第8話 謎の別離
留学して三ヶ月が過ぎ、明日、アメリカを発つという日。学校から帰ってくると、マザーが涙ぐんで居間に
渚沙の悪い予感は当たった。マザーは隠さずにすぐに打ち明けた。恋人から別れを告げられたのだそうだ。なんてひどいことをするのだろうか。彼は、わざわざ渚沙のアメリカ滞在の最後の日に、マザーの家に爆弾を落としていったのである。故意にやったのは明白だ。マザーもその子供たちも、いい思い出を残せるように最後の日を渚沙と共に過ごしたい、気持ちよく送り出したいと思っていたはずだ。子供たちも母親の変化に気づいたに違いない。特に上の女の子は事情を知っているように見えた。お陰で、最後の夕食はいつもより静かだった。
マザーの恋人は、渚沙に友好的だった。渚沙は英語があまり話せない上、
それにしても、男女関係というのは信用できない。自分自身の経験からもいえる。どんな純愛でも、どんなに深い愛で結ばれているように見えても、いつ壊れるかわからない不安定なものだ。男性に対する不信感もひとしお増した。
子供の頃からずっと憧れていたアメリカだが、もう二度と来たくないと渚沙に思わせたとどめの出来事だった。
この話は、あまりにも不快な思い出なので長年誰にもしていなかった。共に留学し、気心の知れた日本人の仲間にも黙っていた。十年以上経ってから留学仲間の一人と、西洋人の友達にちらりと話した。婚約者のなっちゃんは、渚沙がアメリカに三ヶ月留学していたことだけは知っていた。
最近、そのなっちゃんが不思議なことを口にしたのだ。
「渚沙がアメリカにいた時、ボーイフレンドが一人逃げていったね」と。
アメリカで好きになった人はいなかった。だいたい、アメリカで接していたのは女性ばかりで、男性はスクールバスの運転手とマザーの恋人くらいだ。あとはマザーの
なっちゃんは普段から、渚沙が知らないことをよく知っている。でもたしかめたくない。ボーイフレンドが誰で、何を意味していたのか、今さら知る必要はないだろう。不快な思い出をさらに不快にしたくないので、何も尋ねずなかった。
翌日、渚沙はあることを思い出した。一年くらい前に、ホストマザーと子供たちをフェイスブックで検索してみたらすぐに見つかった。以前も探したことがあるが、その時は名前も顔も出てこなかった。アカウントはずいぶん前に開設したようだ。設定を変えたのかもしれない。渚沙はとても嬉しくてみんなにすぐにメッセージを出した。癇癪持ちの男の子とすぐにつながった。もういい大人になっていた。
彼はまず、ずいぶん古びた日本語の折り紙の本を開いて撮った写真を渚沙に送ってきた。これは何かと尋ねると、渚沙がホームステイをしていた時に置いていったものだそうだ。そういわれて思い出した。日本から折り紙の本とたくさんの折り紙を持っていき、子供たちと一緒に遊んだことを。その本を今でも大切に持ってくれていることに驚いた。彼はなんと、その折り紙の影響を受けて、理数系の道に進んだという。カリフォルニア大学のバークレー校を卒業していた。優秀な大学である。渚沙の父親は同大学の大学院を出ているが、その話をしたら縁があるねと喜んだ。今、彼は一流企業で働いている。昔は小さな子をいじめ、怒りっぽく、お母さんの手を相当焼かせていたからこの子の将来は大丈夫なのだろうか案じたが、立派な大人になっていた。
喜ばしいことに彼はゲイだった。フェイスブックでオープンにしていたので、渚沙は「ゲイは大好きなのよ! とても嬉しい」とメッセージを送ると、さらに意気投合し、昔話ですっかり盛り上がった。
不思議なことに、マザーは返事を一つもくれない。その娘もだ。娘は思春期で話しにくかったが、マザーとは留学当時一番コミュニケーションをとっていた。SNSでいろんな事件が起こっているご時世なので、長年会っていない渚沙が突然接触してきたことを警戒しているのだろう。そう思っていた。
しかし、「渚沙がアメリカにいた時、ボーイフレンドが一人逃げていった」というなっちゃんの言葉から、もしかしたらマザーの恋人は、別れた理由が渚沙であることを後から明かしたのではないかと想像した。ただの妄想であってほしい。真相を確かめる勇気はないから謎のままである。
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