番外編 超純愛系 その2

 仮面旅行中の二度目のナータとのささやかなは、夕方、商店街を歩いてみようとみんなで外出した時に訪れた。


 どこまでも終わりが見えない長い細道の両側に、小店や屋台がいくつも連なっている。ただ並んでいる商品を見ているだけでも面白い。ウィンドウはないけれど、ウィンドウショッピングというのだろうか、みんな商店街を歩くのを楽しんでいた。


 途中から緩やかな坂道になり少しひらけたところで、白い牛を三頭見かけた。トラタ共和国では牛は神さまとして重宝されている。誰かが飼っているのか、野生なのかわからないが、外出すると犬や猫のようによく道端で見かける。

 その三頭の牛は明らかに誰かに飼われているようだ。鈴や細長い布の飾り物を頭部につけており、一目で神として扱われている牛だとわかった。飼い主と思われる人はそばにいない。

 

「牛にビスケットをあげてみようか、を祝福してもらえるよ」

 ナータは、牛にお菓子をあげると祝福が得られると渚沙に説明した。

 渚沙は喜び勇んで、すぐ近くの店でビスケットの小さなパックを数個買ってきた。ナータと渚沙は一緒に、二人のほうを向いている一頭の牛の口のそばにビスケットを近づけた。牛はすぐにピンクの舌を出してそれらを平らげてしまった。牛の表情は変わらないけれど、喜んでいたに違いない。大きな黒い瞳が愛らしい美しい白牛だ。他のみんなはその間ずっと屋台の品々に気を取られており、ナータとのには誰も気づいていなかった。


 ナータが口にした「私たちのこと」とは、ナータと渚沙の結婚を指していたとしか考えられない。トラタ共和国では、良縁や結婚成就には神の祝福が欠かせないのだ……って自分が神じゃないか……。

 しかし、自分自身のことであれば、ナータも他の神々の祝福が必要なのかもしれない。牛の神さま、よろしくお願いします。渚沙は静かに手を合わせた。


 そうして九十七パーセント辛く、三パーセント甘美な旅から帰ってきたが、相変わらず、いくら月日が経過しても結婚の「け」の字も出てこない。

 「非公式な婚約者」と思っていいんだろうけど、いったいいつまで待てばいいのかしら……。忍耐強さだけは自信があるな、と渚沙は時々悲しく思う。そして、すぐにマイナス思考を振り切る。最近、心の切り替えが上手くなった。


 渚沙は心の中でナータのことをと呼ぶようになったが、ナータは少しも嫌な顔をしない。いくら何でも生き神だし失礼だからその呼び方をやめようかな、と考えているとナータは「いや、やめるな」といわんばかりの曇った表情を見せて反対するので、会えない時に心の中でだけと呼ばせてもらうことにした。そうすると、ナータの写真の前で楽しく話しかけたりできるからありがたい。そして、シャンタムの時と同じようにナータにはちゃんと伝わっていることが感じられるのだった。


 長年の観察と体験から渚沙が学んだことだが、神の祝福をもらっても、すぐに願いが成就されるとは限らない。何かを約束されても、たいていのケースで「いつ」になるかは不明なのだ。今回の人生ではないかもしれないのだ。


 ナータはよくこう話している。

「みんなの願いはいつか必ず叶う。だから、どんなことを私の前で願うか十分気をつけなさい。神はそれを適切な時に叶えるからだ」


 その言葉を渚沙は信じ続けた。渚沙が死にたくなる唯一の理由はナータと結婚できないからなのだが、いつの間にか、死ぬことは考えなくなっていた。


 ナータが時折口にするこんなメッセージがある。

「死に急ぐことはない。死は待たずともやってくる。自殺は罪である。自殺すれば、当初生きなければならなかった残りの年数を霊として彷徨さまようことになる」と。

 ある時、ドイツの未亡人が口を挟んだ。

「そうですよ。しかも、私の夫は死んだ後に私の前に現れたけれど、精神的にとても苦しんでいたわ。その苦しみは自殺する前以上のものなのよ」


 知らないということは残念無念だ。

 人は苦しみから逃げたくて自らの命を絶つのに、霊としてこの世に残り、それまで以上に苦しまなければならないとは――。若ければ若いほど元の寿命も長いはずだから、長期間その状態から今度こそ逃避できなくなるのだ。そんなことになるとは露ほども知らず、今日も世界のどこかで自ら死を選択している人がいる……。

 

 世の中にはナータの言葉を知りたい人が大勢いるに違いない。ナータのメッセージをもっとネットを通して広めなければ、と渚沙の小さな使命感に小さな火がともる。恋も結婚もしばらくお預けだ――。

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