第5章 狂宴

第51話 闇への招待状

 井上潤次郎いのうえじゅんじろうは、リーダーシップをとることが上手かった。まっすぐな熱意で、即物事を実行する力と勇気、大胆さがあった。カリスマ性だってあった。

 彼を知るスピリチュアル系のお客やツアー参加者は、「井上先生」と呼んでいたが、渚沙は井上が寺院を訪れるといつも「井上さん」と呼んだ。良い人だとは思うが、井上は普通の人間である。聖人でもなく崇拝すべき存在ではない。人が彼をなどと呼ぶのは間違っている、良くないと感じていた。だから、渚沙はえてみんなの前でも「井上さん」と呼び続けた。それでも、井上はいつもと変わらず渚沙に親しくしてくれた。


 吉澤よしざわフミの場合もそうだ。小室比呂子こむろひろこたちがよく、「フミ先生」と呼んでいたが、渚沙は必ず「フミさん」と呼んだ。そのことをフミが嫌がっている様子はなかった。持ち上げる周りの人間の側にも問題があるに違いない。

   

 間もなく、井上のツアーで見かけた人たちが、それぞれ別のグループを作ってリーダーとなり、ナータの寺院を一日、二日、訪れるようになった。そのようにして、多くの曲者くせものが井上のツアー客から誕生していた。各グループリーダーが四十人、五十人、時には百人くらいの日本人を連れて来た。やはり、井上に習ってみんな聖地巡りをしている。

 どうやら彼らは井上と仲間割れしたらしい。


「井上さんとは縁を切ったから」と、リーダー格が渚沙にぽつりとらしたが、その理由は尋ねなかった。

 井上は純粋で正直な人間だが、ものをはっきり言うし、剛毅ごうきな精神の持ち主だ。もし、ツアー参加者の中に主導権を握りたがるタイプの人間がいたら、間違いなくぶつかるだろう。その第一号があの吉澤フミだったのだ。


 井上から離れていったリーダー格は、全員で、彼らにくっついている客連中も含め、カリルのところでヒーラーになるための高額な有料セミナーに参加したらしい。ヒーラーとは、見えない力で病気を癒す人のことをいうようだ。その参加者が、井上のようにくだらない霊能力が欲しいという欲のために、偽聖者のカリルに深入りしていったのである。

 渚沙には彼らの気持ちがわからなかった。まあ、人の興味はそれぞれ違って当たり前だけれど、あまりにも胡散臭くて脳みそも心もついていけない。


 いつの頃からか、聖ナータの寺院に時々気まぐれにひょっこりと顔を出す日本人たちから、妙な話を聞かされるようになった。

 カリルがをしている――と。

 日本人リーダーの一人である僧侶は、夜中にカリルに呼ばれてその黒魔術の儀式に招待されたという。

 渚沙は、久しく見ていない井上のことを一番に思い浮かべた。大勢の日本人を引き連れて行った初代リーダーの井上が、その黒魔術とやらに招待されていないはずがない。なんともまわしい話を聞いてしまった。


 それにしても、黒魔術とは何だろう? 実在するものだったの? 

 渚沙には、無縁の世界、想像の言葉でしかない。多分、映画とか漫画とかにだけ出てくる作り話のはずだ。

 帰国時、妹夫婦のアパートに滞在中、最寄りの駅前の本屋によく寄っていた。パソコン関係の書籍を探していたのだが、すぐ隣にオカルト系の小コーナーがあり黒魔術云々うんぬんのタイトルを目にしたことがある。おどろおどろしい表紙で薄気味が悪い。そのようなものを好んで読む人間がいるとは想像し難かった。


 また渚沙は、蒲田より子から誘われてトラタ共和国行きが決まってから、旅費を稼ごうと地元の駅前の大きな本屋の漫画売り場でアルバイトをしていた経験がある。毎日こまめに本棚をチェックし、売れる物だけ置き売れなければ返品する。コーナーを設置するくらいになると、そのジャンルにある程度の人気があり定期的に売れているからだ。

 だけど、正気の人間が黒魔術の本など読むだろうか? ホラー映画かなんかの見すぎじゃないの? あんなものに興味を持ち夢中になる人間は、やがて狂うに違いない――

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