギーが悪い人のせいにし、悪口を連ねて弟子たちに延々と聞かせる。それがフミの教えであり、説教の時間に行われることで、たとえば、聖者から声を掛けられないケースはたいてい弟子の行いが悪いからだと、秘書や格の高い弟子と共にその特定の弟子を集中攻撃する。品のない、子供じみたグルごっこに参加している弟子たちの気が知れない。
フミは、自分がナータやシャンタムと同じ神だと弟子たちに話していたという。二人の生き神たちと交信していただけでなく、自分が彼らそのものだというのはおかしくないか。
自己愛が異常に強いフミは、自分が神だと主張する――イエス・キリストの生まれ変わりだと信じ込む者が多いらしい――『パラノイア』という精神疾患患者のようだ。
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