第18話 青い光

 トラタ共和国への旅は、蒲田かまたより子に任せっきりだったので、ツアーに参加することを知ったのは、待ち合わせ場所の大阪国際空港だった。渚沙は、蒲田より子と二人でトラタ共和国に行くものとばかり思っていたのだ。

 参加者は約十人で、ツアーのリーダーは井上潤次郎いのうえじゅんじろうという三十代半ばのハキハキした男性だ。井上は、アジア諸国の聖地や聖人、奇跡現象の研究をしていて、よく講演会を開いているという。蒲田より子は、彼の講演会に参加して聖シャンタムのツアーのことを知ったそうだ。

 渚沙が無理やり上司から読まされた例の科学者の本はベストセラー本で、日本では聖シャンタムはけっこう有名になっていた。渚沙は寮に入っていたので知らなかったが、テレビでも何度か取り上げられ、国内でちょっとしたブームになっていたのだ。井上もその影響を受けたことは間違いないだろう。


 聖シャンタムの聖地は万単位の人でごった返している。彼の姿を一目見ようと、現地人も外国人も夜が開けないうちから列をなして神殿の前に並ぶ。シャンタムの姿は朝と夕方、毎日決まった時間にそこで見られる。トラタ共和国では、神像や神の生まれ変わりといわれる聖シャンタムのような聖人、その他、聖者たちの姿を見るだけでも、身が清められ、祝福を得られると信じられているのだ。


 定刻になると、井上の一行と共に、渚沙は神殿の中に通された。やっと朝日が昇り始めた頃だ。朝の爽やかな空気が心地いい。神殿の中は人で埋め尽くされ、みんなおとなしく床に座っている。長いこと待たなければいけないのだろうかと渚沙は目をつぶっていた。すると左の方角から一本の青い光線が走った。はっとして目を開けた。青い光は渚沙の頭の中で認識したものらしく、外部では確認できなかったが、光が現れた左の方角から聖シャンタムが来る気がした。

 すると笛と太鼓の音が鳴り響き、聖シャンタムらしき小さな姿がそちらの方からゆっくりと歩いてくるのが見えた。

 青い光と直感。こんな体験は初めてだ。渚沙は元々鈍感だし霊感もない。それなのにどうしたのだろう。

 遠すぎてシャンタムの顔の表情がまったく伺えない。だがその存在は神殿の中を突き抜けてしまうほど大きく、人間であることを感じさせなかった。けがれなき純粋さ、澄んだ空気がその人物から周囲に放たれ、浸透している。『神聖』という言葉がある。普通実感できるものではないが、こういった性質を指すのではないか。生まれ育った日本でも、住んでいたことのある台湾やアメリカ、旅先のカナダ、シンガポールでもこの感覚を体験したことはない。まったく別世界にいるかのような気分だ。


 ツアーでは七日間、シャンタムの聖地に滞在したが、間近でシャンタムを目にする機会はなかった。それでも渚沙の中で、聖シャンタムは主要な存在になっていた。そして、神の生まれ変わりの意味は相変わらずわからなかったが、神のような存在であることは実感できた。


 シャンタムの神殿で、毎日聖歌を歌っている人たちがいた。広くてどこに彼らがいるのかはわからなかった。屋内の別室ではないかと思われた。スピーカーから太鼓やハーモニウム、笛の伴奏が聞こえる。初めて聞く種類の音楽だ。トラタ王国の伝統で太古の昔から歌われているという。その歌を耳にした時、渚沙は恍惚感こうこつかんに包まれた。音楽でエクスタシーを味わうとは。これもまた初体験である。


 日本に帰国すると、この聖歌が恋しくてたまらなくなった。日本には聖シャンタムの信奉者たちがいて、組織を作っているらしいが興味はまったくなかった。渚沙は組織や人とは一切関わりを持ちたくなかった。聖シャンタムとは直接つながっていたかった。

 だがその組織では、例の聖歌が歌われているということを知る。それだけの理由で、渚沙は日曜日に、港区にある日本シャンタム・ボランティアセンターを訪れることにした。

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