木曜日:明日も
――二人の間に、茜色が射し込む。
「……なるほどね」
そう呟く彼女の声は、どこかに消えそうなほど小さかった。その声色から心情を察するのは難しい。
今日一日、昨日のことを考えていた。「泣かないで」と言った彼女の潤んだ瞳を。「相談に乗るよ」と震えた声を。ぐるぐると頭を回り続けるそれがどうにも忘れられなくて、半ば心に流されるように僕の思いを告げた。
言葉にならないような言葉を、彼女は一つ一つ汲み上げて頷いてくれた。否定することもなく、口を挟むことなく、ただ相槌を打つだけ。次第に僕自身の胸の痛みが薄れていったのは、そのおかげでもある。
気付けば空は赤く色付いていて、参道に一人分の長い影を落としている。それを見るのがあまりに切なくて、素知らぬふりで遠くの夜空を眺めた。
ふわりと一陣のそよ風が吹き、木々たちが囁き始める。ざわざわと騒がしいが、とても爽やかだ。だけど僕たちは何も言わない。二人の周りを包むような沈黙は、不思議と心地が良かった。
「……知り合ったばかりの私が言うとなんだか変なんだけどさ。浅葱くんは、とっても頑張ってると思うよ」
隣を見ると、ぎこちない顔で真白が笑っていた。それは、苦しそうな、と表現してもいいくらい。無理やり笑っているようにも見えるが、彼女なりの励まし方なのだろう。だから、それには触れない。
「確かに変だね」
僕はそう言っていつも通り笑う。からかうように、冗談めかして。
それを聞いた彼女は、「あはは」と口角を緩めた。いつもの笑顔だ。夕日で透けているのもあってか、それはとても眩しく見える。
「でも、ありがとう」
それは多分、蚊の鳴くような声だったと思う。照れ臭くて、独り言のように呟いた。
彼女は一瞬目を見開いて、だけどまた笑う。今度はぎこちなくない。だが、へにゃ、と情けない顔だ。
「こんな私の言葉でも、力になれるんだね」
気のせいかもしれない。でも確かに、僕の耳に届いたその声は震えていた。
僕はまだ、彼女の過去を知らない。若いまま死んでしまった
彼女の口から語られたことはまだ一度もなかった。呟いた言葉に何かを感じる時はあるが、確信至ることも無い。それに、聞くことも無粋な気がした。
だから今彼女の声が震えていた理由は、分からない。だけど、聞き逃すことはできそうもなかった。
「……あのさ、」
「そうだ! 浅葱くん!」
意図的かと思える程のタイミングで声が重なる。一瞬驚いて声が出なくなったが、彼女の「しまった」という表情で、空気が緩んだ。
「ご、ごめんね浅葱くん!」
「いいよ、先にどうぞ」
でも、と彼女が口にしたが、僕が笑っているのを見て安心したらしい。ほっと小さく息を吐いて話し始める。
「突然なんだけど、神社以外の場所にも行きたいなぁって」
本人の言う通り、本当に突然だ。なんの脈絡もなければ、予想すらできなかった。でも彼女なりに何かあるのだろう。少しふざけるなら、真白ワールド的なものが。安直にも程がある名前だが。
「いいけど……なんで?」
僕が聞くと、彼女はにぱーっと笑った。あぁこれは、「よくぞ聞いてくれました」の顔だ。なんとなく察しがつくようになってきたぞ。
「浅葱くんと行ったら楽しいと思うんだ! 川とか、森とか」
場所は抽象的だが、理由はそこそこ嬉しい。彼女がなぜここまで僕と一緒にいてくれるのかは分からないが、嘘じゃないことくらいは分かった。
「じゃあ今度行こうか。どこかの森とか、川とか」
探検というのも楽しいかもしれない、と言おうとしたがそれはやめた。もう探検なんて年じゃない。子供扱いされるのはごめんだ。いや、でも彼女なら喜ぶかもしれない。彼女自身が子供っぽいから。悪い意味じゃなくて。
「いいの?」
「いいよ」
言い終わるが早いか、彼女は「やったぁ!」とその場で跳ねた。足が見えないから、跳ねたようだとしか言えないけれど。嬉しそうで何より。
「小規模だけど花火大会もあるし、一緒に行こう?」
「あ、知ってるよ! ここからだとちょっと小さいけどよく見えるんだ!」
子供のようにはしゃぐ彼女はちょっと可愛い。大きい妹ができたような気分、と言ったら分かりやすいかもしれない。ぴょこぴょこと動き回っている。
堪えきれず笑いだした時、辺りがふわりと暗くなった。もうそろそろ帰らないといけない時間だ。
僕につられて笑いだした彼女も、夜が来たことに気付いて動きを止めた。
「あ、もう帰らないとだね。じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
ひらひらと手を振る彼女に、今日も手を振りながら石段を降りる。いつもここで、少し悲しくなるのだ。
最後の段を降りた時、彼女に聞きそびれたことを思い出しす。だけどもう、戻って聞く程のことでもないような気がした。
まだ手を振る彼女に小さく手を振り返し、僕はまた帰路に着いた。
明日は何を話そうか。明日は今日より楽しいことを話したい。もっともっと、話したい。
あぁ、早く明日になればいいのに。
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