第7話 麗しのアメリカ留学

 達也と別れてから初めて迎えた冬、アメリカへ短期留学することが決まった。短大で試験的に三ヶ月の交換留学を行うことになり、渚沙を含める十五人の女子学生が選ばれて西海岸のワシントン州に送られたのだ。この留学で単位も取得できる。しかし、渚沙の留学したいという気持ちは半減してしまっており、しかも三ヶ月では短すぎるから参加する意味はあまりないと、それほど乗り気ではなかった。


 渚沙は、自然の多い静かな住宅街にある、シングルマザーの家庭にホームステイした。カントリー風の可愛らしい二階建ての一軒家で、地下にも広い部屋があった。マザーは背が高く、横幅もたっぷりある大柄な女性だ。大人の可愛いさがある容貌で、黒い瞳と長いストレートの黒髪が印象的であった。渚沙にいろいろと気遣い、親切で頼り甲斐があった。

 マザーには、小学校六年生のませた女の子と、小学校一年生の癇癪かんしゃく持ちの男の子がいた。二週間おきの金曜日の夕方に、父親が二人の子供を迎えにきた。父親の家族と二日間過ごし、日曜日の夕方帰ってきた。そんな奇妙な生活に子供たちは慣れており、どちらの家でも大事にされて楽しく過ごしている様子だった。

 離婚率が高いアメリカでは一般的なライフスタイルである。離婚後、親権はたいてい母親が持っていて、子供が父親に定期的に会うルールを設ける。それですべての子供が健全に育つとは思えない。下の男の子が怒りっぽく、ままで扱いが難しいのは、親の離婚に原因がある気がした。


 シングルマザーには、彼女よりもさらに背の高い恋人がいて、交際し始めたばかりなのか仲睦なかむつまじかった。大人の恋をしている二人を前に、渚沙は自分が幼い子供のように感じられた。マザーの恋人も離婚していて四歳の息子がおり、両者の子供同士でよく遊んでいた。父親似でおとなしく、赤毛で青い目をした可愛らしい男の子だが、マザーの息子はその子をよくいじめていた。マザーは恋人の目の前なのに、えらくヒステリックに子供たちを叱っていたので、他人事ながら渚沙は少し心配した。あれでは百年の恋も冷めてしまうのではないか、と。恋人はおとなしい人で、そんな時はいつも黙っていた。

 彼らは同居はしていなかったが、家族のようだった。みんな快く渚沙のことを仲間に入れてくれ、週末のレジャーを楽しんだ。カナダとの国境に近いところだったので、子供たちがいない週末の夜、マザーと恋人と渚沙の三人で、カナダへ行ったことがある。バンクーバーの港の近くのおもむきのあるレストランで地元の料理を味わった後、大人のディスコバーに連れていってくれた。子供たちがいる時は、ドライブやショッピングを楽しみ、丘の上にある水族館に行ったこともあった。癇癪持ちの男の子は渚沙のことが大好きで、渚沙に対して腹を立てることはなかった。寝る前にベッドの脇でよく絵本を読んであげたものだ。


 このように恵まれている環境であるにもかかわらず、アメリカに滞在中、渚沙はいつもなんとなく沈んでいた。学校でもマザーの家でも、満たされない小さな事柄がいくつかあった。まだ失恋のうつから完全に回復していなかったせいだ。留学した時期が遅過ぎたことも大きい。一番行きたい時に行くべきだったのだ。


 ――たとえば、お腹が空いて大好きなケーキを食べたいと思っている時に、すぐに手に入らなかったとする。仕方がないから他のものを食べて空腹を満たす。お腹がいっぱいになってしまったところに、知人がケーキを持ってきてくれた。お腹は空いてないけれど、せっかくなので食べるがそれほど美味しく感じなかった。一番お腹が空いている時に食べていれば、ケーキはもっと美味しかったはずだ。渚沙の留学は、このケーキと同じであった。

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